高賀憧雪

15歳でクローン病を発症(診断は22歳)、政治家か政治学を目指したが、なぜかIT屋さん…

高賀憧雪

15歳でクローン病を発症(診断は22歳)、政治家か政治学を目指したが、なぜかIT屋さん。NPO法人の元代表理事だったことありますが、田舎でまったり、働いています。高賀憧雪は、学生のときに使っていたペンネームの高馬憧雪を一文字を変えただけ。

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    ----2013/03/11--- 「勝彦のつぶやき」あらため 「日々のカツヒコ」としてブログを再開します。 (日比野克彦さん、すみません。) といって、数本書いたブログの抜粋です。

最近の記事

人生フルーツ

再々上映で、やっと観た。 なんともほっこり、しかも、胸があつくなった。 「長く生きるほど、人生はより美しくなる。」 The longer I live the more beautiful life becomes. フランク・ロイド・ライトのこの言葉が沁みる映画であった。 「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」 ル・コルビュジエの言葉はしっていたが、まさに、実感したような気がした。 そのあと、ゴアの「不都合の真実」を家のテレビで子どもと一緒に観賞した。 何かがつ

    • 今日は、半年ぶりに

      クラスメートに会った。成績表を取りに行ったからである。成績表を取りに行ったというよりも、今年度の学生証を取りに行ったというのが正解である。  ボクは後期試験をすべて放棄していた。すべての登録科目は「不可」であると確信して学校に行った。みんなはボクを待っていた。ボクがどんな顔をしてくるのだろうかを、楽しみにして待っていたというみんなの目だった。ボクは試験を放棄して5度目の大学受験を受けていた。結局はミゴトに不合格だった。みんなのその目を見るなり、ボクは両手で大きなバツをつくって

      • 4月1日。午後一時半

         ボクは目覚めた。目覚めたというよりは、騒がしい街の「声」に起こされた感じだった。万年床の枕元のラジオを入れるとFM大阪の「ラジオ・パパ」が始まったところであった。ボクはこの番組を昨年の十月ごろから今年の二月の中ごろまで、ほぼ毎日のように聞いていた。よく聞きなれたDJの声は「今日は、エープリルフールですね」と始めた。ボクはそのときはじめて、今日が「四月一日」「エープリルフール」であることを知った。  京都にきて5度目の四月一日は昼からの一日であった。  外は晴れているようだっ

        • 但馬の偉人 池田草庵 ほんまもの=2013/04/03=

          昨日(2013/4/2)、和田山(朝来市和田山町)からの打合せの帰りに、ふと青谿書院に寄った。 子供のころ見学したときより、若干小さく見えた(自分の体が大きくなったのだと思うが)が、ここで、「維新の叡智」の担った人たちが巣立ったと思うと少年のころの「思い」をほろ苦く想い出した。 数日前に書いた浜尾新は、この私塾、青谿書院に学び、のちに文部大臣、東京帝国大学総長を務めた人である。 池田草庵は、10歳で母を亡くし、寺に預けられたが、儒学者・相馬九方に出会い、九方を追って京都で学問

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          但馬の偉人!? 川崎尚之助 =2013/03/31=

          久しぶりにNHKの大河ドラマ「八重の桜」を視聴した。 我が但馬の出石出身の「川崎尚之助」が登場するシーンがいっぱいである。 豊岡市は、大河ドラマにあやかり、川崎尚之助「http://shounosuke.jp/」を売り込んでいる。 誤字の川崎庄之助も含め、結構、Web内では、記事が上がっている。尚之助役の長谷川博己さんがイケメンということもあるかもしれないが・・・ 実は、この但馬出石(兵庫県豊岡市出石町)は、もっと有名人がいる。 東大初代総長の加藤弘之、粛軍演説で有名な斉藤

          但馬の偉人!? 川崎尚之助 =2013/03/31=

          元々、物書きになりたいなんぞと

          随分、昔の話であるが、長く闘病する時期があり、本を読むほどに回復したとき、ひたすら本と戯れた。 5か月弱の入院生活で、元気をもらったのは、本と駄文を書くノートであった。 自分がちょっと書いた書評が、大学生協の冊子に掲載されたりするのが、唯一の楽しみだったように思う。 その時のペンネームが、高馬憧雪 であるがあるが、一字もじって高賀憧雪とした。当時の友人にも、勧められた名前である。 あの頃は、ちょっとしたものでも良いからと物書きの仕事にできればと思っていたことを思い出す。

          元々、物書きになりたいなんぞと