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なつくまエッセイ【ゼンマイじかけのシンビジューム】

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こちらはエッセイのコーナー。シンビジュームは可憐なのに、よくみると毒々しいランの一種です。
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#日記

比喩的日記「ある意味、しあわせを教えてくれた、カンガルーポケット」

※これは今日(厳密には昨日)あったできごとを、ちがうものごとに置き換え、視点を「私」以外で記した物語のような日記のようなよくわからないものです。あまりながくない、とりのめのない世界をおたのしみください。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  分厚い皮と身のあいだに親指を突っ込み、ちからを入れると文旦のなつかしいかおりが立ちのぼってくる。ひと房、ひと房、皮を剥き、口に放り込んだ。  数時間前、彼女はどこでも階段教室に行っていた。どこでも階段

どんがらがっしゃん

こどもが私に指で銃をつくって「どん!」というので、近づいていったらまだ指銃で撃たれた。 だから「どんがらがっしゃんー、どんがらがっしゃーん」と、息子に抱きつこうとする母(わたし)。彼は笑いながら怒って、「どんがらがっしゃんするよ!」と手の銃を向けてくる。 私は「どんがらがっしゃーん、どんがらがっしゃーん!」と騒ぎなら、ぎゅうを狙って近づくと、また息子に「どんがらがっしゃんするよ!」と追い払われる。 という、よく分からない遊び?戯れ?をしていた。 いったい、どんがらがっ

出て行く旦那さんと赤ワイン

ゴルフに行ってくるよ、と夜9時頃、旦那さんが出ていった。 玄関へ続く電気が消えて、「ああ、行ってしまった」と思った。 「行ってしまった」というのは、悲しみや不安を含んでいるがそういうフレーズが浮かんだのは、昼間会った女性に 「既婚男性のジム通いは、浮気の口実になる」 と言われたのを思い出したためだ。 その時は夜景の見える高層ビルで、女を囲うちょいひげオヤジを思い浮かべたけれど、 あれ今、うちの旦那さんも夜のランデブーに行きやしたぜ と気づいてしまったわけ。 ま

年末なので今年のこと、来年のこと。

手帳を買った。 使い方が記された、ミニ冊子付きだ。 バーコードを読み込むと手帳の説明動画が観られるサービスまである。つくり手の意気込みを感じるじゃないか。 月の予定の書き込みスペースが狭いので、また新しい手帳を買うことになる可能性もあるが、今のところは気に入っている。 年末は予定があまりないからね。 それに月の予定は、アプリ管理が向いている。 ということで…… 2019年の振りかえり●仕事について 取材案件が急激に増えた年だった。しかし時間管理がうまくいかず、

卵ボーロと言えなくて号泣

クリスマス前の土日に、私と子どもたちはミュージカルに出演した。 子どもはとても柔軟なので、なんでもすぐにおぼえる。でも私は、アドリブはできるがとにかくセリフが覚えられない。 どうしても卵ボーロが、マルコポーロや餃子になってしまうのだ。それが公演2日前くらいまで続いた。しかもそのシーンはラストに向かう重要な場面。普段、裏方に徹している方や共演者から、どれだけ重要なシーンか、あなたがちゃんとやらないとどんなことが起こるかなどを含むLINEが届いた。 もう卵ボーロが言えないなら、グ

書くことは本当にめんどうな作業ですよ

誰かが「書くことは面倒なこと」と言っていた。 本当その通りで。 日記的な文章ならば、つらつら書けるけれど、人に何かを伝えようと思うとそのハードルはぐっとあがる。 今はやりの(と言っていいのか分からないが)、自分が読みたい文章を書く方向性で考えても、いろいろ気をつかう。 だってつまらない文章は読みたくないもの。 体力もつかうから、書き終わるとくたびれる。でもやめられないのだ。 あやしい薬に匹敵する、中毒性があるのかもしれない。 こういう自分になったのは、ある先生の

なぜミュージカルを始めたか

ミュージカル劇団に入って2年ほど経つ。歌は上手くない、ダンスの振り付けもおぼえられない、「台本をインプットできる女優さんは、頭の構造がどうかしている」と思っていた私が、なぜミュージカルを始めたのか。 今回はそんなおはなしをしようかと思う。 ・・・・・・・ 趣味という趣味がない。 本を読むこと、仕事をすること、泳ぐこと。 それらが好きだけれど、ライターだから本を読むのは当たり前だし、泳ぐことは最近、とんとやっていない。 将来にわたり楽しめてキレイになれるようなお稽古

仕事の話しではないですよ

人に認められたいという思いで行う行為に未来はあるのか。 私はそう思わない。ねじまがった希望は、きっと何かで崩れるだろう。 相手がどうではなく、自分がどうなりたいかで進む。 それが理想だ。 だがわかっているが、苦しい。やっぱり誰かに認めてもらい、ダイジョブだよ、がんばればうまくいくよ。あなたも仲間だよ、いなくてもいい人じゃないよ、と言われたい。 だから、ついそう思われたいがために頑張ってしまう。 だがうまくいかなくて、「ああどうせ私なんて、うまくできない人だから」と

(随筆)不確定な世界「達成感」

駅をおりて、グーグルマップを起動させた。 なのに、ぼんやりした色のまま動いてくれなくて、少しあせる。 いただいていたメールで住所を確認する。 よっしゃ、これで伺える! 私は小躍りするきもちだった。 ちょうどそのころ、グーグルマップ起動。 私のなかで妙な達成感が、ぐにゅんと突き出てきた。グーグル先生に頼らなくても、行く先わかったもんね、というねじ曲がった想い。 でもそういうプチ達成感(いや優越感か?)はすぐに消えてしまうものだ。 だってもう一度ちゃんと迷って、グー

ボケ防止のために知らない土地に行きたいわけでも職業旅人になりたいわけでもないけれど、近場の未知を開拓したい。そんな乙女心をわかってくれる人、この指とまれ。ってもう乙女じゃないなんてこの際抜きでね。ここすべてタイトルですが、どれくらい入るか興味があっただけなんて口がさけても言えないよ、好きだなんて。

なるべく知らない場所にいくとボケにくい、なんて話を以前きいた。 だからってわけじゃないけど、知らない場所に行くのが好きだ。 車でもナビ通りにまず走らない。直線距離をぐんぐん突っ込んでは迷い、おおまわりして喜んでいる。 ふらりと入ったお店で、天然酵母のもふもふパンを買って帰る。 それだけで、今日という日が特別になるのが、知らない土地のマジックだ。 数時間後、地元にもどりホッする自分がいるのも、たしかだが。 プチ旅行は、自分をちょっぴり生き物にしてくれる。