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もらった勇気の備忘録

※この記事は僕が友人から勇気をもらった備忘録です


2023年7月13日。
前日、12日にひとりのLGBTQ+インフルエンサー(この表現は正しくないかもしれない)が自ら命を絶ってしまった。
なぜ、どうして、もしかしたらこれが原因?という憶測は置いておくとして、SNSのトレンドワードやニュースサイトに並ぶ自死の言葉が信じられなかったし、信じたくなかった。

彼(They)がもうこの世にいないことは、僕にはどうすることも出来ない。けれど大なり小なり同じくLGBTQ+当事者として発信してきたひとりとして、彼の動向はずっと気になっていたし勝手に勇気づけられたり心配したりしていた。だから一連のニュースを信じたくなくて。自死のニュースを知った晩は信じられなさすぎたのか、翌朝目覚めと共にニュースサイトを開き悪い夢でなかったことに改めて事実として受け止めながら肩を落とした。
その余韻は翌日の仕事中もずっと続いていた。近頃急に暑さを増した気温のせいもあったかもしれないけれど、体感としては確実にそれだけではなかった。


そんな帰り道、友人からLINEが届いた。
彼女はデイサービスで介護職員として従事していて、友人関係になってもう15年程になる。

「今日仕事中、つけてたテレビで例のニュースがやってて性別云々の話になって」
そう切り出したのは、友人の職場である施設での出来事。
施設での自由時間に集まるスペースではよくテレビでワイドショーなどをかけているらしい。比較的認知症の度合いが軽い利用者さんたちは、友人をはじめとした職員によくニュースの解説を頼むそうで。この日も同じようにかかっていたニュース(冒頭の自死のニュース)を見た利用者さんグループに「これはなんのニュース?」と聞かれ、彼のニュースの解説をしたとのこと。

「それでLGBTの話になったから、その時にトッキーの話をしたんだ。
私の友達にも女の子と女の子で結婚した子がいるよ。ふたりは幸せそうだし、男女で結婚しても不倫だ子殺しだってある世の中で、好きな人同士が結婚出来るのは良いことだと思う。って。」
そう相手に合わせて噛み砕いた内容を、解説に加えて話してくれたらしい。
利用者さんたちはその話に、「そうよね、素敵よね。」と返してくれ、そのことが自分でも嬉しかったから、僕に報告してくれたと話していた。
今回のニュースで落ち込んで、それでも書いていかなきゃとその日一日複雑な心境で。そんな日に、当事者ではない友人が知らないどこかで話して広めようとしてくれていたことが嬉しくて、LINEを開いた近所のスーパーで涙でマスクを濡らしました。誇張ではなく本当に。友人が周囲に話してくれている様子を想像して、オタクとしての意味ではなく、そのままの意味であまりにも尊い行為だと思った。自分の友人にこんな人がいるのかと、月並みな言葉だけれど感動した。

あまりに嬉しくてその晩はお礼も兼ねて通話もした。
友人は以前も利用者さんたちにLGBTについて話したと言っていて本当にすごいと思った。その時はデイサービスの朝に利用者さんたちと行う「朝の会」のような、その日の始まりに30分程「今日は何の日?」と話をする場面でLGBTについて解説したと言っていた。中には覚えるからノートに書いてくれ!と自前のノートを差し出した人もいたそうで、その日話した内容を書いてやると「勉強になった」と言ってくれたと言っていた。友人は忙しく、僕からすれば過酷な仕事をしながらもその合間にこうやってセクシャルマイノリティの話をしてくれているのだから頭が上がらない。
その日ニュースの解説を頼んだグループの中には、僕とパートナーのフォトウェディングの話を聞いて「わたしは(戦時中戦後の時代背景だったせいで)結婚式できなかったから、今は写真だけでも撮れるのは良いことね」と話していたそうです。「これからもっと普通のことになるわね」とも。

友人は僕が書いて発信していることも応援して、時には褒めてくれたりするのだけれど、僕にとっては面と向かって利用者に話をする方が勇気が要ると感じる。お礼と一緒にそう伝えると、
「かえって若い人の方が、受け入れられない人は受け入れられないんじゃないかって思う。ちょっと否定的かな?って人にほどいて話すと、意外と最後はそうよね、なんて言ってくれる人は少なくないよ。」
そう話してくれた。
その言葉に、僕も自分の中にあった「お年寄りはわかってくれないだろう」という偏見に気付かされた。
「たくさん経験してきた年齢の人たちだからこそ、わかってくれることもあるよ」
若い人にもわかってくれる人、わかってくれない人がいて自分ではそれを嗅ぎ分けてカムアウトをしているのだから、歳をとっていてもきっと同じだろうに、僕は年齢だけで「きっとわかってくれない」と判断してしまっていた。
「認知症がクリアな状態の時に話しても、すぐ忘れちゃうんだけどね。だけど、話した時にわかってくれて言ってることはその人の本心だから。」
という言葉に勇気をもらいました。

認知症のある人へこうして話すことに意味を問うひともいるだろうけど、僕はこうして話してくれる姿勢でいてくれることがそもそも嬉しくて。同時に誇らしくて。
僕はこの日LINEを貰った時に、ちょっと挫けてしまいそうなタイミングだったこともあって、「ああ、こういう人の存在は発信する当事者にとって何よりの勇気だ」と思った。書いていこう、書いていきたいと思えた。
同じように、落ち込んでいる当事者にこういう人もいるよと知らせたくて書かせてもらいました。もちろん友人の許可を得て。

事実は変らないし、わかってくれないことも多いけど改めて勇気づけられる出来事だった。友人には本当に感謝をしているし、もらった勇気をだれかにも渡したくて、残しておくことにしました。
ありがとう、君と友達でいられてとても嬉しいよ。またご飯行きましょう。



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