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『妖怪百物語』『怪獣大戦争』『東海道お化け道中』怪談の定義と殿のご乱心!

すててこや百鬼夜行のしんがりの   佐々木六戈


『妖怪大戦争 ガーディアンズ』8月13日公開! 応援企画1

怪談映画とはなんなのか。ホラーとどう違うのか。それとも同じなのかを考えてみたい。

結論から言うと、ホラーと怪談は別ものである。
というのも、ホラーは画や音で怖がらせることに重きを置いているが、この怖いという感情の正体は、「驚く」も含まれている。一方の怪談は、人間の情や欲望、怨念の先に存在する恐怖を描いているのだが、今回取り上げる「大映妖怪三部作」を見てみると、そこら辺のことがよく分かる。
(余談ではあるが、Jホラーと言われる日本のホラーが、海外でも評価されているのは、「怪談よりのホラー」だからではないかと思っている)

では、本題です。

まず簡潔にあらすじを言うと、『妖怪百物語』は、「百物語をした後に憑き物落としをしないと妖怪が出てくるぞ」、『怪獣大戦争』は、「西洋の妖怪が、人間の姿を借りて、日本を征服くしようとするのを、日本の妖怪が食い止める」、『東海道お化け道中』は、「父を訪ねて東海道」と、ざっくり言うとこんな感じで、いずれも江戸時代。

よく時代劇にあるような、人情噺――借金の形に娘をとか、顔も知らない父親を訪ねてみると実は・・・・・・といったもので、多くの時間を、この人情噺に割いている。特に『東海道~』に関しては、ほぼほぼお化けは出てこない。

これがホラーであれば、ブーイング間違いないのだが、先に述べた怪談の定義に照らし合わせると、これは必然なのだ。
人の業、欲と地続きになっているのだから、人情を描かないと、彼ら(妖怪)の立つ瀬がない。この人情噺と妖怪部分の配分は、他の『東海道四谷怪談』などを観ても同じようなものなので、これが怪談映画の定義であり、黄金律なのだろう。

ところで、よく時代劇などで見られる「殿のご乱心」
気がふれたように、刀を振り回したり、意味なく家臣を切ったりするあれ。あれは、きっと他の人には見えないが、当人には妖怪が見えているのではないかと、怪談ものを観ていると感じる。


すててこや百鬼夜行のしんがりの   佐々木六戈

百鬼夜行とは、夜に徘徊する妖怪の群れ、もしくは行進のこと。『怪獣大戦争』のラスト、日本の妖怪たちの行進の場面がある。今作は全体的にコメディタッチであったが、それは河童の存在が大きい。この句にもそんな面白味がある。きっと妖怪って、怖いというより、こんな感じなのだろう。もちろん、悪いことすれば恐怖の存在となるだろうが。

『妖怪百物語』(1968)
監督:安田公義
脚本:吉田哲郎
出演:藤巻潤/高田美和/平泉征/坪内ミキ子
『怪獣大戦争』(1968)
監督:黒田義之
脚本:吉田哲郎
出演:青山良彦/川崎あかね/大川修/神田隆
『東海道お化け道中』(1969)
監督:安田公義/黒田義之
脚本:吉田哲郎/浅井昭三郎
出演:本郷功次郎/保積ぺぺ/古城門昌美/戸浦六宏

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