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『いつか王子様が』 (最終)

【最期】

目が覚めた。

 昼の12時だった。室内は蒸し暑かった。武治は自分の毛穴に、湿った空気が入り込み、湿度に毒されているように感じられた。

 寮の部屋の外では、女性キャストが、今日の指名のことを話していたり、客のグチをこぼしていたりと、意気揚々な雰囲気。

」とは違う。

 武治が雅で働いていたのは20代のころだ。週に3回ほど、ジャズピアノの演奏をしに来ていた。すでに引っ張りたこだったのに、雅で演奏していたのには理由があったーー。

 著名なジャズミュージシャンが演奏していたからだ。素晴らしい演奏を聴き入るためだった。有名なミュージシャンとのコネクションづくりが目的ではなかった。

女性ホステスは当時もいた。

 ただ、会話内容が、昔のかの女らのそれとは違う。大体はジャズの話だった。他は、誰が有名な、ジャズアーティストになのかの予想、今日のニュースについてなどーー。端的に言えば、質が高かった。本物だった。

かつてーー30年以上前の話だ。

 この店は、日本の数少ないジャズの聖地として、知られていた。皆川はダイヤモンドの原石を掘り起こす才能を持ち合わせていた。かれが発掘したアーティストは、続々と人気になっていった。

 数多くの人脈がある皆川は、武治にとって謎な存在だった。バーの経営だけでなく、どこから才能のある無名なジャズ演奏者を発掘するのか気にはなっていた。

 なにか「ウラ」があるのでは、と武治はどこかで恐れていたのかもしれない。薬物を介してなのか、他のルートなのか。ジャズに関係のないことは訊かないよう努めていた。

 バーの経営を軌道に乗せ、新人を発掘させたのはメタンフェタミンのおかげだ。同時に、今、皆川を悩ませているのもメタンフェタミンだ。その二重性に皆川はイラ立っていた。

 このバーを経営し始めてから、才能のある有望なアーティストを見つけ出すのに、メタンフェタミンの売買は必要不可欠だった。主に銀座で捌いていた。

薬物の売買をすることで、人脈が広がっていった。

 「どこどこの、だれだれが」「何をしているか、何を目指しているのか」ーー。話を訊き出すのに、アンダーグラウンドな仕事はうってつけだった。そこから、ミュージシャンを発掘するのには、案外相性のいい裏仕事。

 中にはのちに逮捕された者もいたし、変死する者もいた。無名な、才能を持ち合わせないアーティストの死、有名で才能を開花さえた、ジャズアーティストの死。

 皆川は、この悲劇のドラマを心の奥底では、楽しんでいたーー早世するからこそアーティストは惜しまれる。

生きていれば」と、惜しむからだ。

 長生きしていたら才能と技術は朽ち果ててしまう。そのような、グロテスクな考えを抱いていた。ところが武治は違った。

早熟だった。

 20代にして繊細かつ、大胆な演奏をする、稀有なジャズピアニスト。音が微妙にズレようものなら、ピアノを叩くこともあった。

 メタンフェタミンに溺れていったのも、有名になったストレスからだった。かれの中にはみえない葛藤があった。

 才能が賛美されるようになってから、圧力を感じるようになった。周囲の期待に応えるという圧力。徐々に期待値は高まっていった。重圧を跳ね除けようとする姿は、皆川をおののかせた。

狂気に近いものでもあったのだ。

 ひたすら音の「」を追求するがあまり、時に自己破滅するのでは、と皆川は危惧することもあった。承認欲求の強いアーティストとは一線を画す武治に、恐怖と敬意を抱いた。

 「たいていのジャズアーティストは」と、先入観を抱いていた。ところが、武治は違った。皆川は困惑してしまった。滅多にいない、ジャズピアニストだったから。

コイツは異端ーーつくづく感じたものだ。

 ーー武治、ここにはチャンスが溢れているぞ。コネクションを作って有名になれるのだからな
 ーーやめてくれ。俺にはコネやら周りのしがらみは要らない。自分の力だけで、最良の音楽を届けたいんだ。商業的すぎるのは好きではない
 ーーもったいない。それだけのウデがあれば、もっともっと有名になれるというのに
 ーー本当にうんざりするんだ。目先の金に執着する気なんて、1ミリもないんだ。むしろ、最近は名前が知られてやりづらい

 かれの目つきは野心的だった。コネクションがなくても有名になると、皆川には確信があった。事実そうなった。だが、あの一件で、妻の恵子を殺めてしまったせいで・・・

「アノ事件」から20年近く経った今。武治には昔の迫力がなくなっている。

 皆川は、かつての武治の勢いが衰退していると、寂しく思えた。とはいえ、自分もかつての覇気はないのかもしれない。

老いるとは、自分の武器を捨てることなのかもしれない。

 過去を思い返す。同時に今の武治を、過去の姿と照らし合わせ、年を重ねること、見舞われる悲劇で人間は変わることーー。これらを考えていた矢先だった。 

武治が事務所をノックした。

 「起きたか?」と皆川は声をかけ、けだるそうな返事の声を聞いた。「ピアノの練習がしたい」。

 その時の武治の目の奥にはかつての野心が、みなぎっているように映った。

開店前。

 武治は店内のグランドピアノで「枯葉」を弾いた。もちろん衰えている。しかし、過去に受けた衝撃が、皆川の心にこだました。

 武治の「狂気」にひれ伏せざるを得なかった。

 変則的な旋律に即興で生み出す、新たな音。まさに求めていたものだった。演奏の途中の出来ごとだった。

 武治は楽譜を思い切りフロアに投げた。「これじゃねえんだよ!」と怒りの声を放っていた。

この姿を見たかったのだ。唯美を追求する、怒れる武治。

 皆川はあえてあおることにした。「オイオイ、そんなことで怒らなくてもいいだろう。ブランクを考えたら相当なウデだ。そこらの音大卒のヤツらより断然聴き心地がいいよ」
 「他人と比べて何の意味がある!一人にしてくれ!」と憤りに満ちた返事をした。

 ーーこれだ。この武治を待っていた。怒りと狂気、常軌を逸したジャズピアニスト。

 この練習を目にしてからというもの、開店前は武治の練習時間に充てることとし、キャストも出入り禁止にした。

 1カ月の練習期間を経て、武治は営業時間にピアノを演奏することになった。皆川は心から歓迎していた。

 一方、練習に没入していたためか、娘がこの店のキャストとして働いていることを、武治はすっかりと忘れているようだった。

9月のとある晩。

閉店後に皆川が武治を呼び出した。

午前1時。

 真夏日の再会。あの日の夜中に話した、同じ時間ーー午前1時ーー同じテーブルで話を切り出すことにした。

 「武治、ピアノのウデには俺は何も言わないよ。けれどな、一つ最初に伝えたことがあったろう?」
 「秋子・・・」忘れていたのではなく、ピアノにやりきれない感情をぶつけていたのかもしれない。
 「そうだ。かの女と話すかどうか、決めるタイミングに来たんじゃないか?」

 武治は黙り込んでしまった。真夏日に出会った時とは打って変わって、今では、上品な紳士のようだ。順風満帆な、ピアニスト。だが、過去の傷は癒えていない。

 ーーまだ傷がのこっている。とはいえ、武治が目前の困難を乗り越えなければ親子関係が修復することはない。試練だ。酷かもしれないが、涙を流すだけではダメなんだ。護るのがアイツの務めだーーと、皆川は思いながら、責めるような目つきで見ていた。

 「いつ出勤するんだ?秋子は」
 「明後日だ。話を進めるなら、開店前にするか、閉店後でも。どちらでもいいぞ」
 「その時の判断でもいいか?できれば演奏後がいいのだが・・・」
 皆川は大きく、異論はないといった表情でうなずいた。

 秋子は自分のこれまでを思い返す。5歳で母が死に、父は刑務所。母方の叔母の家族のもとで暮らしていた。叔母は「人殺しの娘」と、かの女をみているように思えた。

 叔母たちは冷徹だった。食事が出ないこともある。成績不良なわけでもなく、むしろ上位なのに「出来ない娘」のレッテル貼り。理不尽な扱いに、中学時代までは耐え忍んでいた。

 高校1年生になった途端、尾が切れた。不遇な環境への反撥(ぱつ)ーー。家を飛び出し、夜の世界へ進んでいった。様ざまな夜の店を経験した。

 報酬は十分とはいえないように思えた。

 とある日、雅の求人広告を見、待遇の良さと寮が完備されていることから、働くと決めた。寮のある店舗を選んだのには、意図があったーーストーキングする前の恋人から逃れたい一心。

それだけだった。

 ところが、残念なことにその男は、雅に薬物を買い求める者だと知らなかった。そこから、いつ鉢合わせるのか、不安すら抱かなかった。

 雅に居れば完全に過去の交際相手、落合から逃れられると安心しきっていた。

だが、かの女に災難が襲うのも時間の問題だった。

 開店してからというもの、店内は一気に賑やかになった。「ネズミ問題」により、疫病が一時的に流行った。

 それを受け外出制限がかかっていた。ただ、政府はこの疫病を無くすのは無理だと判断。制限の解除に踏み切った。

のちに、解除によって感染が再拡大するとも知らず。

 外出を控えていた人たちが、一気に開放されたかのようにバーにやってくる。目当ては女性キャスト。美人揃いと有名だった。ジャズが二の次なのは、皆川の意に反するものだったが。

 薬物売買の「ハブ」となり、次は売春の温床になるかもしれない。今や女性が平気でカラダを売る時代だ。形式上は禁止しているが、キャストのなかには、男性客とプライベートで肉体関係をもっている者もいる。

 「ダメ」という体(てい)にしているが、実際に横行していることを皆川は把握している。

 ーー俺は救えないんだ。待遇はいい方かもしれないが、このままだと廃業するのが目に見えている。売春宿としてのバーに成り下がるのが関の山なのかもしれないなーー。

 煌(きらび)やかに輝く光に照らされるフロアに、男性の高揚感と女性キャストの色気が混ざり、店内は独特な空気感に包まれた。今日は武治の演奏だ。といっても、音楽を聴き入る者は、ごく少数だろうが。

午後7時。

 楽譜が目の前にある。黒いスーツで身を包み、一流のジャズピアニストのような風体。1カ月ほど前までホームレスだったとは思えないほど、見違えるような姿だ。

 ビル・エヴァンス「いつか王子様が」を演奏することにしていた。開店し、キャストと男性が席に着く。賑わい始めた段で、武治は演奏を始めた。

 視界に入ってきたのは秋子の姿。見知らぬ中年の男と手をつなぎ席に。見ているだけで、複雑な感情が、渦を巻いた。再会する喜びもあれば「まさか」女性キャストとしての娘を目の当たりにするとは。

 失った悲しみや、自身の不甲斐なさから、プロピアニストとあろう者が涙を流してしまった。その涙は鍵盤に滴り、音を外してしまった。言い聞かせた。「構うものか

 武治は、極限まで鍵盤に顔を近づけ、涙していることを隠しおおせようと、必死だった。

 皆川は音を外していることに気がついたが、事情を察知して反応することはなかった。

 曲の演奏がクライマックスに近づき、活気に溢れ始めるタイミングだった。

一人の男ーー落合--が、雅にやってきた。

 「ったく、皆川のヤロウ。早くよこせ!」と大声をあげた。20代半ばくらいで、体は不健康に痩せている。一目で見て、一般人とは「違う」と分かった。

 ーー人生の終わりだ。もう何も反抗のしようもない、と皆川は心でつぶやく。

 「それにな、秋子がここにいるのも知っているんだよ。匿うつもりだったのか?バカなヤツだな。早く出てこい!」と、その男は叫んだ。ナイフを持っていた。

 振り回しキャストに皆川はどこか訊き始めそうな気配だった。皆川はフロアにいる人たちにただちに逃げるよう、大声を放っていた。狂乱状態だった。

 パニックで逃げ惑う人たち。怯えながら大声を発する女性キャストたちーーこのような光景は初めてだ。

 「ここだ。もういいだろう。個人間で話を・・・」と言った瞬間、その男は、秋子に目をやった。

 「こっちに戻ってくれば、問題ないんだよ。シンプルだろう?」とナイフをちらつかせていた。

 演奏を止めた武治は騒然とした光景を目の当たりにし、何もできず、何も言えず、固まってしまった。
ーー秋子の命が・・・

 ナイフを振りかざす。その刃の先は、皆川なのか、秋子なのか判断がつかない。いずれにしても自分の娘に「命の危機」が迫っていることは確かだ。「危ない」。咄嗟の判断だった。

 秋子のところへと、一心不乱に駆けていった。「護るしかない」。秋子を正面から抱きしめるような格好で、かの女がナイフに刺されないように護った。

何分経ったのだろうか。

 「何で生きているんだ俺は」
 「お父さん。17年ぶりの再会なのに・・・」と秋子は涙を流していた。その粒は、武治の頬を伝っていた。演奏中に流した涙は枯れ、今はかの女の涙が、かれの表情を覆っている。

 「覚えていたのか。すまなかった。何も言えないよ」ーーよく一目で、俺が父親と気づいたな。恐らく実は、皆川があらかじめ伝えていたのかもしれない。

 秋子は過呼吸な状態でさらに激しく涙を流し、悲しみの声は大きくなっていった。「死なないで!ねえ!」と叫ぶころには、武治の意識は遠のいていた。

 ーーこれで愚行だらけの人生の幕を閉じるのだ。何も不満はない。何せ、娘の命を救えたのだからーーと、心の中で呟くが、景色がかすんでゆくのが分かった。

ごめんよ。これくらいしかできなくて」。武治の最後のひと言だった。

 皆川がナイフを奪い、男性を刺した。ーー俺も終わりにしよう。バーをこんなに汚染させてしまった元凶は俺にあるーーと、自分の過ちを清算するために、自分を刺した。

 床に転がる三人の男の死体。息をしていないのに、まだ生きているようだ。一匹のネズミが死体を漁る。遺体を嗅ぎつけては、血を飲んでいる。このネズミは、伝染病を街にばら撒くのだろうか?

こんなに凄惨な状態なのにもかかわらず、ライトは、陽気に輝いている。

まるで、息のない死人を明るく照らすかのように。

まるで、死人を這うネズミを照らすかのように。

【あとがき】

 この作品の原文は、大学時代に、英語で書いたフィクションです。確か、講義名は「クリエイティヴ・ライティング」。教授はアメリカ人で、英文でフィクションを書くのが、授業内容でした。

 何度も「ダメ出し」をされたのを覚えています。元の英文版はかなり簡素で、動的。「チャールズ・ブコースキー(米作家)のようにシンプルに書け!」と何度も喝を入れられたものです笑

 英語バージョンはWordで1〜2枚程度と、文字数がとても少ない。最初、この小説を書く際は、英語版を、日本語に和訳するだけで終わらせようと思っていました。

 ラクなので。手抜き精神が丸見えですね笑

 遡ると大学当時のぼくは、日本文学をナメていました。「英文で小説を書く日本人」を目指していました。「日本文学なんてくだらない」と、冷めきっていたのです。

 ところが「和訳作業」のつもりが、創作に変わっていきました。おそらく日本語に対しての感度が変わったのかもしれません。

 英文バージョンと大きく異なるのは、武治と皆川の存在感です。ここはあえて、色濃くしました。親子の再会にあたって欠かせない、二人の存在と老いるとはなにか、考えるようになりました。

 次に、描写です。

 元の文ではここまで「ひねり」を入れませんでした。というか、加えるという発想すらありませんでした。こうした作業を終え、思いましたーー年齢とともに、何にドラマ性を持たせるかは、変わってゆくのだと。

原文のラフな和訳も出したいところです。

 ただ、気が引けてしまいます。申し訳ないのですが、簡易な英文ですのでドキュメントをスキャンして、Google翻訳などにかけると、読めるかと思います。

 栄光と衰退、再会という救いーー。主人公は武治。かれの主要なテーマを、客観的に描くのは、新たな技法のチャレンジです。

 あらためて一度、すべてを失った人の「救い」を提示するのが主眼です。

 きっと、ぼくたちは、これまで、これからも挫折や盛衰を経験するかもしれません。

 良い時もあれば悪い時もある。その「程度」は人や状況、環境により異なるでしょう。

 そんな時に、この作品内の、絶望と希望を、ふと思い出していただけたら、このうえなくうれしい限りです。

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