見出し画像

音楽関連書紹介「論語」(土田健次郎訳注 ちくま学芸文庫)

※インターネットラジオOTTAVAで11/17(金)にご紹介した本の覚書です。

「論語読みの論語知らず」という言い回しがあるくらい、よく知られた東アジアの代表的な古典であるにもかかわらず、そもそも論語をちゃんと読んだことがないというのも寂しい話だと思って、ハンディな文庫版が出たのをきっかけに手に取ってみた。
巻末あとがきを含めると700ページ以上とすごい分厚さだけれど、要するに箇条書きの教訓集である。各項目は原文、書き下し文(声に出して読める)、現代語訳(意味を理解できる)、補説(内容を味わえる)がセットになっていて、大変読みやすく編集されている。
こういうものは、最初から最後まで通読するというよりは、ランダムに目についた項目から毎日少しずつ読んでいくのがいいだろう。古代中国の書物でありながら現代人にとっても役立つ警句として生かせるものも多く、たちまち「論語」が身近なものになってくる。
「子いわく」(先生はこのように言われた)という書き出しの項目が多いのは、孔子とその弟子たちのやり取り、師弟関係の対話のなかから本書が生まれたことに起因する。古臭い聖人君子の道徳の書という先入観からは良い意味で裏切られる。読んでいると、孔子は大変尊敬されていたけれど、率直で謙虚で親しみやすい先生でもあったのではないかとも思えてくる。

本書を音楽関連書としたのは、音楽についての項目が意外に多いことに気が付いたからである。たとえばこのような言葉がある。

「子曰く、詩に興り、礼に立ち、楽に成る、と」(先生が言われた。詩の学習から始まり、礼の講習で一人前になり、音楽の修得で完成する)※295ページより

礼儀正しく調和を重んじる人間になるための学びの過程において、音楽を身に付けることがどれほど重要であるかが示された一節である。
次のこの言葉も面白い。

「子 斉(せい)に在りて韶(せう)を聞くに、三月(さんげつ)肉の味を知らず。曰く、図らざりき、楽を為すことの斯(ここ)に至らんとは」(先生が斉にいて韶の音楽を聴いてから三ヶ月の間は肉を食べても味がわからないほどであった。そして言われた。「予想しなかったよ。音楽を演奏することがここまでになるとは」)※256ぺージ

要するに、孔子は素晴らしい音楽を聴いて感動のあまり3か月も肉の味がわからないほどだった、ということである。いい演奏を聴くということは、本当はそういうことだろうと思う。つまり、3か月間、孔子は一度聴いた音楽を生々しいものとして味わい続けていたのだ。

孔子が音楽について述べた項目はまだまだたくさんある。礼と音楽を結び付けた「礼楽」という考えも随所に示されていて、これは雅楽や一部の現代音楽にも大きな影響を与えているといえるだろう。音楽とは必ずしも感情を表現するロマンティックなものばかりではない、という当たり前の事実に気づいておかなければならない。
孔子は音楽とは美を尽くすだけではなく善を尽くすべきであるとも言っているが、これにも共感を覚える。良い音楽とは人を善い方向に導いてくれるものである。むろん、ヒエロニムス・ボスが「快楽の園」に描いたような地獄の音楽もぜひとも聴いてみたいものだと思うが、同時に孔子の考えにも強く惹かれる。
ともあれ、音楽や人生についての意外なヒントを見つけることのできる一冊である。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480511959/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?