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年の差70才の特別授業「心が挫けそうになった日に」五木寛之著を読んで。


70才差といわれても実感がわかない。

自分の70才上は明治39年生まれ、存命していれば115才である。
昭和20年で44才と今の私と同じ歳で終戦をむかえたことになる。

召集されるには年をとりすぎており、戦後の復興を支えた世代であろう。
関東大震災や大正デモクラシー、第二次世界対戦そして戦後復興を経験した方々の経験をじかに聞いてみたかった。

御年85歳の五木寛之さんと年の差70才にもなる灘高校の生徒との授業をまとめた本「心が挫けそうになった日に」を読んだ。

日本でトップクラスのエリート高校生たちに五木さんが伝えたかったことで、私が共感した2点に絞って書いて行きたい。

1.世の中には表と裏があり、語られない裏側の部分が歴史を作っている。

高校生の歴史の教科書やよく売れている歴史書籍などは、経済関係、人間関係、社会の歴史の絡みあいで合理的に進行しているように書かれている。

しかし、五木さんは生徒たちにこのように語る。

歴史というのは裏の側面、もっといい加減な人間の欲望とか偶然とか、変なものがいっぱい絡み合って、人間がここまでやれるかというような性悪な陰謀や謀略もあわせて歴史は作られるのではないか。


五木さんがその一つの例にあげたのは戦前・戦中の日本のアヘン産業である。

戦争では戦闘機や戦車を作る軍需産業が表の産業であったが、大日本帝国の戦費調達を裏で支えていたのが巨大なアヘン産業であった。

国策事業として、日本国内でケシを育てアヘンの増産に励み、モルヒネを精製する技術により日本の製薬会社は巨大化してきた。

まずは植民地の台湾でアヘンの専売制で大儲けし、満州や中国でもアヘンを大量に売り捌くことで軍事費の財源としていたのである。

今でも君臨している日本の巨大製薬会社は戦前・戦中にはアヘンやモルヒネの製造によって土台を築いていった会社だ。

しかし、東京裁判では日本のアヘン政策は問題にならなかった。
なぜならアヘンに関して当時の国民政府の蒋介石(しょうかいせき)や汪兆銘(おうちょうめい)らも絡んでいたからだ。

日本政府のアジアにおけるアヘン政策を問題視すると、戦勝国の一員である中国にも飛び火してしまう。

東京裁判の資料を丁寧に読み込んでも、出てこない裏の事実である。

こういうことを本にすると、「トンデモ本」のくくりにされてしまうのが日本の風潮であり、表の歴史しか学べない日本の教育への五木さんなりの警鐘なのである。

私が真っ先に思うのは、今まさに大河ドラマ「青天を衝け」で描かれている幕末から戊辰戦争にいたる歴史である。

最近でこそ幕府側の視点で描かれたストーリーを多くみかけるが、昭和の時代までは「薩長史観」が主流であった。

今でも日本史の教科書は「薩長史観」で語られていることであろう。

五木さんの言っているような裏の歴史を検証すれば、いかに薩長が旧幕府側を「賊軍」としておとしめたことは見直すべきであろう。

鳥羽・伏見の戦いで「錦の御旗」が出たことにより、旧幕府側は戦意を喪失するのだが、そもそもこの「錦の御旗」は薩長が作った偽物である。

岩倉具視と大久保利通の日記にもその事実は書かれている。

玉松操という岩倉具視の腹心が「錦の御旗」をデザインし、大久保利通の妾のおゆうさんという女性に生地を買いに行かせたことまで書かれている。

同様に「討幕の密勅」も偽勅だったようだ。

薩長は自らの権力奪取のため、徹底的に天皇の権威を利用したのである。

そんな偽物の「錦の御旗」で幕府、会津藩は賊軍とされ、明治政府が薩長によって作られた歴史こそ裏の謀略、陰謀によるものである。

灘高の生徒たちは将来のエリート候補たちであり、そんな彼らに表の情報だけでなく裏のファクトを見抜く力を身につけてもらいたいものだ。

五木さんは下記のように人間による裏の歴史について語っている。

人間の歴史が善意とか努力とか意思とか、そんな前向きなことだけで進んでいるのではなく、なんとも言えないどす黒い力が一面では働いていることも頭の隅に置いておく必要があるように思います。
それを簡単に陰謀論という一言で片付けないことが大事なのです。

しかし、スマホで大量の情報にまみれている現代の私たちはどれがフェイクニュースでどれが事実か判断がつかないのが現状だ。

情報リテラシーを高めるためには、ネット上のニュースと紙の媒体の比較、自分の頭でストーリーを組み立てる技術など必要になってくる。

それでもトランプが大統領になることや、イギリスがブレグジットすることなど誰が予想できたであろう。

灘高校の生徒たちも今後はビッグデータやAIに頼る時代になると思うが、五木さんに教わった人間の性悪説に基づいた不合理な行動が歴史を作ってきた事実を忘れないでほしい。

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2.人は生まれた時から「ふさぎの虫」が宿っている

五木さんは灘高校の生徒たちに、古今東西の人々が現代でいう鬱病で苦しみ、五木さん自身も重度の鬱状態になったことを語った。

「気持ちが沈み、心が萎えて、逃れようもない暗澹たる気持ち」を各国の言葉で紹介した。

日本語 →「暗愁」「ふさぎの虫」

ロシア語 → 「トスカ」

ポルトガル語 → 「サウダージ」

アメリカ → 「ブルース」

韓国語 → 「恨」(ハン)

中国語 → 「悒」(ユウ)

私もひどい鬱状態で1年半ほど苦しみ、今でも「ふさぎの虫」がムクムクと出てくる気配を感じる時がある。

大ヒットした漫画「うつヌケ」では以下のような描写である。

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誰でもこのような黒いスライムのような「ふさぎの虫」が潜んでいることを私の高校生時代に教えてくれる人はいなかった。

五木さんは「ふさぎの虫」にとりつかれてしまった場合の対処法を経験から語ってくれた。

それは、なんと純朴な灘高生徒に対して赤線(売春街)の話だった。
五木さんは現実の暗部も高校生たちに真摯で誠実に語ってくれたのだ。

それは22才頃の五木さんが池袋の赤線で売春婦の少女と一晩過ごし、寝過ごしてしまい少女が消えていた話である。

起きた五木さんは靴下に隠した有り金の全部を盗まれたと思った。

しかし、その少女はお釣りを靴下の中に律儀に置いていった。

当時の五木さんは感動し、靴下の中にお金を隠した自分が卑怯なくだらない人間に思えたそうだ。

「人間はやっぱり信じるに価するんだ。」

どんなにひどいことをやっていても、人間の中には正直さ律儀さが残っている。

こういう体験は100冊の本を読むより大きく、お金で女性を買おうとする愚かな自分という人間もいる。
それと同時に、そんな男の相手を勤めながら約束どおりの金額しか持っていかない女性もいる。

こういった体験が自分の人間観に大きく影響を及ぼしていて、人を育てる。
知識だけでは「ふさぎの虫」をおさえることができない。

灘高校生に五木さんはこのように語っています。

みなさんは人生の目標に向かって励んでいくなかで、なんともいえない鬱状態にぶつかることが必ずある。
そういう時にどう考えるか?
考えてもしようもないけど、そんな自分を支えてくれるものは何か?
支えてくれるのは結局、それまで生活で触れ合った人間とのささやかな出来事で、そこから人間への信頼を取り戻す以外にないのだろうなと思います。
自分が実際に体験した人間との触れ合い、普通は見過ごしてなんでもないと思う物事に、実は人間存在についての非常に貴重なヒントが隠されている。


私も五木さんと同じように思えた経験がある。

IT系の会社で鬱状態となり、投薬治療や鬱病関連の書籍から学んだ認知行動療法などをやっていたが完全に回復はしなかった。

そんななかで、就職を決断し測量会社の就職面接に出向いた。

2回目の面接で、
「結果は後日連絡します。」
と言われ、帰り支度をしていた時だった。

その会社の社長さんが唐突に私にむかって言った。

「現場に出てお日さまを浴びて仕事すれば、元気になるよ。」

「ここの連中はハートがいい奴ばかりだから、安心してもいいと思うよ。」

この言葉で私の心の「ふさぎの虫」が退散し、ずいぶんと気が楽になった。

面接では鬱病のことなどいっさい話していなかったが、社長は見抜いていたのだ。

そして、私は会社に勤めることが正直怖くてしょうがなかった。
内定の連絡がきても、その社長の言葉がなければ辞退していた可能性すらあった。

なにげない社長の一言で、私は救われ一歩を踏み出す勇気がでた。

まさしくもう一度、人間を信じてみようと思えたのだ。

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灘高校に入れる学力などないが、この本を読んでつくづく灘高生が羨ましく感じた。

70歳多く生きてきた五木さんの言葉は、彼らの人生おいての大事な「お守り」となり、未来を輝かせる礎となるであろう。



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