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『生命交差線』--走れ田口Ⅱ--

「死よ驕るなかれ 汝を力強く恐ろしいと
 いう者もいるが 決してそうではない」

(『死よ驕るなかれ』 ジョン・ダン著)

【予期せぬ一本の電話】


 突然やってくる。予期せぬタイミングに、突然。
 「(松井)ゆいが死んだ。自殺」と、岩井さんから電話が入った。
  夜中の1時。
 「え?本当なの?信じられ…」
 「ないよね。私も。現実だと受け入れられない。田口、この話はヒミツだからね」
 「オッケー。にしても…」

 沈黙が続いた。

 少し間をおいて岩井さんが、明日も学校で朝早いから、と電話を切った。通話が終わって流れる音を聞き入っていた。

 <ツー。ツー。ツー。>
 この音の響きが心地良かった。

 不眠症だった僕は目が覚めていた。いつも通り学校が始まるまで、ノンストップで目を覚ましたままなのか、とため息をついた。

 岩井さんの言う通りだ。実感が湧かない。ゆいちゃんとは、アノ出来ごとの前の日に、ともにタバコを校舎で隠れて吸ったのに。ほぼ毎日、隠れて吸う仲だったのに。

 動機が分からない自分にいら立ちを覚えた。

 17歳の僕は高校三年生。

 高校生に同級生の自殺は堪(こた)えると思うかもしれない。確かにそう。一方で、本当に何が何だか分からないのだ。他人が死ぬとは何か--。

 死に直面するほど成熟しきれていない。死に直面すると言葉は無力だ。無言でいるほかなかった。

翌日

 一睡もせず学校へ。皆が静かな様子。同時に、誰かと何かを確かめたいような雰囲気を醸し出しているのが、存分に伝わった。五月上旬の雨音が教室内にこだまする。

 妙な空気感。

 いつもとは違う。その違和感を処理しきれず、皆が沈黙気味な一方で、何か--自殺を受け、それぞれが抱く違和感のようなものだろう--を、言いたげな様子でもあった。「今、口に出すべきではない」と、暗黙のルールに従っているようだった。

 沈黙した教室内で、雨の音だけが反響していたのを鮮明に記憶している。

 その日、授業が終わってから10分ていどのクラスルームで、担任の教師が口を開いた。

 「松井さんは残念なことに交通事故で亡くなられた。どうか大ごとにしないでほしい」--僕は内心で意図を見抜いた気でいた。

 後追い自殺の防止としてあえて自死であることを隠した。もう一つは、学校のメンツ。後者はどう考えても学校側のイメージを気にするだけの、くだらないエゴにしか思えなかった。

 「〜高校の生徒が自殺したらしいよ」--おそらくこの伝播を防ぎたかったのだろう。バレたら志願する中学生が減ってしまう。自殺者の出る高校に通いたいと思うだろうか?同じ地区内での高校ヒエラルキーも意識しているはずだ。

 同地域の他校の教師に「学校側が対応していれば」など、風評を考えたのだろうか。ゆいちゃんに親しい人たちは、本当のことを知っているというのに、くだらない。

 誰かが、それも、ゆいちゃんに親しくもない、圏外の同級生が、突然泣き始めた。もちろん、必ずしもそうと断言できる根拠などないのだが、当時の屈折した心の中では、人の不幸をダシに、同情する「良い自分」を演じているように映った。
 人の死で、自身の株を上げようとするなんて、卑しく、あざとい。そうナナメに見ていた。

【駈けてゆく】 

 いつもの公園でタバコをふかしながら僕と丸井、田口とでグチをこぼしていた。この三人は自殺だと知っていた。

 「ったく。不幸で株上げようとするなんてうぜぇよな」。僕は勢いに任せて、怒りを煙と言葉に乗せ、言い放った。

 交通事故がウソと知っている同級生は、大体が目で合図した。

 「っつてもバレるまで時間の問題じゃねぇの?」と武田。
 「(担任の)北野も頭悪いよな。そうだ、葬儀の案内が三日後くらいに来るってよ。田口は行く?」
 「ああ、行くよ。丸井もだろ?」
 「うん。武田は?」
 「バイトあんだよね…」と言い、渋っていた。
 「やっぱ、その日は休むわ」
             ***
 葬儀当日。

 こぢんまりとした会場に僕らはまとまった。葬儀に出席しているのはほとんどが「自殺」だったと知っている。岩井さんもそこにいた。決まった動作のように、目で合図。

 経が頭に入ってこない。それ以上にゆいちゃんの死に顔が鮮明に脳裏に残った。--遺書もなく…理由は一体、と何度も自分に問いかけていた。例に漏れず、その日も眠れなかった。

 眠気に襲われなかった--あり得ないはずの光景が目の前にある。この衝撃をどう受け止めるのか、自分でも、いや、誰しもが分からなかったのだろう、と意識は覚醒していた。

【目の奥に】

 担任の北野に目を向けた。--怒りを覚えた。なんとあろうことか、寝ていたのだ。疲労からかもしれないし原因はいくつでも考えられる。

 としても、だ。

 生徒の死去を前に眠れてしまう、北野の神経に僕は憤りを覚えたーー教師なんて信じてもろくなことがない、と僕が不信感をもって接するようになったきっかけでもある。

 焼香の段になった。

 不器用な作法で香を焚き、お辞儀をした。ゆいちゃんの死が現実味を帯びてくるにつれ、憤りは収まらなかった。僕は香炉の灰を手に取った。高校生が覚える作法でもないから、まあ、不器用だ。

 きっと葬儀に同席していた、ゆみちゃんの親族をはじめ、目上の方がたは不恰好な僕たちの動きを見て「まだ青いな」と、思っているのだろう。

 天国で、ゆいちゃんは笑っているのだろうか--焼香のときに弔う気持ちと同時に、ゆいちゃんの存在を意識している自分がいた。

 自分の席に戻る少し手前のところに北野は座っていた。首をかしげ眠りながら、無関心に映る、担任の教師が、そこには確かに居た。

 「起きてくださいよ、北野先生」と言い、灰を北野に至近距離で思い切り、投げつけた。目が覚めた北野は何がどうしたのか…といった様子。

 「自殺って素直に言えない教師はみっともないですね。大体は知っていますよ。後追いしないよう、教育するのも先生の務めでしょう?」

 北野はふたたび目を閉じた。
         (了)

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