HSPの市民権がほしい。

私はたぶん結構HSP、High Sensitive Person(高度な感覚処理感受性)の人で、簡単な日本語だと、人一倍敏感な人と言われているタイプのようです。

何事にも度合いが存在するように、その敏感さは人によって全然違いわけですが、私は敏感さが割と強い方だと思います(もっと強度の方はたくさんいらっしゃいますが)。

この間までそんな自分を否定して、HSPでない人のように振る舞ってみました。すっげーキツかったです。本来の自分でないことをしているのですから、当然です。私のHSPとしての特性はどんなもので、また何をどうしたらHSPでない人のように振る舞えたのか、ということは、長くなるので今回は割愛し、いずれお話ししようと思います。とにかく、そのすっげーキツい時期も終わりを迎えているようで、ようやっとその時期に学んだことをまとめて、自分の本来の性質を全肯定し、自分の性質のままの自分で世界に何ができるのか問いながら、歩き始めようとしているようです。

そして、私が今思うことは、HSPの市民権がほしいなーということです。情報社会でその存在も結構明るみに出てきたと思うので、たぶん私もその波に乗って、そういった性質を持つ人間の一人として、その性質について語れたらと思います。なぜなら、HSP性質の人は、痛みを感じやすく平和主義で、本当にすばらしい性質を持っているにも関わらず、不当に抑圧される場合が多く、そしてその抑圧も受け入れがちで、声を上げて主張する場合が割と少ないからです。少ないから、声が反映されにくい、そしてまた不当な抑圧を受けて苦しむ、生きにくくなる、その辛さ苦しさの悪循環を、少しでも緩和したいというのが私の願いです。

HSPであってもなくても、人は個々にそれぞれすばらしい。そして、だれもがその特質を持っているのなら、それを肯定し合い、活かし合うことが、なんだか素敵だなあと思うのです。効率も良さそうだし。そして、私はHSP(他の要素ももちろんありますが)の特質を活かして、自分のできる範囲で、世界の役に立てたら、何かの手助けができたら思っています。ぶっちゃけ自分の特質もまだはっきりしていませんし(最近まで自己否定訓練期だったので、特質理解を忘れてしまいました)、大それたことができるとも思いませんが、小さなことでも声を出していきたいなと思った次第なのであります。というのは、たぶん私はHSPの中でも比較的自己主張が強い方で、周りからの非難の処理もある程度体得したし、体力もあって、消耗しやすいけれども自分のスタミナである程度補えているという面があるようなので、こういう形で文章を書きたいと思ったのだと思います。

ただ、ひとつ気をつけたいのは、私がそうなのですが、ずっとHSPを理解できない方に、精神的に抑圧されたり非難され傷つけられてきた(HSPを理解できない方に、実は悪気はないのです。傷つけようと思ってやっているのではなく、傷つくということはどういうことか、安心や信頼とは本来何なのかを本当に知らないだけというのが大半だと感じています)という記憶があるので、どうしてもそれへの不満や恐怖や憎しみというか、そういった感情が芽生え、HSPを理解できない方に対して叱責や攻撃や失望などの負の気持ちが強くなってしまいます。それは、よくないなと。そして、理解できないという方に対して、私の考え方を押し付けたくもありません。ただ、HSPを知っていても知らなくても、その方に私のできる最高のパフォーマンスで、私にお手伝いさせていただけることをさせていただきたいという意識を強く持つことが大切だな、とここ最近思った次第であります。そして、あわよくば理解がある方と想いを共有・肯定し合い、自分を癒しながら、邁進したいと思うのです(HSP、というか私は、人との共感・共有・相互の肯定といった状況で、安心を獲得し、心身を癒せる性質なので、そのような時間が必要なのです)。


もう少し、人同士のいろいろな性質について、「あー、そうだったんだ!」という理解を、私もそうですし、もっともっとしていけたらいいなと思うだけなのです。そして、それをしたいな〜という感覚に対して、私にできる行動は、自分の性質を語ることなのかもしれません。


また何か、書いていきます。

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