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遺書No.932 障害理解と距離感。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2007.01.28
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社会福祉を勉強したい気分。
えぇ、いまだけかも知れませんがね。
約2年間働いてくれた学生アルバイターが、
就職して実家に帰る事になった。
久々に酒を飲みながら色々と話したよ。
こんなんでも彼よりは人生経験が豊富なのでね。
そして思う。
俺は今までに何を学んできただろう。
これから最優先で学ぶべきものは何だろう。




こんばんわ、みーくんです。




とりあえず、酔ってます。

今日仕事の都合で電車に乗っていたら、
車内に障害者の男性がいた。

近くには小さな女の子。
そしてその子の母親。

男の人を女の子がジロジロ見ていると、
母親が女の子に酷く注意した。

なんだそれ。

俺から言わせると、
なんだそれ。

ジロジロ見ちゃいけないと注意した母親。
お前何が言いたい?

そりゃ正義かい?
障害者への優しさのつもりかい?

もし俺の両腕が無いとして、
女の子がジロジロ見てたとしよう。

まぁ俺は両腕が無いんだ。
見られるなんて当然だろう。
それがイヤなら家からでねーよ。

するとどうだ。
その母親がジロジロ見るなとキツクその子に言うではないか。

俺を含めて3人の中で1番両腕が無いことを意識してるのは、
母親のアンタだよ。

ジロジロ見るな?
チラ見でもして後で同情でもするか?

まぁいい。
それはお前の自由だ。

もちろん、実際にその男性の気持ちを無視してる訳ではない。
確かに見られる事を快く思わない人もいるだろうしね。
自分も幼い頃に転校した時、
見知らぬ同級生達からジロジロ見られるのは気分良いもんじゃ無かった。

でもね、
心身に不自由なハンデを背負った人に対して、
その人自身の存在やハンデに見ぬ振りする事と気を使う事は違うと思う。
こうやって書くと言葉選びになって揚げ足とれちゃうけど。

もしジロジロ見てて女の子が心無い事を言うようなら、
注意してしかるべきだとは思うが。
見ない、関わらない、興味、好奇、気配り、気遣い・・・
短い文章で言うにはニュアンスは変わっちゃうだろうけどね。


ただ子供だけじゃない、
人に注意する時、まず自分を見ろ。

珍しく、というか相当久々に酒を飲んで酔っているせいか、
ひどく文章が散漫な気もするが、
これだけは言いたい。

考えもしないで周りの常識に囚われんな。
いい加減な人間になるぞ。


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2023.11.10
毎日遺書を書き始めた当時932日目の投稿内容。
おっと、まさかこんな事を書いた日があったとはね。16年前のボクよ、おまえは16年後に精神疾患と障害理解への偏見のない社会を創るお手伝いがしたい!と医療・福祉業界に身をうつす事になるぞ。


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過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。