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【全文無料公開】 『会社を使い倒せ!』 #6 会社初の試みをいかに実現するか。

第6章
会社初の試みをいかに実現するか。


失敗は必ず次に活かす。

 2015年2月、博報堂でモノづくりをするプロジェクトチーム「monom」の設立が対外的に発表されました。
 前年の春、ミラノサローネから戻って思いついてから約10カ月、僕がやりたかったことは、とうとう本格的に始動することになりました。
 ただ、この時点ですでにmonomとしてのモノづくりはスタートしていました。
 3月にアメリカで行われるサウス・バイ・サウスウエストという音楽・映画・最先端テクノロジーを複合した大規模イベントで、monomの第1弾、第2弾のプロダクトを発表することになっていたからです。
 それが、「iDoll」(アイドール)と「Memory Clock」(メモリークロック)でした。

 「iDoll」を共同で開発したのは、先にも紹介したユカイ工学。僕が真っ先に、何か一緒にやりませんか、と社長に会いに行った会社です。
 「iDoll」は、手のひらサイズのロボットドールです。外側と中身のソフトウェアを変えれば、いろんなキャラクターのロボットドールになるというものでした。
 使う人の声に反応して、音声と動きでコミュニケーションをしてくれる、今でいうスマートスピーカーに動くロボットを組み合わせたようなものです。当時すでにアメリカでは、アマゾン・エコーが発売されていました。
 週1でミーティングをしましょう、とはじまったユカイ工学との共同開発でしたが、実は3回目の打ち合わせのときに、すでに「iDoll」の企画は出ていました。
 当時はソフトバンクの「Pepper」などのコミュニケーションロボットが出はじめた頃だったのですが、これからはもっとパーソナルなコミュニケーションロボットが求められるようになっていくのではないか、というところから発想したものです。
 すると、たまたまその次の月に、ユカイ工学にこうしたロボットの機構開発を得意とするエンジニアが入社してきました。そこからはトントン拍子でした。
 サウス・バイ・サウスウエストでの発表後、さまざまなキャラクターへの展開が可能な手のひらサイズのロボット、ということで大きな話題になりました。

 ただ、結果的に「iDoll」はプロトタイプはつくったものの、商品化には至りませんでした。
 キャラクターの権利関係などが複雑だったこともありましたが、どうしても単価が高くなる、ということがいちばんの課題でした。
 10万円台にまで下げることも可能でしたが、それだと届けたい人たちに届かない。一部のお金を持っている熱狂的なファンだけが買うものになってしまう。
それは、世の中に向けた新しい提案としては弱いのではないかと感じ、いったん開発を止めることにしたのです。
 もともと、まずは10つくろう、失敗があるのは当然で、それを学びにしよう、と考えていたので、第1弾が商品化されなかったショックはありましたが、無理はしませんでした。
 なによりmonomをはじめるとき、何かかたちにして見せないと、と思っていたので、その意味で、最初はとにかくスピードが重要でした。
 やってみないとはじまらないのです。実際、「iDoll」の開発や商品化のチャレンジを通して、いろんな学びを得ることができたと思っています。

 もうひとつの「Memory Clock」は、壁掛け時計にスマホなどで撮った写真が映し出される、というものです。
 これは「家族」をテーマに企画したものです。スマホが普及し写真を撮る機会は増えましたが、一方で、家族で写真を見返す機会は減っている、と感じていたのがきっかけでした。
 その原因としては、写真をプリントしなくなったり、写真の枚数が多すぎたり、そして、個人のスマホの中に写真がある場合、家族みんなで一緒に見るには画面が小さすぎるということがあげられます。
そこで、家族みんなが見るリビングの壁掛け時計に、ふとした拍子に家族の写真が映し出されたら、そして、その写真が撮られた日付と同じ日に映し出されたら、一枚一枚の写真に日付や時間という見返す意味が生まれるのではと考えました。
 「Memory Clock」は、こちらも先に紹介したイメージソースと共同で開発したものです。
 コンセプトの面白さは、各方面から評価してもらいましたが、「Memory Clock」もプロトタイプのみで、商品化には至りませんでした。
 課題はやはり価格でした。壁掛け時計とはいえ、中身としてはパソコンに近いのです。そうすると、価格がどうしても高くなってしまう。
 ハウスメーカーなどの企業から、コラボレーションしたいという働きかけもありましたが、価格面で折り合いがつきませんでした。
 大きなメーカーが、巨大資本を投下すれば、より安くできたのかもしれません。
 ただ、モノづくりが本業ではない博報堂には、いきなりそれは難しい。このことは、ひとつの学びでした。
 また、プロトタイプの段階で、ムービーやウェブサイトをつくって発表する、というプロモーション方法についても、このときに学びました。
 新しいものをつくるとき、市場性を測ることは、とても難しいものがあります。調査をすることはできますが、それだけでははっきりしません。まったく新しい機能や体験のものだと特に確かめることは簡単ではない。
 それよりも、まずは発表してしまって共感する人たちを集め、それを追い風にすることによって、市場性を実感しながら商品化に進むことができる、ということに気づいていきました。とにかく共感する人を増やしていく、巻き込んでいく、ということです。
 こうした一連の学びが、次の「Pechat」に結実していくのです。

上「iDoll」(2015)/下「Memory Clock」(2015)
monom発足と同時に発表したふたつのプロダクト。いずれもプロトタイプのみで商品化には至らなかったが、コンセプトは高く評価された。

これだ!と思ったら前しか見ない。

 2016年3月、monomとしては2度目のサウス・バイ・サウスウエストで発表したのが、「Pechat」でした。
 当時は3つのチームに分かれて、商品開発の検討を推し進めていました。「Pechat」は、そのうちのひとつのチームをきっかけにアイデアが生まれました。
 なかなかアイデアが出てこなかったのですが、ちょうどメンバーのなかに子育て中の人がいて、「親子」というテーマが出てきたことがヒントになりました。
 詳しくは、第4章の冒頭でもご紹介しましたが、正月休みに母の故郷の徳島で思いついたものを企画書にして、年明け最初のミーティングで「これはやろう!」と言って、やることにしたのです。
 その前年、初めて参加したサウス・バイ・サウスウエストで、博報堂DYグループの会社でウェブやデジタル系の広告企画制作などを行っている博報堂アイ・スタジオのメンバーと出会っていました。
 彼らは、新しい技術を使ってサービスや商品を開発するプロジェクトチームをつくっていたので、それを思い出して、彼らと共同で企画・開発を行うことになりました。

 「Pechat」のボタン型のデザインは、実は企画の時点ですでに浮かんでいました。
 かたちを考えるとき、僕は、広告的な視点とプロダクト的な視点の両方を意識するのですが、広告的な視点でいえば、シンボリックである、ということが重要です。
 それこそ「Pechat」という名前を覚えてもらえなくても、「あの黄色いボタンの」と言えば、通じてしまう。
 「ぬいぐるみをしゃべらせるボタン」とまでは、人は言わないものです。でも、黄色いボタンというだけで、「あれだよね」という共通言語になっていくのです。先に紹介した、iPodの白いイヤホンに近いと考えるといいかもしれません。
 一方でプロダクト的な視点でいうと、生活にちゃんと馴染む必要がある。そうした意識を僕は強く持っていました。
 例えば、あからさまにスピーカーみたいなものだと、機械のようなものがぬいぐるみについていて興ざめしてしまう。その点、ボタン型というのは、縫う、というところでもつながっていて、ぬいぐるみと相性がいいわけです。
 色の黄色は、これもシンボル性です。いろんな色を展開する方法もありましたが、1色、シンボルとしての色を決めるというのは、マーケティングとしては常套手段だったりします。
 そのとき、男の子でも女の子でもなくニュートラルで、かつ、ちょっと温かい感じということで黄色にしました。実際にはほんの少しだけオレンジを入れています。
 先に、「遠い未来のドラえもんをつくる」というイメージが僕のなかにあったという話を書きましたが、ドラえもんはもともと黄色だったそうです。それも、この開発ストーリーに付け足して話すことがあります。

 「Pechat」は、アイデアが浮かんだときに「これだ!」と思って、すぐに進めることを考えました。
 サウス・バイ・サウスウエストは3月でしたが、このときはすでに1月。
 博報堂アイ・スタジオのメンバーには、最初、スケジュール的に難しいと言われましたが、「いや、できるよ! やりましょう!」と無理を言ってお願いしました。
 そのため、3月の発表のときにつくったコンセプトムービーで見せたのは、本物ではなくダミーで、音も後から足したものでした。
 ただ、ムービーはやはり大事でした。実際の体験がイメージできるからです。
 アメリカで、まず大きな反響を得ました。それから、日本でもニュースリリースを出しました。
 同じく話題になったにしても、「iDoll」がどちらかというとオタク層で話題になったのに対し、「Pechat」は一般のお父さん、お母さんの間で話題になりました。
 そしてなにより大きく違ったのは、価格です。最終的に「Pechat」は5000円を切る価格になりました。
 第1弾、第2弾が価格で悩まされたので、とにかく安くできるもので新しいものをつくろう、初期投資が少なくて単価の小さなものをやろう、と考えていたのです。
 そうでないと、モノづくりをやったことのない博報堂にとって、最初のチャレンジとしてはハードルが高すぎると僕は感じていました。
 「Pechat」は発売元:(株)博報堂として販売されましたが、僕はこの「発売元:(株)博報堂」に強くこだわっていました。
 世の中の人にとっては、メーカーがつくろうが、博報堂がつくろうが、あまり関係ないかもしれません。しかし、「発売元:(株)博報堂」というのは、社内に対して、博報堂がモノづくりをやるのだ、やっていいんだというメッセージになると考えたのです。
 経営会議にもかけられましたが、上層部でも発売元を外部に出す話はあったようです。しかし一方で、博報堂として出したほうがいいのではないか、という応援の声もあったと聞きました。

 実は販売するとき、「博報堂として初の」と書きたかったのですが、120年の歴史のなかで、戦前にボードゲームのようなものを販売したことがあったそうで、残念ながら「初の商品」とはうたえませんでした。ただ、初のデジタル製品だったことは確かです。
 こうして2016年12月、発売元:(株)博報堂としての初めてのデジタル製品「Pechat」は発売されました。

 「親子」がテーマになり、その直後に姪っ子と遊ぶことになったという、ひょんなきっかけで生まれたのが、「Pechat」でした。
 改めて思ったのは、モノづくりのアイデアを生み出すことの大変さです。世の中にはモノがあふれているのです。
 ただ言えることは、考え続けるしかない、ということです。
 誰よりも考えること、それが基本になる。何が必要なんだろう、世の中の課題はなんだろう、生活者は何を求めているのだろう、と考え続ける。
 そうしたなかで、自分で調べ物をして、知見が増えていく。
 こういうの面白いね、というものが見つかったりする。
 それがそのまま自分たちのアイデアにならなくても、間違いなく血肉にはなります。
 結局、何もせずにぼんやりと得た情報よりも、自分たちが必死に考えていくなかで、得た情報のほうが、はるかに意味があるのです。
 そして積極的に調べ、意識をしているぶんだけ、情報感度は高まる。これだ、というものへのアンテナが高くなる。
 そして「これだ!」と思うものに出会ったら、そこが勝負時です。
実現までには当然さまざまなハードルがありますが、ハードルがあるのは当たり前。だから、どうやったら前に進められるかだけを考えるようにするのです。
多少無理をしてでも、チャンスは逃さないことです。

失敗したときのことを綿密に考える。

 「Pechat」を、発売元:(株)博報堂として世に送り出せたのには、いくつかの理由があると思っています。
 商品を世の中に発売元として販売する、というのは、実は大変なことなのです。
 何か問題が起きたときに、責任を負わないといけない。在庫管理をはじめ、広告会社ではまったく経験のないことをやらないといけない。そしてもちろん、量産するためにはお金が必要になりますし、つくったのに売れなかったら損失を被ることになります。
 それだけのリスクとコストを会社に背負ってもらうために、会社をどう説得したか。それにはふたつのポイントがありました。

 ひとつは、博報堂は情報発信の会社なので、情報発信の結果がファクトとして使える、ということ。これが極めて大事なことでした。
 なぜ無理をして、タイトなスケジュールでサウス・バイ・サウスウエストに出そうとしたのかというと、そこが世界的な情報発信の場だったからです。
 プロトタイプの段階で発表し、情報発信をすることで、反響を得る。その反響を会社への説得材料にする、ということができるわけです。
 そしてもうひとつ、当たり前ですが収益性をきちんと考えた事業計画を立てる必要がありました。
 ここでは、最初にmonomに加わってくれた、経営企画局を経験していた谷口の存在がとても大きかった。完全に、彼の成果だったと思っています。
 彼が事業計画をつくってくれたのですが、何が会社から評価されたのかというと、撤退基準を明確にしていた、ということです。どうなったらやめるか、というシミュレーションを、ものすごく丁寧にしたのです。
 うまくいくプランをつくることはそれほど難しくありません。数字を積み上げていけばいいだけです。それこそ、理想的な数字を置いていけばいい。
 そうではなくて、どうなったらやめるか、という撤退基準こそ重要ではないか、と彼は考えたのです。
 そして、やめたときのリスクをすべて洗い出して、とにかくリスクに思えるものを、僕たちは集中的に事業計画に書いていきました。
 通常は、事業をやりたい、ということになると、いいことを書いて説得をしていくものなのかもしれません。こんなに売り上げが立つ、こんなに儲かる、それを書くだけなら、難しいものではない。
 ところが谷口は、リスクこそ洗い出して明らかにしておくべきだ、と言ったのです。そして実際に、事業計画書に盛り込みました。
 異例のプランだったと思います。
 なにしろ失敗したときのことが綿密に書かれているわけですから。
 ところが、そこまで考えている、ということで、会社はこの事業計画を評価してくれたのでした。

 実は、この事業計画が会社で承認される前、4月の時点から、僕は量産を担当してくれたVAIOにつないでもらって、製品開発を勝手にはじめていました。
 その年のクリスマス商戦の向けて発売をしたいと考えていたため、会社の承認を待っていたら絶対に間に合わない。そう思って、サウス・バイ・サウスウエストでの発表が終わった後、すぐに動きはじめたのです。
 もし承認が下りなかったら、最悪、そこまでにかかった開発費用は、自分で出すつもりでした。
 そうしたリスクも背負いつつ、会社の正式な承認が下りたのは、量産化一歩手前の夏頃のことでした。

世の中を味方につける。

 そしてもうひとつ、コスト面でのリスクをカバーすることのみならず、情報発信という点でも大きく「Pechat」のヒットを後押ししてくれたものがありました。
 クラウドファンディングです。
 ご存じの方も多いと思いますが、クラウドファンディングというのは、何かやりたいことがある人が、インターネットを通して、そのプロジェクトに共感する一般の人から資金を集める仕組みのことです。
 「Pechat」の場合は、資金を集めるということ以上に、PR的に大きな効果があったと思っています。
先に書いた、商品化前に共感してくれる人を増やす、ということです。
 価格が決まり、販売ができることが決まってからクラウドファンディングプラットフォームの「Makuake」を使ったのですが、それはもともと、そこで成功し話題になることで、販売チャネルやメディアにアピールするという効果を狙ってのことでした。
 クラウドファンディングに参加してくれる人というのは、つまりは共感して応援してくれる人。こうした味方をたくさんつくることが大事だと考えていました。
 商品にしてもなんにしても、応援してくれる人たちと一緒につくっていくものだと僕は思っています。自分たちだけで閉じているのでは、なかなか広がっていきません。
 もちろん、最終的に物事を決めたり、責任を持つのは自分たちですが、プロジェクトを応援してくれて周りに広めてくれたり、いろんなヒントをもらえたりする。一方で、不満をぶつけられたり、文句を言われたりもしますが、それも含めて、早い段階で反応を得られるのは、とても大きな意味があります。
 マーケティングとしても、どんな層が興味を持つのか、買おうとするのか、ということが発売前に見られる、という利点があります。
 博報堂がクラウドファンディングを活用するのは、初めてのことでした。
 メディアでは、クラウドファンディング自体の話題が盛り上がりはじめてきた時期で、『ワールドビジネスサテライト』や『ガイアの夜明け』などのテレビ番組でも特集されるようになっていました。
 こうしたタイミングだったので、クラウドファンディングの盛り上がりと一緒に「Pechat」が取り上げられる、というケースもあり、こちらから特に仕掛けていないのに、テレビ局側からアプローチをもらったことも少なくありませんでした。

 そして、クラウドファンディングの後のことについても、意識していました。
 そもそも、商品の販売自体、博報堂がこれまでにやったことのないことです。当然、流通や販売に関して、monomに人的リソースが十分にあるわけではなく、販路開拓や販売チャネルとのやりとりなどについても、ゼロからやっていく必要がありました。
 特に恐れていたのが、量販店などで大規模に展開することで、値崩れが起きて、ブランドを毀損してしまう危険性です。
 そこで、販売開始時の売り先は、特に慎重に選ぶことにして、ある程度、絞り込むことにしました。MoMAや蔦屋書店などブランド感のあるところを中心に選んでいったのです。
 クラウドファンディングの成果もあって話題になり、最初の生産分は売り切れることが確信できたため、増産をすぐにかけました。
 実際、「Pechat」は初日に出荷した分はほぼ売り切れて、アマゾンでは、カテゴリー1位を獲得しました。
 クリスマス前後には、生産が追いつかずに一時品切れ状態が続いてしまい、うれしい悲鳴をあげました。
 商品そのものが目新しいものでもあるので、発売後も、メディアで取り上げられたり、チャネルから問い合わせもたくさんもらいました。
 社内の反応は、「博報堂にしてはすごいね」というものだったと思います。普段、会社が取引をしているクライアントは、大企業になると年間数十万台、数百万個という単位が当たり前の世界なので、そこから比べたら、まだまだ全然小さい。
 でも、こういう取り組み自体がそれまで博報堂にはなかったのです。アイデアと行動力があれば、そういうことをやってもいいんだ、といった空気感を社内につくれたことは大きかったと考えています。
 思わぬ反響としては、僕自身がビジネスカンファレンスのような場所に呼ばれるようになったことです。
 これまでほとんど出会う機会がなかった、スタートアップの起業家やベンチャーキャピタルの人たちとのつながりもできるようになりました。
 メディアでも、日経新聞で大きく取り上げてもらったり、業界紙やビジネス誌でも何度もインタビューをされることになりました。
 なにより、monomのスタートから3年以内に、ひとつの結果を出すことができたのは良かったと思っています。
 monomをつくったとき、「博報堂から商品を出す」ということを、通過点とはいえ、ひとつのゴールに据えていました。
 monomの構想をはじめたのが2014年4月、そこから「Pechat」が出た2016年12月まで、結果的には3年かからず出すことができたのでした。

「Pechat」のクラウドファンディングページ
クラウドファンディングプラットフォーム「Makuake」を利用し、開発資金を募ったところ、目標額を大きく上回る金額が集まった。

会社でやれば、チャレンジし続けられる。

 monomをはじめるとき、「3年で10のモノをつくる」という目標を立てました。実際には2014年の4月から2017年4月までの3年間で、コンサルティング型の案件も含めると、10以上のプロジェクトを行いました。
 もし、僕が自分のやりたいことをやるために、起業していたとしたら、その会社を軌道に乗せるためにひとつのことに集中しないといけなくなります。
 メンバーや資金、クライアントも簡単に集まるわけではなく、10ものプロジェクトを進めることはできなかったと思います。
 そういう意味でも、monomを会社の中でできたことは、僕にとって幸運でした。

 monomでは、「Pechat」以外にも、さまざまなモノづくりを推し進めています。
 「Write More」(ライト・モア)は、紙を置いて書くとカリカリとスピーカーから音がするボードです。
 これは、勉強するとき、自分が書くカリカリという音を聞くと集中力が上がる、というmonomのメンバーの一人が大学院時代にやっていた研究から生まれたものです。
 自分がやっている行為への集中が、その行為に不随する音を聞くことで増す。まだはっきりとした実証結果は出ていなかったのですが、それに準ずるものがあるという研究をもとにつくられたプロダクトで、monomではそのデザインやネーミングを担当しました。
 博報堂と神戸市が立ち上げた、社会課題をデザインで解決しようという「issue+design」という団体があるのですが、「Write More」は、そこのクライアントである高知県の佐川町で、地元の木を使った商品づくりというテーマのもと、プロトタイプとして販売されました。

 また、「Lyric Speaker」(リリック・スピーカー)は、歌詞が美しいモーショングラフィックとして表示されるスピーカーです。博報堂のグループ会社SIXが企画開発をし、そのハードウェアのデザインを依頼されました。
 コンセプトは明快です。昔は歌詞カードを見ながら音楽を聴いていましたが、最近ではダウンロードやストリーミングが主流なので、歌詞カードという物理的なものが存在しない。しかし、歌は本来、歌詞と音楽が合わさって楽しむものです。
そこで、この時代にもう一度、歌詞を見ながら音楽を楽しむ文化をつくることができないか、というところから発想されたものでした。
 すでにあったプロトタイプをもとに、透明ディスプレイを使い、ディスプレイとスピーカーを重ねることで、歌詞というビジュアルと音をレイヤーにして、シンボリックに見せるデザインにしました。
 「Lyric Speaker」は商品化されて、実際にSIXから発売になりました。

上「Write More」(2015)/下「Lyric Speaker」(2016)
いずれもmonomでデザインを手掛けた製品。「Lyric Speaker」に関しては、YOYデザインによる最新モデルも2018年11月に発売。

 さらにもうひとつ、2018年11月に発売されたのが「Qoobo」(クーボ)です。
 ペットを飼いたいけどマンションなので飼えない、アレルギーだから触れない、忙しくて面倒が見られない、とさまざまな理由でペットを飼えない人たちに、動物による癒やしを体験してもらおうというのがコンセプトのロボットで、丸いクッションに動くしっぽがついていて、撫でるとそのしっぽがいろんな動きをします。
 これはユカイ工学が開発したもので、たまたまユカイ工学のオフィスに遊びに行ったときに、その原形が置かれていたのです。
 それを見て「これ、絶対やったほうがいいですよ」と青木社長に伝えました。そして、デザインディレクションやブランディング、事業戦略のお手伝いをすることになったのです。
 今や世の中には、さまざまなコミュニケーションロボットがありますが、自然な会話が実現するのは、まだまだ先だと思っています。
 会話っぽいことはできるようになってきましたが、きっとモヤモヤしながらやりとりをしている人も多い。それよりも、むしろ言葉を使わないコミュニケーションのほうがいいのではないかと思っていました。
 表情や鳴き声、動きなど、動物との言葉を使わないコミュニケーションで人は癒やされます。そして、しっぽをひとつのコミュニケーションツールと捉えて、「Qoobo」を開発したのです。
 顔や手足はあえてつけませんでした。顔や手足をロボットとして再現するには、ものすごく複雑な技術が必要で、お金もかかってしまいます。でも、しっぽだけなら、1万円程度で商品化できる。また、顔がないことで、自分の好きな動物のイメージを投影できるので、より多くの人に受け入れられるのではないかと考えました。
 動物らしい重さや触り心地、抱き心地などを、ユカイ工学のメンバーと一緒に検証しながらつくっていきました。また、内部の機構についてもこだわっています。基本、中を見ることはそんなにないと思いますが、動物の骨をイメージした機構のデザインにしています。
 「Qoobo」は、発売前に5000台以上の予約・受注を獲得し、テレビや雑誌などでたくさん取り上げられました。とても不思議な、言葉にできない謎の「欲しさ」がある、と僕も思っています。

「Qoobo」(2018)
撫で方によって反応が変化するしっぽのついたクッション型セラピーロボット。monomは、デザインディレクション、ブランディングなどを担当している。

 これはYOYでも同じですが、monomでは数百、数千とアイデアを出しています。先にも書きましたが、プロジェクトによっては2年以上、何もつくれていないものもある。ずっと考え続けているのです。
 ただ、いいものが出たら、瞬時に「これだ!」というのがわかります。
 いいものは、一瞬でわかるのです。
 逆に言えば、それ以外は基本的に良くないということです。これもいいね、それもいいね、などということには絶対にならない。
 いいものは、圧倒的にいい。そのくらいでないと、いいものとはいえない、と考えるようにしています。だから、いいものを選ぶのは、とても簡単です。
 ロジックや戦略だけでいいアイデアは生まれません。僕は直感こそ重要だと考えています。ただ、そのためには直感力を鍛える必要があります。何もしていない人の直感は、ただの勘です。そうではなくて、日々いいアイデアを求めて悩み続ける、考え続けることで直感力は養われていきます。こうして、常にmonomの次の一手を模索しているのです。

「自分×会社」で生まれる新しい可能性。

 自分が本当にやりたいことを会社で実現するために必要なことはどんなことか、と聞かれることがあります。
 まず大事なのは、自分がやりたいことと、会社がやりたいこと、やるべきことのすり合わせをすることです。
 僕の場合は、ここが完全に一致しました。
個人でやるよりも、会社に残ってモノをつくったほうが結果的に良かった。自分のやりたいことと会社が持っている資産を掛け算したほうが、個人でやるよりも新しいことにチャレンジできた。
 他のメーカーに転職するとか、プロダクトデザイン事務所として独立するよりも、何か新しいことができるのではないか。そう思えたのでした。
 だから、会社に徹底的に向き合って、人や資金やネットワークなど、会社の資産を前向きに使い倒すことで、自分のため、会社のため、世の中のためになれるかどうか、しっかり見定めることが大事になると思います。

 一方で、それを実現するために、どんなステップを踏むべきか、というところも問われます。
 やりたいからやります、というだけではなく、それをやるための環境づくりからはじめる。
 誰に話したらいいか、誰を巻き込めばいいか、どのくらい時間をかけるのか。
 例えばmonomでは、毎年「Pechat感謝祭」と題して「Pechat」に関わってくれている人を集めてパーティーをするのですが、そこには100人以上が集まります。
 関わってくれる人が多いぶん、その人たちみんながやって良かったと思うような状況をつくらないといけない。
 そして、それ自体が自分自身のモチベーションにもなるのです。
僕が踏ん張ってパフォーマンスを発揮することで、みんなも応えてくれるし、それがいいスパイラルになる。
 いろんなハードルがあっても、それを一緒に越えていくチームになれるのです。
 そして、物事を実現するときのハードルは、基本的には人です。
 逆に言えば、人を動かせば物事は動くのです。
 そう考えたときに、人を巻き込む力はとても重要になります。
 例えば経営の戦略会議に何か提案をするとき、それこそいろんな意見が出てきます。
 場合によっては180度違う意見というものもありますが、僕はそれを前向きに全部吸収するようにしています。
もちろん、なに言ってんだ、と腹が立つこともありますが、時間をおいて冷静になって、どうすれば前に進めるかを考えるのです。
たとえ180度違っていても、「こうしたら同じ方向を向けるよね」というポイントをどう見つけられるか。
 そう考えると、「会社を使い倒す」というのも、結局のところ、いかに人を巻き込んでいくかということに尽きるのかもしれません。

 振り返ってみれば、やりたいことを実現するための準備は大変なことばかりではありましたが、会社の偉い人と話したり、事業計画を立てたり、いろいろと新しいことができたのは、とても新鮮で楽しい経験でした。だから、前向きに受け入れられているのかもしれません。
 いちばん良くないのは、やりたいことがあるのに、それを自分のなかだけで閉じてしまうこと。
 もし本当にやりたいのなら、僕がYOYでやったように、会社の外でやってみるのもいいと思います。
 そうじゃなくて、会社でやりたいというのであれば、その意義と覚悟を会社に示す必要があります。
 そして、そのときに必要なのは、よく練られた企画書よりも、実際に動きだしている事実だと僕は思っています。
 思いや企画書はもちろん大事ですが、それをかたちにすることで、共感される状況をどうつくるか。そのほうが、より説得力があるからです。
 僕の場合だと、YOYをやったこと、役員に直談判したこと、社外の人を巻き込んだこと、先にプロダクトをつくりはじめたこと、自分でお金を出してでもやろうとしたこと、かもしれません。
 既成事実をつくってしまう、ということです。
 実際には、それ会社的にまずいよね、ということも、「やっちゃってます」「先に動いてます」でいいと思ってます。
 就業時間内はできないかもしれないし、もしかしたら会社に怒られるかもしれません。
 でも、よほどの反社会的な行為でもなければ、いきなり会社をクビになったりはしないのではないでしょうか。とりわけ、ポジティブに新しいことをやろうとしているのであれば、なおさらです。

 激しい時代の波にさらされて、多くの会社で新しい動きがはじまっています。
 そのときに、例えば会社が方針を示して、何か新しいことをやれ、と先に組織だけつくってしまうようなやり方はうまくいかない、と個人的には思っています。
物事を動かしていくのは、やはり「これをやりたい」という人の思いだからです。
だから、会社の方針を示しつつ、個人の自由な動きを奨励していかないと、特に大きな会社では、新しいものは生まれにくいと思います。
 自分の判断や責任で新しいことを考えたり、はじめたりするのは、ワクワクして楽しい時間になる。
 そうした時間が持てるかどうかは、もしかすると、社員として、自分が働く会社をいい会社だと思えるかどうかの判断基準になるかもしれません。
 いずれにしても、やりたいことがあるとき、なにも会社をいきなり辞める必要はないと僕は思っています。
 外に出て起業するとなれば、常にリスクがつきまといます。資金を集めやすくなったといっても、お金の心配はしないといけなくなる。自分で人の採用もしなければいけません。
 はたして自分が今、勤めている会社にいるような多様な社員を、どのくらい集められるでしょうか。そして、会社が積み重ねてきたほどのノウハウや人脈をどれほど得られるでしょうか。
 そう考えたときに、もし、自分の今いる会社が使えたとしたら。
 会社のなかでやれば、お金もあるし、人には困らないし、弁護士にも簡単に相談できる。毎月の売り上げをつくるために汲々としなくてもよくなります。
 起業に踏み出す人が増えているからこそ、あえて会社を使ってやりたいことをやる。
 極端な話かもしれませんが、どうせ辞めるのなら、会社のなかで大胆なことをやってみたらいい。ぜひ、そこにチャレンジしてほしいと思うのです。

 社員が本気で新しいことをやりたいと動きだせば、会社はきっと応えてくれます。
 実際、僕は2017年に、会社に命じられて博報堂DYホールディングスの戦略事業組織「kyu」が出資しているアメリカのデザインファーム「IDEO」(アイデオ)で3カ月ほど仕事をしてきました。
恐らく、そこで何かを学んでこい、ということだったのだと思いますが、この経験は、自己流でやってきた自分にとって、またひとつ大きな学びとなりました。
また、2018年には、会社の推薦を受けて、カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルの、プロダクトデザイン部門の審査員を務めたのですが、これも、会社が僕を応援しようとしてくれている、ひとつの表れだと感じています。

 最近では、IT企業が自動車産業に参入したり、月額制の動画配信サービスがテレビ業界を脅かしたりと、世の中の変化はますます激しくなっています。
 物事を、これまでの延長線で考えてはいけない。そんな時代が今まさに来ているのです。
 そう考えると、「広告会社がモノづくりをする」ということすら、これからの時代、もはや珍しいことではなくなるのかもしれません。
 それまでにモノづくりをやってこなかった広告会社だからこそ持てる新しい視点。モノづくり業界と広告会社、それぞれが持っている能力。
それらが合わさることで、新しいモノづくりのあり方が生まれるのではないか。そんなことを考えて僕はmonomをはじめました。
この新しいモノづくりのあり方が、博報堂だけでなく、広告業界、さらにはモノづくり業界にとっても新たな変革のきっかけになれば、と考えています。

 もちろん僕は、ただ自分が好きなこと、やりたいことをやりたいだけです。
 でも、会社を味方につけて、とことん使い倒すことで、より大きなこと、世の中にインパクトを与えるようなことができる。
「自分×会社」の幸福な掛け算で、それは実現できるのです。


おわりに


 役員に「もう広告はやりません」と直談判し、広告会社でモノづくりをするという異端ともいえるプロジェクト「monom」がスタートして早4年。
 会社は僕に想定外のチャンス(?)を与えてくれました。
 博報堂が70年にもわたって刊行してきた雑誌『広告』の2019年の発刊号からの編集長に、僕が任命されたのです。
 この雑誌は季刊誌で年4回発行されるのですが、数年おきに編集長が替わります。歴代の編集長の多くは、広告の世界で有名な人たちばかり。
 そんななかで、「もう広告はやりません」と言った人間に、「広告」を冠した雑誌の編集長をやれ、と会社が命じたのです。どうして僕なのか、という驚きと不安、そしてワクワクする気持ちが胸にこみ上げました。
 しかも、何をやってもいい、というのです。広告について語らなくてもいい。写真やグラフィック中心の文字のない雑誌でもいいし、極論、紙の雑誌でなくてもいい、とまで言われました。

 monomの仕事や、YOYの活動で、忙しい日々を送っているなか、この話を引き受ければ、ますます大変になることはわかっていました。話がきたとき、一瞬悩みました。二兎は追えても三兎はいくらなんでも……。それでも最終的には引き受けることにしました。
 なんといっても、雑誌の編集です。まったくやったことがないのです。でも、ここでも「ご縁やで。全部あんたのためなんや」と大叔母の声が聞こえました。
 新しいチャレンジは、きっとまた新しい何かを僕に与えてくれる。
 それが、「monom」にも必ず活きてくる。また、うまく掛け算ができる。
やったことがないことができるというのは、本当にありがたいことです。

 実は、もうすでに雑誌『広告』の全体テーマを決めています。
 今、技術革新や新しいプラットフォームの登場で、さまざまなジャンルのモノづくりに大きな変化が生まれています。そんななかで、改めて「つくること」の本質を見出していこうというものです。
 そして、「広告」を冠する雑誌をつくるにあたって、博報堂だけではなく広告業界全体として発信できないかと考えたのです。
 そのことを象徴的に体現できないか、と雑誌『広告』の装丁は、博報堂の競合であり、日本最大の広告会社である電通のデザイナーに依頼しました。
 博報堂の雑誌を電通のデザイナーがデザインするというのは、もちろんとんでもなく高いハードルでした。
 当然、博報堂の上層部も最初は難色を示したのですが、それでも聞く耳を持ってくれました。広報室長、役員へと長い手紙を書いてOKをもらい、社長に直接プレゼンテーションする機会を得ました。
 また、電通側の関係役員の方にも手紙を書いたところ、懐深く受け入れていただき、この取り組みは現実のものになりました。
 もとより雑誌『広告』編集長就任もまた、会社が僕の取り組みを応援してくれている、その表れのひとつなのだと感じています。
 社員が本気でやりたいことに挑戦しようとしたら、会社がここまでしてくれるようになった。この事実を、ぜひ多くの人に知ってほしいと思います。

 最後になりましたが、本書を企画し、筆の遅い僕に最後まで並走していただいた小学館集英社プロダクションの編集者・澤田美里さん、構成のご協力をいただいたブックライターの上阪徹さん、本書のデザインをご担当いただいた6Dの木住野彰悟さんには大変お世話になりました。
 また、本書にも登場してもらった、高校4年、大学7年と長い間スネをかじらせてくれた母、高校受験で「ぜんぶあんたのためなんや」と大事な言葉をくれた大叔母、突然のプロポーズを受けてくれた妻、新人の僕に気さくに接してくれた社会人最初の上司の平瀬慎二さん、YOYの相方の山本侑樹くん、monomのみんな、そして本書の出版を前向きに応援してくれた博報堂と関係者の皆様に、改めて感謝申し上げます。

2018年11月 小野直紀

〔おわり〕

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