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消防士を退職。新たなステージへ。松井修平

大きな旅立ちというものは、
書物の、第一行の文章のように、
重要なものなんだよ。
その一行が、この一瞬が、
すべてを決定づけるんだ。
 「ムーミンパパ海へ行く」

シューヘイ(松井修平)は神奈川県横浜市出身の30歳。去年11月、横浜市から千葉県南房総市に引越し、ケント(伊藤研人)らと「人と自然が調和したエコビレッジづくり」を始めた。教育者や社会起業家の育成をして、最終的には持続可能な小さな町づくりを目指している。

エコビレッジオーナーでシューヘイの師匠ケントのnote記事は下記をクリック!

シューヘイとの出会いはインスタだが、ケントとのvoicyラジオ対談を聴いてくれていて俺の事は知っていたらしい。その後、Facebookで繋がって即行で俺の本、「どんなピンチも笑いに変える逆境力」「ようこそドラマチックジャーニーへ」も読んでAmazonカスタマーレビューにも書いてくれた。自分のできることで誰かを喜ばせる行動が、すぐできる若者が好きだ。

そして、14年ぶりに再会したチェリー(中野 光宏)との縁を再び繋いでくれた。

それが今年、5年ぶりの「大人の修学旅行」復活につながった。いろんな人とのご縁でできたキャンピングカーの企画は毎年継続してやって行きたいと思っている。シューヘイ、ありがとう。

そして、そんな彼が今月からクラファンをスタートしている!支援、応援があると俺も嬉しい。

今、彼らは社会や環境にも有意義で優しいキャンプ場を目指し、循環経済を実現していく一つの手段としてロールモデルになっているように思う。シューヘイの今の活動に至る経緯を聞いた。彼とのvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい

4歳から始めた格闘技テコンドー

シューヘイは、横浜生まれの横浜育ち。幼少期は打たれ弱い「ママっ子」で人と同じことができない落ち着きのない子だった。4歳の頃、2つ年上の兄に影響を受けて武道・護身術のテコンドーを習い始め、小学生になると全国大会で優勝するまでになった。

「ガキ大将時代」小学生のシューヘイ(右)

小学生時代、周りからは気の強い子に思われていたが、小心者で寂しがり屋の典型的な『ドラえもん』ジャイアンタイプ。今から思えばHSP(生まれつき非常に感受性が強く敏感な気質をもった人)だったのかもしれないという。誰かと闘うことでしか自分を表現できなかった彼は、親友とも喧嘩をしてしまう。テレビでは、K-1、PRIDE など格闘技イベント全盛時代。将来は「格闘家になる!」そう思っていた。

親戚や兄弟が私立中学入学が当たり前の「お受験」家系。私立中学に入学すると4歳からやっていた格闘技テコンドーを辞め、サッカー部に所属した。ところが数ヵ月して「格闘技ムエタイのジムに通いたい!」と私立中学から公立中学に転校してしまう。その時読んでいた坂本龍馬の本の名言「世の人は、我を何とも言わば言え、我が為す事は、我のみぞ知る」を心の中でつぶやいた。

中学時代「柔道部」に所属

当時は柔道家、吉田秀彦や小川直也などが総合格闘家やプロレスラーとして活躍していた時代、彼は中学1年の夏、柔道部に所属した。両親がやりたいことをやらしてくれた。ヤンキーと揉めて、「ヤンキーと同じことをしていた」と、かつての自分を反省し、「本気で柔道に打ち込もう!」と決意した。中1の夏、受け身から始めた柔道だったが中3では部長になってチームをまとめた。

授業料全額免除になる高校進学のスカウトを蹴って、柔道の強豪校に自ら行って試験を受け推薦を勝ち取った。全国大会3位、日体大付属の姉妹校で見学不可、全国一の練習量を誇る高校を敢えて選択したのだ。その後、柔道で膝や肩を怪我して手術を繰り返し、時は流れK-1、PRIDEがテレビで放映されなくなって「格闘家になる!」という夢が薄れていった。
「進路どうする?」
日体大で柔道をする選択もあったが、一番強かった先輩の姿に、その選択はなくなった。茶碗に米粒一つ残しても殴られ、タバコを吸ったり、イジメがあったり、部室はいつも血だらけだったからだ。

そんな時観た、映画「海猿」で海保、消防士を目指し、大原法律公務員専門学校に入学した。専門学校時代に猛勉強し、高3の時、下から2番目の成績から50倍の難関を突破し東京消防庁の採用試験に合格した。

「卒業旅行」で兄と旅したNYの夜景

就職前の3月、「卒業旅行」として両親がお金を出してくれてNYを兄と旅した。兄弟喧嘩が絶えなかった旅だったが、ラッパーでヒップホップアーティストジェイ・Zの「エンパイア・ステイト・オブ・マインド」を聞きながらNYマンハッタンの街を闊歩した高揚感を今でも忘れられない。

エンパイアステートビルから見る夜景に世界中から夢と希望を持ってNYに集まる人々のはち切れそうな鼓動を感じた。

帰国して、「俺はまだまだ、この広い世界を知らない」と思い、すぐに「留学したい!」と母親に言うと、
「自分のお金で行けば?」とアッサリ。
「そんなお金はない!」と諦めるしかなかった。

半年の消防学校を経て配属された先はイジメが横行する職場だった。人命救助する厳しくも温かい職場だと思っていたからショックは大きかった。自ら命を絶つ人もいたという。20歳の彼は理想と現実のギャップに悩み、精神を病むような寮生活だった。
「今日も眠ったふりをする♬」という長渕剛の「とんぼ」の歌詞が心に刺さった。

就職して2年経った頃、近所のスナックで高校時代から留学経験のある友達がワーホリに行く話に心が躍った。
「シドニーに来れば!」の一言でオーストラリアに飛んだ。
飛行機に乗った瞬間、NY1週間の旅で感じたワクワクを思い出した。
「このまま、狭い世界、消防署の中で生きていてはいけない」稲妻が落ちるような感覚があった。

オーストラリア・シドニーにて

22歳、シドニーの2週間の旅。帰りの飛行機で気持ちの高揚が抑えられないまま、成田空港からキャリーバッグを持ってスナックに直行した。

「今から行ってきな!」というスナックのママの一言で、すぐにチェリーが経営する「ロックウェルズ」に行った。その行動力が人生を変えた。チェリーの第一声は「高橋歩って知ってる?」。先輩から本をもらって知っていただけでなく、実家の天井に「夢は逃げない。逃げるのは、いつも自分だ!」という高橋歩の言葉を貼っていたからだ。それは中学の時から大切にしている言葉だったのだ。その高橋歩が始めたBARが「ロックウェルズ」だった。消防士をしながら内緒で「ロックウェルズ」でバイトを始めた。店長から「海外行ってどうするんだ?帰って来たら何をするんだ?」と問われて自分の中に答えがなかったことに気づかされた。「何のために」を因数分解していくとキラキラした感情がなくなっていた。

「俺は何がしたいんだ?」自問自答すると、
「ビッグになりたかった。自分の世界を広げたかった」それしかなかった。
28歳、TSUTAYA書店に行くと、一冊の本が目に留まった。西野 亮廣(著)「ゴミ人間 日本中から笑われた夢がある 」。
「あぁ、自分みたいだ」と共感した。「飛び出す方向はどちらでもいい。今の自分に必要なのは環境を変えること」。会社を経営している友達に連絡して起業をすると決め、7年半勤めた消防士の仕事を辞めた。

7年半勤めた消防士の仕事

起業家に必要なのは瞬発力と突破力だと思う。シューヘイにはそれが備わっていると感じた。20代、30代は「走りながら考える」くらいでちょうどいいと思う。

友達のつてで始めた貴金属の売買の仕事。
「何やってるんだ、俺」
お金を追いかけても、おもしろくなかった。

シューヘイの彼女と師匠チェリーと中武さん

そんな中、チェリーに紹介されて、高橋歩の著書、「毎日が冒険」に「鬼軍曹」として登場する中武さんと出会って自宅まで呼んでもらったりして可愛がられた。
中武さんが、
「おまえ、この本、読んでみろ!」
それが、伊藤研人の書いた「第七の旅」だった。
自分が漠然と思っていたことが言語化されていて衝撃を受けた。サウナトラックのイベントでケントと出会い意気投合した。
「無人島に行かないか?」と誘われ、ケントが教育事業の一環としてやっている西表島2泊3日のサバイバル生活「魚突き合宿」を体験した。
「この人と何かやりたい!」そう思っていると、
「一緒にやらないか」とケントに誘われた。

シューヘイと師匠ケント

高橋歩の師匠でもある中武さんの言葉。
「みんな自分の中に貯め込もうとしちゃう。自分って小さな存在だから、自分という小宇宙の中では小さなことしかできない。自分のものにするんじゃなくて、大宇宙の中で自分と言う小宇宙を、どう生かしていくかって考えると大きなことができるよ。」お金って入口より出口が大事だ。貯め込む事より、世のため人のために、どう使うかを考えると視野は広がっていく。

自伝中心の出版社NORTH VILLAGE(ノースビレッジ)ようへい(北里洋平)主催のコラボトークライブで俺も講師として呼ばれ、歩(高橋歩)、当時、雑誌「旅学」編集長だった池田伸、ハリスさん(ロバートハリス)と渋谷の地下一階のBARでトークショーをやった時、中武さんに一度だけ会っている。珍しく歩が中武さんに敬語を使って話しててリスペクトしている姿が印象的だったのを憶えている。

チェリー、高橋歩、歩の師匠・中武さん、そして伊藤研人・・・それぞれの出会いがシューヘイの世界観を広げた。

「自分のやりたいことx社会貢献」を収益を確保しながら、どこまでやれるか、研人とシューヘイの千葉県南房総エコビレッジづくりから目が離せない。5年ぶりに復活した「中村隊長と行く大人の修学旅行」シリーズ、いつか彼らとコラボできそうだ。彼らは、温かく楽しいを追求している。「楽しい!」は武器になる。喜び、楽しさ、幸せは何ものにも代えがたい報酬なのだ。

坂本龍馬が姉の乙女宛てに送った手紙の中で使われた言葉、
「日本を今一度せんたくいたし申候(もうしそうろう)」
そんな志の高い思いを秘めているように感じた。
シューヘイの視線は、まだ先にある。
彼が今後、どんな未来を描いていくのか見届けたい。

彼女と憧れの高橋歩と

最後に、友人・高橋歩の言葉を贈る!

 他人の目にどう映るかは別として、
 自分が「カッコいい」と想える人間には
 誰だってなれる。
 オレはそう信じているよ。
 髙橋歩

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