「今日飲みに行きませんか?」
「今日飲みに行きませんか?」
僕からこのような連絡をするのはいつぶりだろうか。
ただ今日はなんとなく飲みに行きたい気分、
なんとなく話したい気分、
なんとなくその人に会いたくなった気分。
大学時代の先輩だけど、どこか色んなことを話したくなるような人。
最後に会ったのは僕がまだ”色んなこと”を経験する前、4月。
それに気づいたのは僕が連絡をして、LINEを遡っていた時だった。
「そんなに会っていなかったんだ」
そう思いながら、最後に会った時を思い出す。
新宿でたわいもない話をしながら飲んだ。なにを話したのかは覚えていないが、ただただ笑っていたんじゃないかな。
連絡が返ってきた。
ダメ元だったが、「OK」の連絡がきた。
その瞬間、ワクワクした。胸が踊っていた。
*
居酒屋で僕たちはお互いの近況を話していた。
色んな話をお互いにした。
今まで何回か飲みに行ったが、一度もしなかったような話。
そんな会話がこの先輩とできるようになったのかと嬉しさを感じた。
その中で、僕の鬱の話になった。
いつも話していることを話す。よく聞かれることが多いので、その通りに話す。
その話に対する反応を聞いて、いつもと同じ気持ちになった自分がいた。
「みんな、鬱のこと勘違いしている」
と。
「鬱になったことないから分からない」
「鬱になって大変だったね」
違うんだ。そうじゃないんだ。
その言葉を聞くたびに、間違いなく、鬱と鬱じゃない”隔たり”(カベ)が彼らの頭の中に存在していることに気づく。
大きな大きな壁。
鬱という世界はもうその高さのせいで、見ることができない。
自分は違う、自分とは関係ない。
その妄想や固定概念で塗り固められたカベは歳を重ねるごとに大きくも、高くもなっていく。
おそろしい。いつもそう思う。
何度も言うが、鬱は日常的なものだ。誰にでもなり得るものだ。ただ体の病気と違って、目に見えないため、説明が非常に困難なのだ。分かりにくいのだ。さらに心の病気に対する我々のハードルも相まって、余計に複雑にしている。
この隔たり(カベ)を僕は取っ払いたい。
誰もが鬱になる可能性があることを伝える、誰もがもっと心の声を聞いて、正直に生きてほしい、生きやすく生きられる世界にしたい。自分も含めて。
この隔たりをなくさないといけないなと改めて今日思った。
ブログを始めた時に書いた「一番読んでほしい人は親と小中高大学時代の友人」
これは今でも変わらない。身近な彼らが僕を通して、心を知り、鬱を知ることが一番の近道だと。TVで見ても、自分ごとにはできないが、近くの友人が事実として話した時に自分ごとに感じ取れる感覚だ。
ただ僕は今まで(今も)正直、友人に会うのを避けてきた(いる)。
でも本当にこの現状は変えたい。別に誰かの為とかそういう綺麗ゴトと思わなくて結構だ。僕は僕自身が、幸せに生きる、正直に生きるために変えたいだけなのだ。
その為には文章だけではなく、彼らと実際に会い、時間をかけて、今まで出来ていなかった関係性を築きながら、伝えていくことが必要なんだと思ったのだ。
そして、その為にも、今まで通り、自分との関係性(理解や受け入れ)を大切にすることが必要だ。基盤になる部分だから、焦らずに時間をかける。
ゆっくりと。
*
色んなことを考え、感じた夜だった。
これから徐々に友人に会う機会も増やしていこうかなと思う。
そして、時間をかけて、対話していこうと思う。
ゆっくりとゆっくりと。