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歴史小説「Two of Us」第3章J‐5

~細川忠興父子とガラシャ珠子夫人の生涯~
第3章 本能寺の変以後から関ヶ原合戦の果てまで
    (改訂版は日本語文のみ)
    The Fatal Share for "Las abandonadas"


J‐5

 抹茶入りの緑茶を飲み干してから、ぽつりぽつりと、窪田次郎左衛門は、語る。

「藤孝様は、『必ず、十兵衛殿の血は残さねばならぬ』と仰せでした。『代々、細川家によって、明智家の血統も残して行かねば』と。

 忠興様は、織田信長様をたいそう敬っておられたが、『秀吉様はどうも好かぬ』と仰いました。
『好かぬが、我が細川はこの乱世を乗り切らねばならぬ。そして、まことに和平な世の中が参った折には、珠子と息子や娘の家の者達と、なごやかに茶をたしなみ、酒を楽しんで、書物を綴り、暮らしたい』と、仰せでした。『その為に、今闘い、勝ち続けるのだ』と。」

 一色宗右衛門も、再び後を継いで口を開く。

「わたくしは、策を張る秀吉様や、出番を躊躇して待っておられる腰の重い家康様に比べて、明智の殿はまっすぐ過ぎたのだと思います。

 様々な武将から、とてもとても皆に信頼の厚いお方だと伺いましたが、それだけに皆が寄ってたかってけしかけた感じがどうも、ぬぐい切れませぬ。
『律』と『儀』を重んじるお方は、時に己の使命にさえ意し志すものでございます。
 意図せず皆が、同じことを明智の殿に託していたのではないかと。

 信長様のご気性ですから、己の目指す所へ突っ走り、悪しき目が出た折は周囲や配下の者を顧みない暴走は、誰かが止めなければなりませぬし、指示通りに活躍できない者への対処には、お人柄が出てしまいます。明智様は配慮を忘れず期待に応えようとされる方に存じます。
 我が一色家は明智によって落城された身ではございますが、無駄な殺生はせぬと。生きて力になってくれと、仰いました。
 それ故こうして細川様の配下として生きておるのです」

 7名が7名とも、しばらく黙り込んだ


桜の季節の福知山城本丸
@京都府福知山市


 あなた細川珠子は、となりに座する侍女清原の膝に軽く合図した。

 清原は頷いて着物の胸元から和紙に包まれた少し厚めの書状を取り出し、あなたに差し出す。中身を承知している上で、そのまま両掌に乗せ、静かに告げる。

「こちらの書状の中には、斎藤利光殿の子女である、稲葉家の者から受け取りました文がございます。父上が、水無月の一日に綴られ渡されたとのことです。
 私が受け取り、忠興殿か、不在の折は義父上藤孝殿にお渡しするように、と申したと受けております。池田六兵衛殿からお渡しくださいませ」

「承知いたしました。このまま、お渡しすればよろしいのでございますか?」
「さようでございます」
「御意」


 あなた珠子は複雑な笑みを浮かべながら、でも暗い表情でもなく穏やかに伝える。
「さほどの文ではござりませぬ。わたくしも拝見いたしました」

 6名皆が両側から中央のあなたを一斉に見つめた。
「ただ一言。《あとは まかせた》それだけです」


 侍従の小笠原少斎侍女の清原帯刀を隠すお梱を持つ者にも、同じように黒豆大福と緑茶を、おしなべて与える4名。これは甘党の細川家の習慣でもある。
 忠興は幼い頃から、この皆でくつろぐ茶菓子の時間がとても大好きだった。身分も歳格好も関係なく、皆で歓談する茶菓子の時間。口数少なくともアンコが取り持つ笑顔の、忠興

 丹後のトップ武将の宮津城主細川忠興の妻である、あなた珠子は思い巡らす。逆賊扱いを受けた亡き父明智光秀の志を、誰が継いでくれるのか。我が夫忠興忠隆を支え、共存や支持、仕えまた導くのは、どなたなのか。
 穏やかな和平な日々はいつからなのか。。。❓


 それでもこの由良川沿いに分水嶺を越え保津川、桂川、淀川となって太平の洋海に流れこむ水流は、変わらずに停まらずに流れる。
 川沿いの街が戦場(いくさば)と化しても道端の草花を咲かせている。

「、、、生きておれば、、、いつか、良きことがござります。きっと」

 あなた珠子が雲一つない快晴の青空を見上げると、皆一様に他6名もお付きの者も、おもわず青空を見上げた。



細川ガラシャ珠子像@宮津市



ーーー to be continued.

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