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誰が為のシンボル

ペルソナとブランド

シンボル【symbol】
① 「象徴① 」に同じ。
② 任意に作られた、意味をもつ記号。
  (三省堂)


 ペルソナとは、人が演じるキャラクターのことだ。そうして用いられるとき、ペルソナは誰にとっても、その意味するところが明解なものでなければならない。ピエロの面が道化を意味することを理解するのが、誰にとっても容易であるように。

 ブランドとは、人に内在する表現意思を顕現させる手段のことだ。そうして用いられるとき、ブランドは誰にとっても、その表現するところが明解なものでなければならない。エルメスの鞄が高級であることを理解するのが、誰にとっても容易であるように。


 ペルソナとブランドというテーマを考察することで見えてくるのは、これらのものに通底している概念だ。

 そこにはいずれも、「誰にとっても意図するところが伝わる」という前提が存在している。すなわち「対象の象徴性」、換言すれば「シンボルとしての対象」が普遍的であるということを前提がある

 ピエロというシンボルが、またはエルメスというシンボルが普遍的でないとき、ペルソナという性質もブランドという性質も、等しく損なわれてしまうだろう。


 そんなわけで、今回はシンボルについて、一考。


シンボルになりゆくもの

 大衆は万人に共通な性質であり、社会においてこれといった特定の所有者をもたぬものであり、他の人々と違わないというよりも、自己のうちに一つの普遍的な類型を繰り返すというかぎりにおいて人間なのである。
 「大衆の反逆」オルテガ・イ・ガセット


 シンボルは普遍的でなければならない、ということは既に述べた。
 確立されていない未知のキャラクター、誰にも知られていない個人のブランドにシンボルとしての価値がないことから分かるように。

 世界に生まれた未だシンボルではないものたちは、大衆に需要されることを望むだろう。キャラクターは人々に認知されることを目指し、ブランドは人々に価値を認められることを目指す。

 しかし大衆は、理解しやすいものしか受容できない。複雑なものを理解できるのは常に少数の人々だけである。というよりも、複雑なものを理解できない人が総じられて大衆と呼称される。

 したがって、大衆に理解されたいと思うものは、自らを理解しやすいように記号化し、大衆に迎合していく。複雑な本質を持っている場合、それを選別し単純な記号になることを自らに課す。

 記号化されたものは、普遍的でないという点以外はシンボルに類似する。その意味するところが誰にとっても明解なものであるように、誰にとっても理解できるものであるようにと作られたものは、普遍的ではないだけでシンボルの性質を十分に備える。ここに普遍性が加われば、それはシンボルとなることができる。

 そう考えると、敷衍されることを志向するあらゆるものは全て、シンボル化することを終着として見据えていると、読み解くこともできる。

 在りのままでは、人々に受け入れられるには複雑に過ぎる。


複雑さへの回帰

世界とは凝縮された可能性で作り上げられたコーヒー・テーブルなのだ。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーワンド」 村上春樹


 シンボルはいつだって明解だ。
 それは他人と共有可能で、そのことについて話すこともできれば、それに対する思いを共感することさえ容易にすることができる。

 「関ジャニいいよねー!」「わかるー!」
 なんて会話を少し前には至るところで聞いたが、これもアイドルというものが一つのシンボルになっている例だろう。イケメンという記号に収束した、シンボルとしてのアイドルだ。


 けれども人が特別の感情をもつ対象は、往々にして記号ではなく、複雑さをもった何かだ。人が何かを愛するとき、それは誰にとっても単純で分かりやすいものではなく、他者にとっては容易に理解できない何かだ。


 大衆に志向されることを望んだ時、あらゆるものはシンボル化することを余儀なくされる。分かりやすくあれかしと、その身に呪いを背負う。

 けれども個人に志向されることを望んだとき、あらゆるものはシンボルの呪いから解き放たれる。在りのままであれと、その身の呪いが解かれる


 シンボルが悪だと言いたいわけではない。シンボルの持つ普遍性はときに人に自信を与えもするだろうし、ときに多くの友人も生み出すだろう。

 けれども結局のところ個人においてシンボルとは、人生を通じて希求する最終的なものには、成り得ないのではないかとも思う

 誰とでも分かち合えるものは、どうやっても自分だけのものにはしようがないし、所有できないものに特別の思いは持ち難い。


 ペルソナは有用だ。ブランドも有用だ。
 けれどもそれを追い求めるだけの人生はきっとつまらない。

 すべての人に理解されずとも、誰かにとって理解される存在であればいい。
 そんな思いを抱いたとき、僕たちはシンボルと決別し、きっと新たな成長のステージへと歩みを進めていくのだろう


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