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No.1 ノストラダムスの予言

No.1 ノストラダムスの予言
 ノストラダムスの世紀末予言に注目が集まっていた。人々は息を呑んでその展開を見守っていたことだろう。
 しかし、実際には「Y2K問題」として知られていた別の問題が存在していた。
 全世界のコンピューター日付表示が1999年から2000年に変わる際に、誤作動が起こる可能性がある。カウントが「0」表示になり、銀行や政府のコンピューターさらには各国のミサイルや飛行機の電子機器に異常が生じ、ミサイルが発射されたり、飛行機が各地で墜落するのではと、一部の報道機関も警戒していたのだ。

 当時私は26歳で、日本最大手のコンピューター部品関連の専門メッセンジャーとして働いていた。大阪中心部のコンピューター部品倉庫で待機して、コンビニや銀行などで扱われているメーカー機器に異常が起こると修理作業員が呼ばれる。そして、私は必要な部品を背負ってマウンテンバイクで急行する役割を担っていた。大阪市内だとバイク便よりも圧倒的に早く運ぶことができ、背中に背負っているため振動も少なかった。

 1999年から2000年に日付が変わる大晦日、私たちはどうなるかわからない緊張の中で待機した。日本最大手のコンピューターメーカーが言うのだから、世界中でも同じような心配はしていたことだろう。
 結局は、何も起こらなかった。カウントが「0」になる対策がしっかり施されていたからだと思う。
 そして、私はその年に海外を放浪することを決めていたのだ。

 2000年4月某日、私は弟と住んでいたアパートの荷物を全て整理し、デイバックひとつで萩の田舎へ向かった。長い旅になると高齢の祖父と祖母とは、もう会えないかもと思って、一緒にひと時を過ごすために訪れた。
 祖父と祖母は築100年ほどの古民家で小さなお好み焼き屋を営んでいた。
 私は小学3年生の頃、ここに住んでいたことがあり、半年間小学校にも通った。冬になると雪が積もり、大阪で育った私たち兄弟は小学校までの2キロの道のりを泣きながら歩いた。家の中も寒く、その当時は五右衛門風呂で近くの竹細工屋から貰ってきた端切れを火種にして湯を沸かした。火をつける時は、客が使った割り箸を使う。乾燥していて燃えやすいからだ。
 私は、火おこしが好きで毎日やっていた。
 竹は、油をよく含んでおりシューと音を立てながら高温でよく燃える。五右衛門風呂というのは、浴室は寒く風呂釜は熱い。底には丸く切られたスノコを敷き、浮かないようにズレないように入るのだ。そして薪で沸かした風呂は、体の芯まで温まる。
 今は五右衛門風呂はなくなり、プラスチック風呂釜にガスで湯を沸かすようになった。
 懐かしい思い出だ。
 毎日歩いてすぐの海に近い川で釣りをし、夕方には店に来る客とお好み焼きで酒を飲み、ひと月ほどを過ごした。

 そして、10年間会っていなかった父親の住む北海道へ向かったのだった。
 父親とは全く疎遠だった。でも、7つ下の妹だけは交流があり父の居場所を知っていた。彼女は高校生の一時期、父親の元で住んでいたこともあり、父親家族とも仲良くしていた。父親は帯広で、建設会社を経営していて別の家庭を持っている。3人の娘がいることも知っていた。
 父親の家では、私たち兄弟の写真がテレビの上に飾られていて、「お前たちには、お兄さんとお姉さんがいる」と家族に話してくれていた。最後に父親に会ったのは、私が高校生の頃だ。
 札幌空港から電車を乗り継いで、帯広駅のホームで待っていた父は、昔と変わらず恰幅がよく、
「よう来たな。」
と嬉しそうに私の荷物を持ってくれた。私も照れ臭く「久しぶり。」
のひと言しか出なかった。
 父の家は、広い庭の大きな家だった。
 玄関で出迎えてくれた奥さんも快く「初めまして」と笑顔で招き入れてくれ、小学生と中学生の娘3人も照れくさそうに出迎えてくれた。
 そこで、ひと月ほど滞在した後、私は終わりのない旅へと出発したのだった。


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