障がい児との「終わらない育児生活」の平穏な過ごし方
作業療法士として20年以上経ちますが、そのうちの6年間を患者さんの自宅を訪問してリハビリをする部署で過ごしました。
病気を患った患者さんや、介護をされているご家族と関わらせてもらった経験から得られたことは、仕事の充実だけではありません。
介護を行っている人、介護を受けている人が考えていることや感じていること。
それらは、障がいがある子どもと共に生活している僕にとって、今後の生活を考える土壌となっています。
障がい児の育児は、誤解を恐れずに言ってしまうと「終わらない介護」のようなものだと考えています。
障がい児の育児も障害者の介護も、生活場面のできないことを世話をするという意味では、ほとんど変わりません。
在宅介護の対象となる方の多くは高齢者であるため、ご本人が亡くなられたり体調の悪化で入院をされるという「終わり」があります。
一方、障がい児の育児には、生命維持にリスクがある場合を除けばそのような「終わり」はありません。
世話を受ける子どもは親よりも若いからです。
僕は「終わらない育児」に対して不安を感じていました。
子どものことを想う気持ちに偽りは決してないのですが、だからといって育児のために自分の時間を割き続けていく自信はありません。
いつの日か心の平穏が傾き、子どもにつらく当たってしまうことにならないだろうか。
そのような不安が頭を掠めたとき、思い出されたのが「介護を上手に続けている人」の所作です。
在宅介護では、途中で自宅での介護を諦めないといけなくなるケースがあります。
介護者が疲れ切ってしまって体調を崩したり、ストレスが蓄積して介護を続けることができなくなってしまったら、自宅で介護を続けることは難しくなってしまうからです。
介護を上手に継続しているご家族には共通点がありました。
それは、自分でできる介護の限界を意識していることです。
直接の介護は無理なくできる範囲に留めて、それ以上のことはサービスを利用したり、できないと割り切る。
自分でできる介護の限界地点に明確な線を引くことで介護負担に抑制をかけ、介護生活が途切れてしまわないように生活をコントロールされていたのです。
また穏やかに介護を続けられる方は、介護者自身の楽しみや気晴らしを軽視しない方が多いように感じられました。
病気の家族をサービスに預けている間に撮りだめたドラマを観たり、近場の大衆温泉でゆっくりしたり、日常のちょっとした楽しみを大切にされていたのです。
心が少し穏やかになる楽しみを生活のルーティンに入れておき、あらかじめストレスが溜まらないように予防策を講じておく。
介護を上手にされている人は、まず継続することを前提に介護生活におけるさまざまな案件を判断をされていたように思います。
「終わらない育児」も継続することを前提にデザインしていけばちょっと身軽になれるかもしれない。
そう考えると、育児生活に少しゆとりを感じます。
僕は子どもが産まれたとき、孤独から解放され心の底から安堵しました。
自分を必要としてくれる存在がいるということに何度も支えられ、子どもとの生活から日常の幸福を、今もたくさん受け取り続けています。
これからもずっと続く生活が今と同じままでありたい。
それが今の自分にとっての「終わらない育児」への願いとなっています。
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