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『美しい女シリーズ』:番外編 「美しさの位置づけ」


苗子はどんな人が美しいと思う?

中学の時に父が私に投げかけた質問だ。
続きはこうだった。

A.美人で、自分が美人だという事を理解して それを振りまいている人。
B.美人で、それをおごることなく保ち続けている人。
C.不細工で、でも自分では不細工だと思っておらずに 思い切り自分を前出しにしている人。
D.不細工で、自分が不細工だと 殻に閉じこもっている人。

今こうして並べると、なんという例えなのだと苦笑いが出る。が、父が言いたかったのは、この例え自体ではない事は中学生の私にも分かっていた。

私が出した答えはこうだった。
B―AとC―そして最後がD。

これは40を過ぎた今でも変わらない答えだ。


人の好きも嫌いも
綺麗も不細工も
素敵も素敵じゃないも…
人それぞれの感性によるもので、一概に線を引けない物である。
私にとってはとても魅力的な人だって、隣にいる人からすればそうでも無かったりする。
だから父の出した例えが、ちょっとおかしく感じるのは「美人」と「不細工」の概念が個々で変わってくるところにあるからなのだ。
しかしながら、それを一般的な目線で考える。モデルは美しい。これを基本に私も考えたわけなのだ。父は笑ってそうかと答えた。


誰しもがBを一番美しい人であると言うと思う。

それは、自分の美しさをあえて見せびらかしたりはしないからだ。父曰く、このカテゴリーに当てはまる人の中にオードリー・ヘプバーンがいる。これは私も納得できる。
これは、自分の美しさを知らない事とは違う。自分の美しさを知っているからこそ、自分ならではの芯を持ちながら凛と立っているという事だ。
どんな美しい人でも、穴はある。その穴を人と見比べる事をしない。その穴を自分なりの美しさに代えてゆく努力が出来る。それが美しいのだと私は思う。


AとCは同等に美しい。
ここは意見が分かれるところであろう。が、私はAもCも嫌いではない。むしろすごいと思うし、好きなのだ。

自分の美しさを前に前に出していって何が悪いというのだろうか。変に謙虚で、美しさを褒められて卑下している人より くるりと回って髪をかき上げられた方がよっぽど褒めた方も気持ちが良い。「白鳥麗子でございます」という漫画を読んだことがある人ならば、私が言う美しさを誇張している人のすごさに頷けると思う。私はこの手の人は美しさで成功すると思っている。モデルでもホステスでも、自分の美を自分で売ってゆく事が出来る人は、美を武器に代えてゆく事が出来るからだ。ただ、そこには武器ゆえに傷つけてしまう人もいるのは確かで、妬みやひがみなどだって半端ない。だからこそ、誇張出来る程の精神力を身に着けていなければ出来ない事なのだ。だからすごい。

そこまで美人でなくとも、自分では美人だと思い 前出しにしている人もあっぱれだ。前に述べたように、美人という枠は人それぞれで、自分が「美人だ」とそう思えるのならば、とてつもなくラッキーなのだ。自分を美しいと思うと、それを磨こうとする。それを最高の形で出していこうとする。そこがAとCに共通する美しさなのだと私は思う。
自分を好きでいる事…この二つの美しい人達はこれがとことん出来ているのだ。人がどう思うではなく、自分が信じる事を貫ける精神力と強さ。そして前出しにして行ける向上心。

同じくらいの可愛さの人達がいたとしよう。
二人ともドラマの主役のオーディションを受ける。
一人は自信満々に演技をし、もう一人は私には無理かも…という気持ちで演技する。
どちらが審査員の目に美しく映るのか。。。
それは外見でなく、内側にある自信なのだ。自信で美しくなれる。

AとCは、前に述べた自分たちの穴を改善しようと必死に頑張る。
それがメイクであっても、
ダイエットであっても、
整形であっても、
自分達の美しさを磨くことを怠らない。自分の美しさを前出しにしてゆくために…。だから美しい。


自分の美しさのなさに肩を落としている人は、原石だ。
可能性が他の誰よりもある事を知って欲しいと切に願う。
今は美しくないかもしれない。。。でも、殻に閉じこもっているだけだとしたら、何も変わらない。

学年でトップをキープする優等生は、簡単にトップにいるわけではない。
追い付く目標がない中で、漠然と自分と戦って努力を重ねなければならない。
それは、1位か そうじゃないかの2つの座席の椅子取りゲームだ。
しかし、100位だとしたら、目標は99もある。
99の中の一つの席を取る事で上に上がれるのだから、やってみなければ大損だ。

鏡を見て微笑んでみるのも良いだろう。どの角度が一番自分が好きな角度か?
髪形を変えてみるのも良いだろう。顔かたちに似合う髪型はいくらだってある。
新しいネールの色を試してみるのも良いだろう。気分だって変わると思う。
エレベーターではなく階段を使ってみるのも良いだろう。ちょっと体と気持ちが上向きになるはずだ。

可能性がどこまでもある人が、原石のままでいるのはもったいないのだ。
原石のままでは、この4つの部類の中で一番下。だからこそ、上を目指してみればよい。もう下に落ちる事がないのであれば、上を目指せばよいのだ。



これは内外見の美しさにのみ言える事ではない。
仕事だってそうだ。
Dは自分が出来ない出来ないと悲劇のヒロイン気分で泣いているのならば、よじ登って努力をしてみると良い。それはどんな努力だっていいのだ。
AとCは自分がうまいと思っている事をどんどんやって行けばよい。言われずとも努力を重ねる人は、その部門で飛びぬけること間違いない。極めてゆけばよい。
Bは、凛としていればよい。自分のスタイルを崩さずに、凛としているための日々の努力をしていればよいのだ。


美しさとは、どんな人の中にもある。それをどう心に掲げてゆくのか、どう飾ってゆくのか。自分自身に良く聞いてみるとよい。
そうすれば今日より明日、明日よりも明後日に必ずあなたは美しくなっているはずだから。

自分を美しいと感じてくれる人は、世の中に沢山いる。
今の自分の周りにそんな感性の持ち主がいないだけかもしれない。
だからこそ、そんな人に出会った時に慌てない様に…素敵に笑顔を向けられるように、自分なりの美しさを日々手にしたいと私はそう思っている。

美しさは自分次第でその位置付けをも変えることが出来るのだ。私はそう信じてこれからも輝いていきたい。

42になり、生まれて初めてファンデーションと言うものを購入しようか迷っている私がふと思った今日のテーマ。
(ファンデーションを塗って、果たして皮膚呼吸をし続ける事が私にできるのだろうか…疑問だ。。。)






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