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くじで当たったぬいぐるみ

昔から、くじ運がなかった。「抽選」「応募」と名のつくものはほとんど外してきた結果、「どうせ当たらないから買わない(やらない)」がモットーになった。おかげで、宝くじは買わないし賭け事もやらない大人になった。

そんなわたしにも、忘れられない「当たり」がひとつある。子どもの頃、お祭りでやらせてもらったくじびきだ。あれで良い等を出して、もらったのが大きなキティちゃんのぬいぐるみだった。

嬉しくて嬉しくて、あのぬいぐるみはわたしの宝物になった。その夜、父が帰宅するなり玄関まで走って出迎えて、事の次第を説明したほどだ。

父はわたしが10歳になる前に家を出て行ってしまい、それから長い間会うことはおろか声を聞くことすらなかった。生きているのか死んでいるのかすら、子どもだったわたしには知らされず、ただときどき、母から長年の恨みつらみを聞かされる程度の存在になっていた。

けれどもたしかに、わたしは娘として父を慕っていた頃もあったのだ。父が好きで母が好きで、ただただ平凡で幸せな家族のかたちが、あの頃たしかにあったのだ。わたしのすぐそばに。

わたし達はやがてバラバラになってしまい、二度と元には戻らなかった。あのぬいぐるみもボロボロになっていったけれど、わたしはいつまでも手放さずにいた。ぬいぐるみに価値があったのではない。あれに詰まった思い出を捨てたくなかったのだ。だから何度「もう捨てたら?」と言われても渋った。取れかけたヒゲをセロハンテープでくっつけて、「まだ平気」と言い続けたのだ。

帰宅した父親を子どもが走って出迎えるような、そんななんでもなく穏やかな時間が、たしかにあった。わたしからはなくなってしまったけれど、だからこそ自分の子どもからは取り上げたくないな、と思っている。

今回のお題「ぬいぐるみ」「走る」

#脳トレマガジン #エッセイ #日記 #育児 #子育て #思い出

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