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「だいじょうぶ」が聞きたくて。

私は心配性な子どもだった。
鮮明に覚えているのが、小学校の夏休み初日のこと。
長い休みが始まったばかりだというのに、「あとどのくらい休みが残っているんだろう…」と初日から不安になった。

私は心配になる度に、祖母に聞いた。
「ねえ、夏休みまだなくならない?だいじょうぶ?」
その度に、祖母はケラケラ笑いながら力強く言ってくれていた。

「だいじょうぶ」

私の中で、ばあちゃんの「だいじょうぶ」は、言葉の魔法みたいだった。
それを聞くとすごく安心することができて、途端にやわらかい気持ちになった。
記憶では、私は1日に何度もばあちゃんに同じ質問をしていたのだけれど、
その度に、同じトーンで「だいじょうぶ」と私の目をしっかりみて返してくれていた。

言葉は色々な人と毎日たくさん交わすけど、「ちゃんと自分に向けられたあたたかい言葉」は、その人を長く支えるものになる気がしている。

母になった今、どちらかというと繊細な双子の娘たちが、さまざまなことで「ねえ、ママ、だいじょうぶ?」と聞いてくる。
忙しい時は、思わず気のない「だいじょうぶ」を返しそうになってしまう。
でも、その度にはっとするのだ。

そうだ、私も、ばあちゃんの「だいじょうぶ」がいつでも聞きたかった。
だって、言葉は魔法だから。本当に大丈夫なんだって思えるんだよね。
そう思いなおして、家事の手を止めて娘の目を見る。

「うん、だいじょうぶだよ」

その言葉を聞くと、にこっと笑って満足そうにまた娘が遊びだした。
大人になった今も、不安になることはたくさんある。
その度に、私は、ばあちゃんの「だいじょうぶ」の声の記憶が蘇る。
大切な記憶で、私は作られている。


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