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地震のニュースとストレス胃痛と

出鼻を挫かれる、とはこういうことかと思った。

2024年元旦から、日本は地震に見舞われた。年末の仕事が終わり、ようやく「来年からはああしようこうしよう」と考えながら、正月三が日だけはダラダラ過ごす。そんなはずだった人が多いと思うのに、正月さえ休ませてくれないなんて。。。年末年始の一瞬だけのほろ酔い。現実逃避、しばしのおやすみから、一気に目が覚めた気分だった。新しい年の、ああしようこうしようが、なんだかやる気を失って、どうでも良くなった。

英語で夫にThis was the biggest party pooperと言ってる自分がいた。なんで?正月に?また、あれを繰り返すの?なんで日本はこんなに災いを受けないといけないの?真面目に頑張る人がこんなに多いのに。束の間の正月くらい放っておいてよ。余震としてはあまりに大きく繰り返し起こる地震の数字を見ながら、Leave them alone!という気分になってた。

20代に一旦、アメリカへ出た私は、日本人のことをやっぱりhard workerだと思っているし、謙虚で、良い人が多いと思っている。頑張りすぎるのがたまにキズで、そこからのトラウマや頑固な思い癖を払拭できない方ともコーチングやプログラムを通してたくさん話してきた。そんな日本に、日本人に、こんなに災難が次から次へ降りかかることに、どうしても腹が立ってしまう。

最初、地震があったらしいと言うことは、スマホの天気予報にある地震情報から知った。震度7という文字が目に入って、これはただの地震じゃないんだと感じた。それから、ツイッターを見に行ったのが失敗だった。たくさんの人が、SNSで一番やってはいけないことーー住所を晒すーーリスクを負いながら、助けを求めているのが目に入ってきて、同じ国でここまで切羽詰まった人がいる事実に、衝撃を受けた。今の時代ならではの助けの求め方で、個人情報が不特定多数の前でvisibleになっていることにもショックを受けた。

私の体調は一気に悪くなってしまった。晩御飯を用意している時間帯、胃がギューっと締め付けられるようになり、一気にストレス性の胃痛へ変わっていった。急性にストレスがかかった時の痛み方だった。そこからは血の気が引いたような感覚になり、しばらくソファで休んでいないと倒れそうになってしまった。私より困ってる人が今の瞬間もたくさんいるのに。と考えながら、私は自分のお世話をすることだけで手一杯。となってしまった。同時に、それが情けなくとも、私には自分といてあげることができなければ、何か一番大事なことを放棄しているとも思えた。

みなさん、あのニュースで、心と体は大丈夫でしたか?

私はあまり公言してないけれど、いわゆる繊細なタイプなんだと思う。「この人にこんなことを言われてそれをずっと引きずっちゃって」といような心理的な繊細な傷つき方は、若い頃に比べてもうしなくなった。これには、これまでのトラウマと癒しの関係が深いんだと感じている。しかし、いつまでも治らないことーーむしろ、加齢により顕著になってきていると感じるのが、経験したことと、それの身体への現れ方だ。

人は、ストレスを感じたり感情が波立つと、いろんな出方をするんだと思う。私は、どうやら体に出る質らしくて、パニック発作もそうだけど、不安や恐怖などストレスを感じると体がおかしくなる。この間も、バイオレントな映画を映画館で観て、その時はドキドキしながらも楽しんだのに、その後に動悸が止まらなくてびっくりしたことがあった。思っていたより、自分にとってはストレスなのかもしれない。と自分の体に教えられることがある。

体調不良やパニック発作のようなものを通してストレス発散が起こると、不便なことも多い。乗れない乗り物があったり、突然体調が悪くなるから、約束事や拘束時間が決まっている仕事は苦手だ。いずれもストレスを体験しているときは、別にどうでもなく無理をしている自覚もないというのが特徴(違和感を見過ごす癖があるのかもしれない)で、事後現れたり、夜になってからリラックスしている時に症状が起きるのも珍しくない。

これは不便だけど、言い換えると体が調子悪くなることを通して、私に心のことを教えてくれているんだと、今では思っている。どうか、同じタイプの方で自分を責めている方は、そういうふうに思ってほしい。

私のところに来てくれる方の中には、HSPです。多分繊細なタイプです。と伝えてくれる方も多い。そして、そんなタイプの方の中で、気持ちの部分の揺れ幅が大きかったり、体調として出ることがある方は、決まった時間に決まった場所で働くことに対して、過剰なプレッシャーを感じていたり、できればやりたくないと感じていることが多い。予定や約束が苦手な人もいる。私ももちろんその中の一人で、それもあって、自宅でできる、自分で全て決められる自由な働き方を選択して、予定を変更しても約束しなくても許してもらえる人と付き合っている。

決まった時間に決まった場所で働くのが嫌。なんて、なんてわがままなんだろう。

そう自分で責めている方もいるけれど、私はそれは全くわがままだとも思わないし、そうお伝えさせてもらっている。こういう働き方が、全くストレスだと思わない人もいて、むしろ決まってる方が楽だと感じる人もいるからだ。たまたま、そちらの方が多数派だというだけ。ただ好みが違うだけ。そこに対して、自分がストレスを感じるならば、違う働き方を選ぶことは、長い目で見れば、賢明な選択だと言えると思う。

みんなに合わせるようにたくさん教わってきたから、頑張って合わせて働いてきたけれど、私もそんなことをしたら、長続きできる仕事がなかった。合わせようとしても結局こうなるんだから、もう自分の心地よい方向でやる方がいいんだと思ってる。

こんなタイプの方は、普通に生きていくことが不便に感じることも多いし、みんなができることがどうしてできないんだろうと感じることもあると思う。私もある。こんな事故や事件を見て、心理的にパンチを喰らって、日常生活が止まることもある。

それでも、それは何も特別なことでもないし、病気とかいう捉え方も私はしていない。その人の特質だったり、ストレスの出方の癖なんだと思っている。そんなことがある自分をどうやって認めながら、より快適に、より自分の能力が出しやすいように生きていけるか。そこを探っていってあげるのが、自分へのコンパッションだと思っている。

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