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【書評】『日々に木々ときどき風が吹いてきて』川上まなみ歌集

まず街の静かなことを書いてゆく日記始めの夜やわらかく

歌集の巻頭歌。日記始めであると共に、歌集のオープニングでもある。
「夜がやわらかい」という捉え方が作者自身の柔軟性をも表すようだ。
これから始まる一冊の、その全体のトーンを表現するような一首で、冒頭の歌としてとても素敵だと思う。

この歌集は、教師として働く職場詠や、恋人との関係性が表れる歌、家族の歌など、等身大の生活を静かなトーンで詠う。
身の回りのことや、細かな動作、なかなか捕らえられない何気ない心の動きを描写する歌に惹かれた。

雪の降る窓を背負っているような子の居眠りに静かに触れる

wを四画で書く生徒来て部屋は一人のときより静か

折り畳んだつばさのような腕をして机に伏している陸上部

教えている中学校での生徒たちの様子を詠んだ歌を挙げた。どの歌も観察眼が鋭く、作者の独特の視線が活きている。
1首目、窓際に座る生徒が居眠りしていて、窓の向こうでは雪が降っている。
その背景を背負っているかのようにうとうとしている生徒、そんな光景が鮮やかに広がる。
2首目は職員室にやって来た生徒の歌。生徒の特徴の捉え方がユニークだ。主体がこの生徒のwの文字の書き方を覚えている、ということ。それだけ一人一人の生徒を注視していることがうかがえる。
生徒は何か言いたいことがあるから職員室に来たはずなのに、やってくると押し黙ってしまう。
その息苦しさ、重さで、部屋は一人の時より静かに感じてしまう、その心理状態がよく出ている。
3首目もとても好きな歌。机に突っ伏して寝てしまっている生徒。
畳んだ翼と表現することでどのような状態かぱっと目に浮かぶし、眠っている生徒の無垢さ、幼さのようなものも感じられる。
体言止めの「陸上部」もとても効いている。この一言で普段はスポーツをやっている活発な生徒だということが伝わる。

このように、生徒や学校の同僚を描く歌はどれも独特で、作者特有の視線が感じられ、どの歌も読みどころがある。
教師という仕事に真っ正直に向き合っている主体が浮かびあがる。

人間でなければ越えられる柵へ誰かが鳥のごとく走った

屋根もないところに服を脱ぐときの人は死を待つ木蓮だった

この二首が出てくる連作「Auschwitz」は、アウシュビッツの看守の立場に成り代わって詠まれたかなり特殊な一連だ。
1首目、空を飛んだり、高く跳躍したりできない人間には越えられない柵。
そのような柵に囲まれた収容所。
上句のねじれた言い方が、不条理な状況を示唆しているようだ。
収容されている誰かが決死の覚悟で鳥のごとく走る。
鳥のごとく走る、というのも奇妙な言い方だが、不思議と情景も浮かぶし、納得させられる。
でもやはり人は鳥ではなく、この脱走を試みた誰かは、おそらく殺されてしまうのだろう。
この連作では主体は看守なので、殺す側にいることになる。
2首目、収容所に入れられている人々を「死を待つ木蓮」と描写する。
「死を待つ木蓮」という悲痛な表現がこの歌の眼目だろう。
木蓮と捉えているのは作者なのか、この作品の主体である看守なのか。
読者それぞれに様々な意見が生まれそうな、それだけの魅力のある連作だと思った。

祈るならあなたのことを てのひらを合わせてこころに近づけていく

出勤の車の中で泣くような春になっても春は好きだな

最後に好きな歌を二首引いた。
1首目、てのひらやこころは、この歌集によく出てくる言葉だ。
胸の前でてのひらを合わせる動作を描くことはあっても、
その手の動きを「こころに近づけていく」とはなかなか言葉にできない表現なのではないか。
ゆっくりとした動作が見えるようで、とても魅力的だと思う。
2首目は一種の愛唱性があるというか、非常に記憶に残る歌。
作者の性格や、世界の捉え方を一首でよく表していると思う。
朝、自家用車で通勤していて、その途中で涙が出てくるほど辛い。
先生だけれど学校に行きたくないような気持ち。それだけ真摯に生徒と向き合っているのだということが伝わる。
そんな辛い気持ちであっても、春という季節は好きだという。
その心の深いところの健やかな感じが伝わってくる、とても印象的な一首である。
                      (2023/3 現代短歌社)

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