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雨上がりの1日

 窓を開けると柔らかい陽射しと、湿度を持った風が流れ込んできた。蕾をつけたミニ薔薇に水をやろうと、ベランダに出た。少し湿った植木鉢の表面を確かめながら、根元から水を与えた。凄い勢いで伸びる若い茎からは、赤く力強い葉っぱがにょきにょきと生まれていた。

 窓を全開にし、カーペットをベランダに干した。床にかんたんマイペットを吹き掛け、クイックルワイパーで擦り、仕上げに水拭きをした。アンティークローズの香りのする洗濯物をハンガーにかけ、下着や靴下はピッチハンガーに留め、周りをグルリとハンカチやタオルで見えないように覆った。

 朝と昼を兼ねた食事は、食パンにスライスした真っ赤なトマト、チーズ、マヨネーズ、バターを乗せ、オーブントーストで焼いたもの。玉ねぎは買い忘れていたのでトマトにしたけれど、甘さの中にほのかな酸味もあって美味しく頂いた。久しぶりに豆を挽いて作ったカフェ・オ・レも飲めて満足。


 外へ出ると車道に残る雨の欠片が、陽を浴びて光っていた。いつものようにバスに揺られ実家へ向かった。途中両替をしようと席を立ったら、前にいた女性が『チャージお願いします』と運転席へ近づいた。時代遅れの服を着てるような恥ずかしさを感じながら、両替機に100円を入れた。

 2メートル程の歩道を進んでいると前から、坂口健太郎風の細い大学生4人がこちらに向かい歩いてきた。白やブルーを基調にした服を着た彼らは、横に広がり楽しそうに喋っていた。すれ違うまで後1メートル程になった時、日体大の集団行動みたいに突然一列になって私の横を通り過ぎた。


 相変わらず母はベットの上で、父は椅子に座り、衛星放送の時代劇専門チャンネルを見ていた。父と母の薬に中太のマッキーで日付を書いて、お薬カレンダーのポケットに入れた。夕食用に生協で頼んでおいたレトルトの親子丼を作った。スライスした玉ねぎと長ネギを入れて煮、卵でとじるだけだ。

 頼られすぎないよう、できるだけ料理はしない、掃除や入浴もヘルパーさんやデイサービスを利用して手をかけすぎないようにする。期待されすぎるとこちらが疲弊してしまう。先が見えない介護は手抜きが必要。風通しを良くする為にはほどほどの距離感が必要だと思うから。


 帰りがけ、他県ナンバーのホンダフィット、ブルーメタリックが近所に停まっていた。玄関から顔を出したおばちゃんが、息子に大声をあげていた。『あんた、胡麻饅頭いらんね?』『胡麻?いらん』『塩饅頭もあるよ』『ああ、それ貰うわ』30代半ばくらいの息子は車のキーを手に母を待っていた。

 よくある光景なのに、不思議な感じがした。病院勤務の私は、寝たきりの人や帰ることの出来ない認知症の患者さんのお世話が仕事だ。子に電話をかけたことも忘れ、何度もかけた挙句、繋がらないと嘆くおばあちゃん。コロナでもう3年近く面会が出来てない大勢の人達の日常の中に私もいる。

 そんな時、他県から帰省する子どもに会える…患者さんにとっては生きているうちに手に入らないかもしれない…幸せな光景をそこに見つけてしまった。きっと、今のふたりにそんな意識はないんだろう。歳をとると段々、昔手にしてた幸せを再確認して、色褪せた幸せのファイルが増えていくんだ。


 帰りがけ実家の近所のスーパーで新玉ねぎとおいしい牛乳を買った。パン屋から流れるバターの匂いに引き寄せられ、焼き立てのメロンパンと明太フランスも買った。肩に掛ける大きめのトートバッグの中に、下から牛乳、玉ねぎ、明太フランス、そしてメロンパンを崩れないように、そっと入れた。

 バスに乗り走り出した景色の向こうに、昔の彼氏の友達の家があった。すでに更地になって、売地の看板が出ていた。ここを通過する度、消えない薄いそばかすみたいに想い出が存在し続けているのを感じる。これもまた、誰も見向きもしない、自分だけの色褪せた幸せのファイルなんだろう。


 バスを降りる時、手にさげたトートバッグが道端のタンポポに当たった。白い綿毛を伸ばしたタンポポは、雨上がりの青空に吸い込まれていった。



 





 

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