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怪異蒐集 『イミコサマ』

■話者:Aさん、無職、80代
■記述者:黒崎朱音

 異縄(いなわ)地区に住むAさんの、子供の頃の話。

 異縄地区の北端には三珠山へ登る石段があり、登った先に「異縄神社」という古神社がある。その裏に、何を祀っているかわからない古い社があった。誰かが拝むところを見たことはなかったが、社の前にはいつも新しい野花が供えられていた。

 戦後まもなくで、物がない時代。遊びの場はもっぱら山だった。その日もAさんは友人たちと、異縄神社でかくれんぼをして遊んでいた。

 神社の敷地は狭く、自然と神社の周囲もかくれんぼの舞台となる。Aさんは鬼役の子が数を数え始めると、裏の山道を登り社に向かった。社の前には、いつものように瑞々しい花が供えられていた。

 供えられている草花は目にするのに、誰かが供えているところを見たことはない。この付近で遊ぶことは多いにも関わらずだ。誰が供えているのだろう、と少し不思議に思った。

 そんなことを考えていると、背後から鬼の声がした。Aさんはとっさに社の扉に手をかけた。社に不気味さを感じていたものの、鬼も怖がって社の中まで探さないだろうと思ったからだ。

 扉を開き、体を滑り込ませる。扉を閉じると、さっきまで聞こえていた鳥の声や風の音がぴたりと止んだ。鬼の足音も聞こえない。社は板張りで隙間が多いにもかかわらず、まったくの無音になった。

 奇妙に思って扉の隙間から外を覗くと、夕焼けのように真っ赤な空が見えた。そんなはずはない、遊び始めたのはまだ午前中だ。慌てて扉を開いたAさんは、目に入った光景に、扉に手をかけたままで固まった。

 空が、真っ赤に染まっていた。

 夕焼けのような段階的な赤ではなく、塗りつぶしたように全体がのっぺりと赤い。そのせいで、周囲の何もかもが血で濡れたように赤く見えた。友だちの名前を呼んだが、返事はなく、Aさんの声が響いただけだった。

 おそるおそる社から出ると、辺りの風景がさっきまでと微妙に異なっていた。目の前には神社へと続く山道があったが、木が覆いかぶさってトンネルのようになっている。でも、ここを通れば神社には行けるはずだ。Aさんは神社に戻ろうと、山道に足を踏み出した。

 道の両側は背の高い草が茂って視界が悪い。さっきまではこんなに茂っていなかったはずなのに。この道は本当に神社に続いているのだろうか。不安になりながら進むと、草の向こうに神社の屋根が見えた。

 そのとき、シャン、と金属の鳴るような音がした。
 誰かがいるのかもしれない。そう思って辺りを見回すと、神社の裏庭に誰かが立っているのが見えた。やっぱり誰かいるんだ。Aさんはホッとして神社に足を踏み入れた。

 立っていたのは、白い巫女服に身を包んだ髪の長い女の人だった。

 女の人はAさんに背を向けて、だらんと両手を垂らしている。Aさんは声をかけようとしたが、女の人の様子がおかしいことに気づいて、言葉を飲み込んだ。

 女の人の手が土まみれだ。爪が剥がれているのか、指先から地面にぽたぽたと赤い血がこぼれている。まるで今しがた、硬い土の地面を指先で掘り起こしたように。纏っている巫女服もあちこちに泥がこびりついていた。

 異様な風体に、思わず後ずさる。その音に反応するように、女の人の肩が微かに動いた。そして音の出処を探るように、ゆっくりと振り返る素振りを見せた。

 Aさんは恐怖で動けない。目を逸らしたいのに、どうしても女の人から目が離せなかった。あと少しで女の人の顔が見えそうになったとき、耳元で声がした。

「見てはいけないよ」

 Aさんは弾かれたように踵を返すと、全力で走った。背後から足音が聞こえた気がしたが、確かめる余裕はなかった。社に飛び込み扉を閉めると、Aさんは扉に手をかけたまま、じっと息を潜めた。

 扉を握ったままで震えていると、扉が思い切り引っ張られた。扉が開き、Aさんも地面に転がる。自分を見下ろす何者かの影が目に入り、Aさんは固く目をつぶった。

「こんなところに隠れたらバチが当たるぞ!」

 鬼役の友人だった。扉が震えていて、中に誰かいることに気づいたという。友人の背後の空は普段通り青く、Aさんは安堵して泣き出した。ひとしきり泣いてから、体験した話を聞かせたが、信じてもらえなかった。

 この話を祖母にしたところ、普段は温厚な祖母にひどく叱られ、そのまま手を引かれ異縄神社に連れて行かれた。熱心に拝む祖母の隣で、Aさんも長い時間拝まされた。帰り道、祖母がぽつりと言った。

「お前が見たのはイミコサマだ。顔を見ていたら、戻れなかった」

 二度と社に入らない。社の前を通るときは、誰にも見られないように草花を供えて「イミコサマ、お山にお戻りください」と頭を下げる。そう祖母に約束させられた。イミコサマが何なのかを聞くと、「みんなの厄を背負ってくださる方だ」と教えてくれた。

 それからも社の周辺で遊んだが、祖母の言いつけを守ったせいか、赤い世界に迷い込むことは、それきりなかったという。


■メモ
・出てきた社だけど、今も異縄神社の裏道を登ったところにあった。見にいったとき、社の前に真新しい草花が供えられてた。イミコサマの当て字は不明とのこと。(朱音)
・忌子様? 忌巫女様?(水鳥)
・巫女だし、後者かな。(朱音)
・赤い空とか、鈴の音とか、波流ちゃんが神隠しにあったときの話と類似点が多い。波流ちゃんの話に限らず、その2つ(赤い空と鈴の音)ってみたま市の怪談で頻出だけど。(亜樹)
・鈴は大祭の演舞で巫女が持ってるし、そこから来てる?(朱音)
・たすき鈴な。(水鳥)
・途中で鈴の音がするけど巫女が持ってる鈴かな。両手を垂らして〜ってあったから、違うのかもって思った。(亜樹)
・確かに。巫女+鈴の組み合わせがしっくり来るから、巫女の鈴ってイメージで特に気にしなかった。(朱音)
・第三者ってのもあるか?(水鳥)
・あるかも。第三者の声してるし。(朱音)


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