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《長編小説》全身女優モエコ 第十六話:文化祭演目 舞台『シンデレラ』赤い靴

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 ボロボロのドレスを持ってクルクル踊るシンデレラに会場は騒然となった。何故モエコはあんな焼けただれたドレスをもって踊るのか、何か事故でもあったのか?それともドレスを買う金がなくて昔の衣装を使いまわしたのか?

 担任はボロボロのドレスを見た瞬間、真っ青になった。間違いないあの女子生徒たちがモエコのドレスを焼却炉にでもぶちこんだのだ。ああ!この舞台は大失敗だ。もう俺の教師人生は終わりだ!そんな彼をいつの間にか隣に席を移動してきた校長がじっと見ている。なんて冷たい視線だ。今にもクビを宣告しそうだ。

 しかし舞台のモエコはそのボロボロのドレスに見とれ、真から喜びを表現している。ああ!なんてきれいなドレスなの?こんな煤っ子がこんなきれいなドレスを着れるなんて!そのモエコの歓喜を全身で表現した演技に観客はボロボロのドレスのことなど忘れ再び舞台に釘付けになってしまった。魔法使い役の女子生徒はボロボロのドレスを手にしたモエコが観客の視線を一心に集めているのが悔しかった。チキショウ!この煤っこめ!これでも喰らえとばかりに馬車を呼び出した。

 そして黒い敷物で覆われた馬車が現れた。馬車の馬は当然男子生徒だ。木の役すら振り当てられず、一生奴隷よと言わんばかりに馬の役にさせられた選りすぐりのブサイクの男子生徒だ。馬のぬいぐるみの中で彼は泣いているだろう。しかし彼らの涙は誰にも見えない。見えたところで嘲笑されるだけだ。

 黒い敷物で覆われた馬車は女子生徒演ずる御者にひっぱたかれながら舞台の中央で止まった。そこで魔法使いが御者に覆いを取れと命令した。ああ!その馬車のなんと醜いことか!馬車にはそこら中に落書きされ、とても正視に耐えぬ言葉すら書かれていた。それでも必死に歓喜の演技をしているモエコに向かって、魔法使い役の女子生徒は悪魔のように囁いた。

「シンデレラや、はやくそのドレスと靴を着て馬車にお乗りよ」

 舞台上のモエコは馬車に隠れて着替えを始める。魔法使い役の生徒は、そしてステージの隅で舞台を見ている女子生徒も、これで舞台は完全にぶち壊せたと思った。確かにモエコはボロボロのドレスに耐えた。そして落書きだらけの馬車にも耐えた。だけどガラスの靴は履けまい。もうこれで舞台は完全にぶち壊せた。女子生徒たちはモエコの無様な姿を想像してほくそ笑んだ。ざまあみろモエコ!煤っ子のくせに夢なんか見るな!身の程を知れ!

 モエコはボロボロのドレスを見て心で涙した。しかしシンデレラはこんなことでは挫けない強い心を持っているはずだ。だから私は負けない!彼女はボロボロのドレスを身にまとい、鮮やかに舞台に現れた。そしてガラスの靴を履こうとしたのだが、モエコはガラスの靴の中に画鋲が敷き詰められているのを見て呆然としてあたりを見回した。見ると魔法使いや御者役の女子生徒が薄気味悪い笑いで彼女を見ているではないか。女子生徒たちは動揺するモエコを見て早くやめてしまえ、泣いて、もう舞台は出来ませんとでも言え!舞台の上で画鋲を取るの?だけどその画鋲は強力な接着剤で貼られていて取ろうとしても取れないのよ!さあ、舞台から逃げてしまえモエコ!魔法使いは悪魔の笑いを浮かべてシンデレラに言った。

「さあ、シンデレラや、その靴をお履きよ!舞踏会で王子様が待っているんだよ!」

 その言葉に込められた嘲笑にモエコは負けたくなかった。ここで舞台から逃げたらシンデレラが泣くだろう。そして自分は二度と舞台に立てなくなるだろう。私はシンデレラ。シンデレラだからガラスの靴を履かなくてはならない!そう決意を固めたモエコはガラスの靴を揃えると、うっとりと笑みを浮かべてそのまま履いてしまったのだ。そして彼女は画鋲の痛みに必死に耐えながら歓喜の演技で叫んだ。

「ああ!なんて素晴らしいの!こんな素敵な衣装を着て舞踏会に出られるなんて!」

 このモエコの行動に舞台上の魔法使いの生徒役は勿論、袖の画鋲入のガラスの靴の事を知っている女子生徒たちは驚愕し、一瞬息を止めてしまった。その動揺する女子生徒たちのそばで、先程からモエコを食い入るように見ていた王子役の生徒はボロボロの衣装を着てステージの中心に立つモエコの神々しい姿を見て感動し我知らずこうつぶやいていた。

「美しい……」

 会場もまた王子と同じようにモエコに感動していた。ボロボロ衣装で落書きだらけの馬車に乗っているにも拘らず、彼女を真から美しいと思ったのだ。歓喜のあまり両足を震わせるシンデレラ。モエコは今その演技で観客をシンデレラの世界へ連れ去っていた。何ということだ、こんなボロボロのシンデレラが我々を感動させるなんて、彼女は石をダイヤに見せる魔術師なのか?たしかにモエコはその一生を魔術師として生きた。舞台は夢、ならばその夢を永遠に輝かせればいい。そう、モエコはこの舞台でおぼろげに自らの歩むべき道を感じ取っていたのだ。

 担任は落書きだらけの馬車が出てきた瞬間から、もう自分の教師人生は終わりだと頭を抱えてうずくまっていたが、突然隣の校長が肩を叩いたのでびっくりして顔を上げた。見ると校長が間近で彼をじっと見ているではないか。ああ!これでもう終わりだ!とクビの宣告を待っていたら、校長が舞台の方を向いてえらく感心した表情で担任に向かってこう言ったのだ。「君はあの子達にブレヒトでも教えたのかね。あのシンデレラ役の生徒にあえてボロボロの衣装を着させたのは、異化効果を狙ってのことではないかね」校長のなんだかわからない言葉を聞いて、とにかくクビは免れたと安心した担任は調子に乗って「人もイカもぶれないことでこそ輝くんですよ!ボロボロの衣装を着てもそれを守れば効果バツグンです!」とペラペラと果てしなく適当な事を喋ってその場を取り繕った。

 モエコの奮闘ぶりに女子生徒たちは果てしなくショックを受けていた。何故この子はこんないぢめられても舞台から逃げないのよ!アンタの足の裏は傷だらけじゃない!どうしてよ!どうしてそんなに幸せそうな表情が出来るのよ!そんなボロボロの衣装を着て、落書きだらけの場所に載せられて、しかも画鋲入りの靴まで履かされて!そんな表情しないでよ!まるで私たちバカみたいじゃない!

 シンデレラを乗せた馬車はステージの左端の舞踏会の会場に着いた。モエコは着くと同時に喜びに飛び跳ねて地面に降りた。それを見て女子生徒たちは息が止まった。モエコは足を震わせながら魔法使いに向かって感謝した。

「こんな素敵なドレスと靴をプレゼントしてくれてあるがとう!この恩は一生忘れないわ!」

 台詞を言い終わったモエコはしばらくその場に立ち止まり、魔法使いの女子生徒の台詞を待った。しかし女子生徒は台詞を言い出せない。モエコの圧倒的な奮闘ぶりに怖気づいてしまったのだ。ボロボロのドレスも、落書きだらけの場所も、そして靴の中の画鋲でさえもろともせずモエコは演技をしている。そんなモエコにこんなバカげた事をした自分に彼女と同じステージに立つ資格などない。女子生徒は魔法使いの衣装を脱ぎ捨て逃げようと思ったその時だった。目の前にバッとモエコが立ちふさがり、彼女に舞台から逃げるなと目で訴えてきたのだ。女子生徒はそのモエコの強い意志に答えようと震える声でやっと台詞を言った。

「さあシンデレラや、舞踏会をおもいっきり楽しんでおいで。但し、十二時までには絶対に帰るんだよ。十二時を過ぎたらお前の魔法は解けてしまうんだからね」

「ありがとう!魔法使いさん!」

 魔法使い役と馬車は去り、そして誰にも気づかれずに舞台を支えた木の役の生徒も去り、森の絵が書かれた背景も幕で隠されモエコはしばし一人だけとなった。舞踏会が行われる屋敷の前に立つ彼女にスポットライトが当たった。その時だった。誰かがステージのモエコを指差してこう叫んだのだ。

「おい、あの子の靴見ろよ!真っ赤になってるぜ!」


 

 
 

 
 

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