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『自責』がよくない

自分の人生の転機は、いくつかあったと思う。

その中でも、それは、まさしく青天の霹靂だった。


ある日、突然、呼び出されて、起きた。
まさか!

失意のどん底に落ちた。
そして、絶望は、この時に、始まった。

その時、
どのような思考で、
どんな行動をとったから
その結果、どうなって今がどうあるのか。



今から思うと、
とても印象的で、今も覚えている、
残ったのは………
絶望後の思い


どん底にいくまで、それまでも長い間、かなり低空飛行を続けていた。

どれだけやってもうまくいかなかった。
うまくいったかな、と思ったらそれは、まぼろしのごとく、変わったかのように見えて、変わらなかった。
こっちがうまくいけば、あっちがそれ以上に凹む
の繰り返し。


そして、この結果。

もう、なにがなんだか、どこが悪いのかさえ、
もうどうにもわからない。
どこから手をつけていいのかさえ。

答えは、???



『自責』な私は「どうして私はダメなんだ、どこがいけないんだろう」
と自分に問う。



でも、わからない。
翌日もわからない。
1週間経ってもわからない…
でも日は過ぎていく…


いつのまにかあきらめて、ただ日を過ごす。
ふと思い出しては、凹む日々…
消えることのない、考えたくないだけ。

思い出して、考えがまとまりそうでも、
『答えがわかった!』
なんて都合いいことはなく、
なんでわからんねやろ?て、ぐるぐる…ぐるぐる…


ダメダメ、ダメダメ と自分で、自分を責めて責めて責めて

その挙句、どんどん奈落の底へ、
マリアナ海溝よりも深く、落ちていく。

住む環境が変わり、
ある出会いがあり、

自分を見つめ直すことを他人に開示することで、
自分を少しは、解放することで繋がった。

もちろん、その過程で、そのショッキングさを忘れることはないけれど、

今までとは違う情報を得て、
よくある人間の進化の絵のように、
少しづつ前を向けるようになってきました。


『自責』ではなければ、
自分を責めなければ、
実は、どん底に行く手前で、



マリアナ海溝まで行かずに、浮上できたんでは?


と思いかえしてみたりします。


『他責』がいいとはいいませんが、

自責』がいいとも思いません。


まったく『自責』のない人に、成長はないと思います。

自責』は、どうしても自分を追いつめてしまうキライがあると思います。


必要以上にすることは、まったくなくて、ある程度で、
どこか他にも理由がある。
と思って周りを見渡してみたり、どこかに落ちてないかなぁ、て。

その方が、自分にやさしいし、いいように思います。


つい最近まで、そんな風にさえ考えたことがなかった。

自分を追い込んで、病んだりしなくてよかった。


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