見出し画像

「許す」ということ

「許す」というのは難しい。


僕は多くの人に恨まれてきた。いや、それは被害妄想的ではなく
僕は幼いころから両親や兄妹、先生など
様々な人に実際的に恨まれて生きてきた。

ぼくが小学一年の時に、幼稚園、保育園もほとんど行かされず
両親の名前も、住んでいる地名も知らず
いきなり小学校に入れられたので何も分からず、その無知さが

ヒステリックな男の教師をいらだたせ
教師から毎日、猛烈な体罰を受けた
毎日、ボロ雑巾の様に殴り倒された。

ぼくは現在、体重113キロ身長180の巨躯(きょく)であるが
当時も、身体は大きく強かったのだと思う
体罰はあまり苦ではなかった。

なぜなら、家庭の壮絶な夫婦喧嘩に慣れていたから
刃物や火が出るのがケンカだと思っていたぼくにとって暴力は
あまりにも、身近な存在であり
恨みという感情は

弱さから出ているという事もよく知っている。
小学一年生の男の子を出来ないという理由だけで
ぶん殴れるのは人間が弱いからである。


真に強い人間は、そんな事は天地がひっくり返るとしても
絶対にしないだろう。

その後どうしたか。


身体を鍛えた。走ったり、腹筋したりした。
一年の時のマルナミという教師は、
体罰が原因で、転勤になった。

復讐しようとして、どこの小学校に行ったか聞いた。
小3の時に金属バットを持って、準備までしていました。
でも結局そのころ、ぼくはゲームやサッカーなど
遊びに熱中して、徐々に復讐心はうすらいでいった。

この恨むというのは怒りの感情に近い情動なんですね。
陰陽五行で言えば水にあたります。
水というのは、一箇所にとどまることがない。常に流れ続ける。

でも、一定の箇所にとどまると淀(よど)む。
だから、恨みの心も水と同じようにとどまると、増々、憎悪というのは
深まっていきます。一旦流れを作ってやると、
自然と水のように流れて解消していくものです。

なので、恨み心を克服していこうと思うと、対象に対して注視するのでは
なく、他に意識を向けることがシンプルながらに大事なことです。

実は恨みの心の原因は相手に依存することにあります。
相手に求める心や考えがある訳なんです。
謝まって欲しい返して欲しい。傷ついて欲しい。とかね。

この恨みの心が解消するには、相手への依存を無くすことが必要ですね。
そのためには先述したように
目を外に向けるか、欲求を満たすことしかないでしょうね。

許すか許さないか。
どんな人でも人間は鬼ではないから許す心はあります。
でも、許そうにも許せないのが恨み。
だから、許そうとするのではなく、対象物に意識を向けないことです。

ぼくが子供のころに掲げた目標
「すこし裕福になる」
それは物質的な意味ではなく精神的な裕福さです。
裕はやさしさ
福はあたえる
という意味です。
恨みのこころを許すのは人間強くなければ出来ないですね。
だから、我々は成長しなければなりませんね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?