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石井睦美「愛しいひとにさよならを言う」

読んだあとに、心が
“しん”
とする本がある。
感動で涙が止まらない、とか、面白すぎて興奮する、とかではない。
そういう熱いムーブが起きるわけではないけれど、
ただただ
“しん”
と静かに、喩えれば降り積もる雪のように、ゆっくりと確実に心の奥底に水となって、しみいってくる本。

「愛しいひとにさよならを言う」
はまさにそのような種類の本だった。

絵画修復士の槇。
その娘で父親のいない、いつか。
槇と折り合いの悪い実母。
母娘を愛し、助けてくれる独身で公務員のユキ。
そして、
物語の序盤と終盤にしか登場しないにも関わらず強烈な印象をのこすチチ。

あらすじを書くことには意味がないと思うので省くけど、登場人物たちが、皆、“どうしようもなさ”
に人生を翻弄されてきたことが、読む者の胸を締め付ける。

“自由に、何者にも縛られずに生きるのだ”と肩肘張って、強気に、独り生きているように周りから見える者ほど、強大な影に身も心も捉えられているものではないだろうか?

そして、それは大抵の場合、肉親への感情である場合が多いように思う。

私自身、実家を出て何年も経って、やっと実母を、ひとりの孤独な女性として見ることが出来るようになったのだから。

人間社会で真に自由になろうとすれば、行き着くところは自裁しか有り得ないと考えてしまう。
いくら物理的な距離をとろうが、いくら心のなかで原家族を捨てようが、ずっとつきまとってくるのは、その影。その影に飲み込まれ翻弄され、死にものぐるいで、救命ブイが投げられるのを待つ。

私は、大抵の人の人生とはこのようなものであると考える。
「肉親」が「上司」にかわろうが「持病」にかわろうが大した違いはない。

でも。

でも、この本には、ずっとひとすじの光が差し込んでいる。
そう、まるで
ルーベンスの「ろうそくを持つ老婆と少年」の絵のようなひかりが。

いつ消えるかわからない、こんな小さなひかりで、わたしたちは毎日をだた生かされている。

どんな人生でも、外面的な幸福にばかり目をやるようになれば、その人生は空虚さ、虚飾に満ちた贅沢にしか行き着かないのだろう。

誰かにとって、一人でも良い、小さなひとすじのひかりを、こころに灯してくれる人がいれば、それが、血のつながりを遥かに越えた「愛しいひと」であることは間違いがない。それは、分かりやすい幸せとか不幸せには関係なく、祝福された人生だと断言出来る。

愛しいひとにはいつの日か必ず
さよなら
を言う日がくる

いつかは、ちゃんと言えたのだろうか。
愛しいひとにさよならを。

でも、大丈夫なんだ。
一度灯った火は、大抵のことでは、もう消えたりしないのだから。

石井睦美「愛しいひとにさよならを言う」は奇跡のような小説だ。

友情のものがたりであり、
血のものがたりであり、
女のものがたりであり、
なにより愛のものがたりであると思った。

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