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◆印象派-画家たちの友情物語

先日、アーティゾン美術館の『印象派-画家たちの友情物語』を観に行った。

美術の知識は浅いが印象派は好きで、何度か企画展を訪れているが、画家たちの「人間関係」に着目したものは初めてでとても新鮮だった。

展示室では、印象派の画家たちがさまざまな取り合わせで語られていた。例えばわたしの好きな画家のひとりであるシニャックは、モネの個展を訪れたことがキッカケで画家を志すことになる。モネについては「睡蓮好きすぎだな」くらいに思っていたのだが大感謝である。

カイユボットの遺言執行人としてルノワールが奔走した話には心が動かされた。二十八歳の若さで逝去したカイユボットは、多数の印象派絵画を『フランス政府に寄贈する』と遺した。故人の思いをそのままに絵画があるべきところに収まる、その尊さをよく知るルノワールだからこそ東奔西走したのであろう。

だが、一番気になったのはブラックモン夫妻だ。夫・フェリックスは、妻・マリーが印象派の影響を受けることを快く思っていなかったという。同じ芸術家であり、しかし志を異にする者同士が結婚してうまくやっていけたのだろうか。音楽性の不一致で解散するバンドの如く、離婚の危機はなかったのか。

「わたしが元恋人たちと別れた理由など、ふたりを前にするとちっぽけすぎるなぁ偉大な夫婦だなぁ」などと思いながら調べていると、わたしは思い違いをしていたことを知った。

てっきり、フェリックスが印象派に属さず、だからマリーが同派の画家と付き合うことを良しとしなかったのだと思い込んでいた。

しかし、フェリックスも「印象派」とされていて、マリーに同派の画家たちを紹介したのは、なんと当の本人のフェリックスだったのだ。

フェリックスは、彼らの影響を受けのびのびと制作し、才能を花開かせてゆくマリーを妬んでいたと言われている。もちろん彼の本当の心情は断言できず、伝記もほとんど知られていない。けれど、嫉妬ゆえに、マリーの制作活動を受け入れられなかったのだとしたらなんと悲しいことだろう。

その後夫妻は離婚こそしなかったものの、フェリックスの抑圧のせいか、マリーは五十歳で制作をやめてしまっている。

フェリックスの気持ちもわからなくはないが、やはりマリーを思ってしまう。

きっと、彼女の根底にはいつも制作活動への情熱があったのだろう。そして、親の反対を押し切ってまで結婚した夫・フェリックスの存在も、だ。

制作活動こそが、マリーをマリーたらしめていたにも関わらず、フェリックスはマリーの画作を愛することができなかった。


いっしょに芸術を志し、志したからこそ破綻してしまった一組の夫婦に、思いを馳せたい。


参考文献
島田紀夫監修『印象派美術館』小学館、2004年

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