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「ねばねば思考」にさようなら👋

日常で、「こんなふうにならなきゃ」「話上手にならないと」と焦ったり、「仕事が早くできるようにならないと」と周りと比べたりすること、ありませんか? 
わたしは、つい最近までその一人でした。 

何に対しても、「〜せねばならない
「社会人になったのだから、こうあるべき」という、
社会の目〉というとっても抽象的な存在をモノサシにし、自分を縛っていました。

でも、実際問題、ひとの性格はすぐには変えられません。持って生まれた先天性の気質や、環境因子、家族因子など様々な要因が関係しあって、今のあなたがいるからです。

それを、無理に変える必要は全くなくて、「あなたらしさ」が求められる時代に、自分を見失うのはもったいない。

「あなたは、あなたのままでいいんだよ」
たとえ、たった、一人でも。そう言い続けてくれる存在がいれば安心ではないですか?

わたしが自分をこんなふうに許せたのには、いくつか理由があります。

①単純にモヤモヤ悶々してる時間がもったいないと感じ始めた

②ぐるぐる、ネガティブなことを考えても(たとえそれが必要だったとしても)現実に起こる問題かなんて誰にもわからない

③わたしが今、目標としている方は物の考え方がポジティブだから、その人に近づきたい

という思いや考えから、わたしは、自分のために自分を許すことに決めました。
学校や社会は、〈欠点があってはならない。完璧な人しか求めない〉みたいな風潮があるのではないかと感じます。進学塾のように、成績や業績だけで人を判断し、その人の人柄や性格を知ろうとしないような…

もし、仮に。勉強や学力だけで人生が決まるなら、物の考え方は必要ない。

勉強だけで物事をジャッジされる社会に飲まれたくない。

多角面な考え方、その場にあった判断。
人を許し、理解する力。共感力。受容力。色々な物事の捉え方をできるようになりたい。

まだまだ、考え方が「ねばねば思考」から抜け出せなかったり、人と比較して落ち込んだりすることもある。だけど、その度に「本当はどうしたかったのか」「その考え方をしたことで得られるものは?」と常に自分に問う。

その思考ぐせをつけていくと、だんだん「〜べき」
「〜ねばならない」「こうしないと」という考えから抜け出せることがある。

自分にしかわからない答えがある。
人にアドバイスを求めていても、自分の中で結論は、もう出ている。
「正解か不正解か」「シロかクロか」で答えを求める社会だから、それがあっているか不安。

でも、自分を信じる相手は、自分だけ。
さぁ、これからも。
自分がたった一人、己の味方でいるために。
動こう。不安と闘いながら。 

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