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Ladyboys

   昨年、クリスマスプレゼントを買いに近所の本屋さんに行った時、手に取った本です。
 ストレートなタイトルと表紙の写真に惹きつけられて購入することにしましたが、読んでみると知られざるタイのladyboyの実態を描いた、衝撃なディテールも多く含まれた本でした。九名のladyboys本人による告白の形式で、彼女達それぞれの生い立ち、ladyboysになった経緯や葛藤、苦悩、そして楽しさが赤裸々に描かれていたものです。

生きるため

 出版されたのは16年前の2008年でしたので、登場した方々のストーリーは今のタイ社会でも通用するかは確信できないですが、1930年代から1980年代の間で生まれた主人公達のお話でしたので、少なくともその時代の一部のタイ人の生活状況は見られたと思います。
 九名の主人公の中、大半の人はタイ農村部で貧しい子供時代を過ごし、多田んぼで水牛を使って家の農業を手伝っていました。父親が不在の家庭、父親がアヘン中毒になってDVをする家庭、農業をしながら小さな屋台を営んで八人の子供を育てる母親のもとで育てられ、生活するためだけでも精一杯で、教育を受けるのは贅沢でしかないような子供時代でした。
 バンコクで働く親戚を見て一生水牛と田んぼで働く自分は想像したくく、バンコクに出稼ぎに行きますが、そこからladyboyへの道が始まったのは
大半の彼女達の共通したスタートでした。
 舞台でパフォーマンスする人と、ladyboysに対してそうイメージをし、パフォーマンスで収入を得るためにladyboysになったんじゃないかと思う人が多いかもしれません。
 しかし、そうは言えないようです。
 ファッションライターやCA、ムエタイボクサー、起業家など、実は職業が様々です。表でわかりやすいのはパフォーマーですし、ladyboysの職業として多く認知されています。ただ、パフォーマーになった人も、パフォーマーになるためにladyboyになったのではなく、ladyになりたい願望が子供の時からありつつ、都会での職探しに出会った人、周りの環境と様々な要素と絡んで押しつつ押されつつ、ladyboyを選択するようになったと見えました。

女として

 いずれも女性になりたい願望は子供の時代からあったと主人公達が振り返ります。女性に憧れ、学校や仕事で女性の格好をし、自分がその一員と信じる、強い気持ちを持ってladyboyになるために一筋向かう人がいれば、おされつつ緩く緩く気づいたらladyboyの道に踏み込んだ人もいます。彼女達は女性になるために心身ともに莫大な苦痛を耐え、波瀾万丈な人生を歩んできました。

 そして、女として生きていくのはどんな険しい道を選んだかを彼女達が証言します。 

 タイ社会では男性が主導地位にあり、女性はただ男性の装飾品として存在していると思われる。だから、家族は理解しくれなかったーーなぜ私が男性の優位性を捨てて、あえて地位の低い女性になることを選んだのか。

『LADYBOYS』

女性になるのは、家族の「面子」を潰す、つまり家族に恥をかかせることと言われた。

『LADYBOYS』

 セックスワーカーのladyboyは仕事の詳細を話していましたが、軽蔑、屈辱、貶めとしか言えないような内容でした。女の体から離脱して、「女」が一つシンボルになって、「女」というだけで軽蔑されます。Ladyboyになる前からフェミニな振る舞いで嫌悪されるし、ladyboyになって見た目が女性になっても嫌われます。女になるための改造で経験する身体の苦痛よりも耐えづらいのはミソジニーの目線でしょう。 

Ladyboysの恋

 あるladyboyは女として彼氏と付き合い始めたが、男だったことが知られて家族に反対されるという理由で別れを告げられました。あるladyboyは20歳年下の彼氏に男だったことを知られるも付き合い続け、外国に移住を果たして結婚しました。
 裏切られ、見捨てられ、Ladyboysの恋はもちろん苦いのも多いですが、「私」そのままを理解してくれる人を探しているという意味ではほかの恋とは違いはないと感じました。

最後に

 観光客で賑わう繁華街でよく見かけますし、タイはLadyboyにすごく寛容的な国と思われがちのではないでしょうか。しかし、彼女達の話からladyboyがタイ社会で向かう葛藤、反対、疎外は思ったより弱くはないと思いました。


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