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自己紹介します✨part3

今日もこのブログを訪れてくださり、ありがとうございます。

今日は私の子ども時代のことを書きたいと思います。

わたしは3人兄弟の末っ子。
5歳年上の姉と4歳年上の兄がいました。

年子の姉と兄はよく喧嘩をしていて、
私を抱っこしたくて、二人が赤ちゃんだった私を泣きながら引っ張り合いをしていて、
身体がちぎれそうに痛かった私は泣きながら、
「どっちでもいいから離して〜」「お母さんほっとかないで助けて〜」って思った記憶があります。

そんな小さな頃から、家族といることや、
家の中が安心安全ではなかったような感覚を潜在意識にすり込んでしまったんですよね。

一般的にはお父さんは地方公務員、お母さんは看護師ということで何不自由ない家庭だったと思いますが、

兄と姉が自由奔放なジャイアンとジャイコみたいな感じだったので
幼少期の頃からお母さんから「菜生だけはいいこでいて」と言われ続けて、
兄が中学生で不良になり、警察や学校のお世話によくなっている時に、
家の中で兄と母の叫び声や怒鳴り声が聞こえたりする恐怖に震え、
兄のことで心身ともに苦しんでいるお母さんの悲しい顔を見たくなくて、
さらに「菜生だけはいいこでいて」が悲しみと共に心に入ってきて、
お母さんの期待に答えようと頑張って生きてきてしまいました。

小学生の時は、良い点をとることや良い賞をとることがお母さんが喜ぶことだと思っていました。

元々勉強も好きだったので最初は楽しかったのですが、
中学生になったある時、テストで99点をとったので「これは喜んでもらえる!」と自信満々にお母さんに見せに行ったら
「なんであと1点がとれなかったの?」と言われて、絶望的に悲しかったのを覚えています。

頑張っても認めてもらえない。完璧でなければならない。

元々は繊細で母の気持ちに寄り添っていた私が、
言葉にできないものの母を嫌いになった時期でもありました。

さらに小学生の頃から家庭内で兄にはいじめられて今思うと
虐待のような体験をしていたので
(面白くないことが起こると私に当たっていたんだと思います)

家の中が安心安全ではなく、布団を被って怯えていた記憶があります。
布団の中だけが自分の唯一の場所のようにその頃は感じて眠っていました。

だから、ずっと寂しさと孤独感が根深かったですね。


学校では友達もたくさんいたのですが、
いじめがあることが理解できずに、
いじめる側にはもちろんならないですが、
無意識にいじめられてる子たちを守ることやいじめに加担しないことをしようとして悲しくてもいつも笑っていました。

そんな自分をピエロみたいだなと小学生の頃に感じていたことを覚えています。

だから家族や友達がたくさんいて円満風な家庭でしたが、
繊細な心でいろんなことを感じながらも、言葉にできず、感情を飲み込み続けていたので、自分のことが好きではない子ども時代でした。

友達がたくさんいるだけに、実は寂しかったことも誰にも言えずに、
その寂しさはなんなのかも分からずに生きてきました。

そして大人になるにつれて鎧を着ていってしまったのだと思います。

最初に新卒で入ったベンチャー企業で頑張りすぎて、
自律神経失調症になって退職してから、いろんな体験をしながらも、
夢を持って生きている大人たちにも出逢うことができて、
大人になってから、鎧を抜いで生きていくことをしてきました。

この5年から10年は自分を愛する、自己愛、自己受容をテーマに意識して深めてきました。

そして、今、一人でいても至福を感じるほど安らいでいれる私になっています。

ここでは端おりますが、自己統合に加えて、宇宙との統合も進んで、
地球を愛の星にしたくてこの星にやってきたスターシードであることを今は自覚しています。

自分が創造主であることを思い出して、
あるがままの自分を愛して、どんな自分を抱きしめて自己受容して、
誰のことも批判せずに、エネルギーを奪い合うことをせずに、
自分の内側にあるいのちの泉から溢れてくる愛を
この世界に溢れ出して生きていくことを全ての人ができることを確信して
お伝えしていきたいと思っています。

ここまで読んでくださった方、大好きです。

ありがとうございます。

自分らしく、あるがままの自分を愛して生きてこう。

Love

Nao


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