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【ショートストーリー】『使命を受けて』

日曜日、僕はモヤモヤとした何とも説明出来ない思いと、少しの期待の両方を抱えて、その店のドアを開けた。 
僕の目に、彼女の姿がうつった..

「いらっしゃい」 
カウンターの中にいる年配のマスターが、僕をチラッと見て小さな声で挨拶した。 
5.6人の客の中、彼女はカウンターの一番奥の席に、ポツンと座り文庫本を読んでいた。 
僕は彼女のすぐ側まで歩いて行き、声をかけた。 
「アキ..」 
ハッと顔を上げたアキは、作り物ではない驚いた表情を見せた。 
「..びっくりした」 
本を読んでいる時の、彼女の羨ましい位の集中力は相変らずだった。 
「久しぶりだね...澤田くん」 
僕の呼び名は苗字に変わっていた。 
いや、戻ったというべきか。 
「うん..2年ぶりかな」 
「どうぞ。って私の家じゃないけど」 
そう言って、アキは隣の椅子を引いて笑った。 
椅子に座った僕の前に、マスターが水を置く。 
僕は軽く頭を下げて、彼女の前に置かれているカップを指して言った。 
「あの、同じのを」 
「はい」 
アキは、マスターが離れるのを待って、僕の目を一瞬見てから、以前と変わらない調子で聞いてきた。 
「それで..優子さんの様子は?」 
「うん..何ていうか」 
何とも説明しづらい話だった..

アキ以外には..

僕の3つ歳の離れた妹の優子は、2ヶ月前、大学で突然倒れて昏睡状態のまま入院した。 
特に脳などの異常は見つからなかったが、意識が戻らなかった。 
だが、1ヵ月前、ベッドの横で見つめている母親の前で、突然目を覚ました。 
本当に突然だったらしい。 
母親の説明では 
「なんか、ロボットのスイッチがいきなり入ったみたいだったのよ、本当に!ビックリしたもの」 
との事だった。 
元々、優子は本や映画が好きなインドア派の大人しい子で、いつもニコニコと微笑んでいた。 
だが、意識が戻ってからの彼女はどこか違った。 
何というか..優子じゃない気がするのだ.. 

意識が戻った、と母からの電話で病院に駆け付けた僕に、優子は力強さを感じさせる口調で言った。 
「お兄ちゃん。私、戻ってきたよ」 
「...あぁ...うん..」 
とても何処からだよ、と軽口を叩ける表情では無かった。 
数日後、退院して自宅に戻った優子は、前よりも口数が減り、何か考え込む様に、黙って一点を見つめている事が多かった。
両親は娘が無事に戻って来た事が嬉しくてしょうがない様子で、優子の変化については特に気にしていない様だった。
心の中は分からないが..

「私、優子さんに2回しか会った事ないから、今、会ったとしても違いは解らないなぁ、多分」 
アキは、優子の事を思い出す様な表情でそう言った。 
「いや、会ってくれって言ってるんじゃないよ。アキ、こういう話好きだったなぁ、と思ってさ」 

付き合ってる時のアキは、しょっちゅう、人の【こころ】の不思議さについて語っていた。 
当時、彼女がしていた話で、僕が一番印象に残っているのは、イギリスのシャイな少年が、長い昏睡状態の後、意識を取り戻してロックバンドで革命を起こしたという話だった。 

僕はアキに是非とも、この優子の話を聞かせたいと思った。 
でも本当はそれだけでは無かったのだが.. 

そして、届くかどうかも解らないメールを送ってみた..

「あのパンクの人の話みたいじゃない?」 
僕の問い掛けに、アキは少し首を傾げてから答えた。 
「パンクの人?ああ、ジョンライドンか。そうだね」 
彼女は、その少年は昏睡状態に陥った時、何か大きな存在からの使命を受けて、生まれ変わって戻って来たんだと、自らの見解をしきりに僕に語っていた。 
正直、音楽とその手の話に疎い僕にはピンとこない話だったのだけれど.. 

「じゃあ、優子も何か使命を受けて戻ってきたのかな?」 
アキは、僕の質問に笑わずに答えた。 
「そうかも知れないね」

ここでマスターがカップを僕の前に置いて言った。 
「ごゆっくりどうぞ」 

僕は、軽く頷いてカップを口に運んだ。

「まあ、なんだかんだで戻ってきてくれて良かったよ」

アキは、軽く笑って頷いた。

「うん、そうだね。」

僕は、彼女の顔を一瞬見て、視線をカップに移した。 
そしてカップを見ながら、少し声を落として呟くように言った。

「...じゃあ..アキも戻ってくる?」

彼女は、少し僕の方に顔を寄せて聞いた。

「ん、どこに?」

とぼけている訳では無い様だった。 
僕は、恥ずかしくなってしまい、俯きながら答えた。

「どこって..その..使命を受けて..さ」

アキは、言葉の意味に気付いた様子で、カップを両手で触りながら、少し嬉しそうに笑って言った。

「あぁ..ふふっ、使命を受けて..か」

【終】

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