見出し画像

私が玉置さんを崇拝する理由

皆様こんばんは。適応障害治したいマンです。
私の闘病生活の救いである玉置さん(安全地帯も含めて)について第1回目の投稿をしようと思います。
本日はタイトルにある通り、私がなぜ玉置さんを異常なまでに崇拝しているかの理由を書きます。

玉置さんとの出会い

玉置浩二、と聞いて私がパッと思い浮かぶのは「ワインレッドの心」と「田園」でした。前者は会社の同期が歌っていたのを度々聴いていたからで、後者に至っては聴いたことがある、というレベルです。
アラサーと自己紹介に書きましたが、私は20代なので安全地帯は世代ではなく(生まれてすらいない)、ほぼ知識ゼロでした。

そんな私が玉置さんと最初に出会った(一方的に出会ったことになっている苦笑)のは、2020年の紅白歌合戦です。
一人暮らしをしていた頃は紅白を見る、ということはほとんどありませんでした。妻と結婚して初めて迎えた大晦日だったので、テレビを二人で見ていたのです。
有名なベートーヴェンの交響曲第6番「田園」のフレーズを、バックのオーケストラが演奏する中で歌い上げた玉置さんの「田園」に衝撃を受けました。
曲は聴いたことがあるし有名だけれど、アレンジや圧倒的なパフォーマンス、そしてこんな風に歳をとれたら最高だなと思うくらいカッコいいルックスに惹かれました。

ただその時の私はまだこの病気で倒れる前でしたので、「すげぇなぁ~」くらいでした。

北海道への新婚旅行と出来すぎた偶然

その後まもなく病気で倒れ、投薬を受けながら働き続けるようになって少しばかり経ち、仕事が落ち着いたタイミングで結婚休暇を使わせてもらい北海道に新婚旅行へ行きました。新婚旅行は結婚というライフイベントとセットの一生に一度のビッグイベントでしたし、発病から間もないこともあって息抜きすれば病気もよくなるだろう、くらいに思っていました。この時飲んでいた薬はソラナックスとスルピリドを日に3回です。

当初はドイツあたりに行く予定でしたが(妻がヘルマン・ヘッセが好きで、『車輪の下』に関係するマウルブロン修道院に行きたいと言ってました)、コロナ禍の影響もあり国内を余儀なくされました。
そのとき、国内で1週間くらいかけて行くなら移動に時間がかかる北海道が真っ先に浮かんだのです。私は札幌生まれなので、新千歳空港は何度も訪れたこともあり、自分が幼いころ暮らしていた札幌エリアから離れた道央、道北を移動しながらの旅行を計画しました。
妻は妻で、村上春樹が好きだったので、『羊をめぐる冒険』の舞台のモデルとなった北海道の美深町に行きたい!という要望があり、お互い意見が一致したというわけです。

ざっくり旅路

当時私は安全地帯と玉置さんに関しては変わらず「ワインレッドの心」と「田園」以外知りませんでしたから、旭川が出身地だなんて知る由もありませんでした。むしろ、美深町に行くならと、『羊をめぐる冒険』を読んで雰囲気を予習しよう!というのがメインでした。

ちなみに、美深はこんなところです。今見るとすごくいい写真を撮っていたんだなぁと自画自賛です。

宿泊した個人経営のコテージ?近辺で撮影
トロッコ王国美深にて撮影 廃線をトロッコを運転して走れます

美深へと向かう道中、東へレンタカーを走らせ、トマムに宿泊し、そして今度は北へクルマを走らせました。運転できるのは私だけだったのでひたすら走り倒しました。
旭川にも宿泊しましたが、あくまで旭川は美深に行くまでの中継地点でした。旭山動物園には行きましたが、メインディッシュではなかったです。
旭川は北海道のほぼ真ん中に位置しており、駅も大きく立派で、空港もありますから北海道の交通の要衝と言える場所です。北海道第二の都市でもあります。

旭川中心部の街並みをホテルから撮影

新婚旅行中は、診断書こそなかったものの医師から口頭で告げられた病名は「パニック障害、適応障害」でした。本やネットからは、ストレス要因から離れれば元気、という情報を得ていたので、医者の言う通りにせず薬はいらないだろうと、持ってはいたものの飲みませんでした。
しかし、旭川のホテルで夜眠っていたところ急に目が覚め、発作が起きてしまいました。いわゆる離脱症状です。旅行が続けられるか心配になるレベルでしたが、ソラナックスを投入してチェックアウト時間をずらしてもらい、なんとかその後の旅程を無事に終えることができました。
新婚旅行は全体としてとても良い思い出でしたが、ホテルでの離脱症状はトラウマになりました。。

時系列は少し戻りますが、旭川までの道中、美瑛や富良野の景色を見ているうちに「田園」が頭をよぎりました。妻がサブスクに加入していたので色んなバージョンの「田園」をかけてもらい、ひたすら田園地帯を「田園」をリピートしながら運転しました。
段々と旭川に近づくにつれて、ボソッと私は「この曲って、なんかすごく旭川っぽいな」とひとりクルマの中で呟いたことを覚えています。妻も同感だったようです。美瑛や富良野ではなく、なぜか旭川に入ってからこう思ったのです。

後で玉置さんと「田園」について調べてみたところ、玉置さんが旭川出身であり、精神病院から抜け出して実家の旭川で療養したときのエピソードをもとに「田園」が作られたことを知り、鳥肌が立ちました。

新婚旅行後は変わらず薬を日に3回飲みながら心と身体に鞭打って働く日々でしたが、『田園 KOJI TAMAKI BEST』を手に取り田園以外の素晴らしい曲にも触れ、玉置さんの曲を本格的に色々と聴いてみようと思ったのです。『ALL TIME BEST』なども聴き、「ルーキー」「aibo」「このリズムで」などの歌詞がまるで私のことを歌っているようでものすごく感情移入してしまい、狂ったようにアルバムやシングルを集めるようになりました。

玉置さんについてはソロから入った私ですが、当然安全地帯のことも気になったので『安全地帯 COMPLETE BEST』から入り、のめりこむようになりました。

このほかにも玉置さんの歌には、病院のカウンセリングで受けている認知療法などの内容と共通する内容が多かったり(正確には私がそう解釈している)と、色々とあるのですが、今回はこのあたりで締めようと思います。

玉置さんと安全地帯のアルバムなどについても、個別に腐るほど書きたいので、気力があるとき、体調が大丈夫そうなときに布団でカタカタとキーボードを叩こうと思います。

ここまで読んだくださった方、ありがとうございました。
そして毎日私の支えとなって下さっている玉置さんと安全地帯の皆様にも御礼申し上げます。この記事も玉置さんを聴きながら書きました。本当に、いつもありがとうございます。

それでは、また。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?