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『欲の涙』(⑤)

【転生】

 ひめのですーー。そう言い放つカオリさんはこの街で「転生」したというワケか。写真で見たカオリさんは確かにここにはいない。

 栄養失調でいつ死んでもおかしくない姿だ。髪もツヤがなく、目がうつろーーシャブを覚えてすぐに、こんなにひょう変するとはな。

 「何の用ですか?」と、か細く震えた声で話した。やっとの思いで振り絞ったような声音が蚊の鳴き声のようだ。身体全体もが震えている。

 横に客、40代半ばくらいの男が立っている。ソイツは「何が何だか」といった様子。

 「私は帰る!」と荒げた語気でオレに言い放ってきた。早とちりしたようだ。自分で墓穴掘るなんて。谷川に目で合図した。目線が合うや否や、すぐにこちらへ来た。

 オレは強面ではない。表面上は一般人の表情を装っている。温厚に見えるだろう。いや、正確には、見せるようにしている。

 というのも、「いかにも」な顔で「いかにも」なことをすると、真っ先に持っていかれるのが関の山だからな。

 一方の谷川は真逆だ。

 表情と雰囲気から、つねに戦闘態勢と伝わる。言葉を荒げず、相手を威圧する。痩せ型低身長。そのシャープな体から放つオーラから、くぐりぬけてきた修羅場の数かずが存分に伝わるモンだから、相手は怖気づくーー何をするか、次の一手が読めないんだ。

 本職はもちろん危ない。ただ、半グレなのか、チンピラなのか、よく分からない谷川のように、躊躇なく人を殺めかねないタイプも、敵に回すと厄介だ。

【狂気】

 2年前のことーー。早朝の一コマだ。歌舞伎町の路地裏で、谷川は相手にパウンドを取ってノシていた。やりすぎだ。
 ーー死んじまうぞ、そこまでにしときなよ
 ーー誰だよお前?
 ーー訊く前にズラかったほうがいいんじゃないか?
 と、黙り込んで首を縦に振った。死人なのか区別がつかないところまで叩きのめしていた。どうやったらここまで詰められるだろう?相手は明らかに谷川より大柄なのに。

 何より、暴力事件なんてこの街ではザラで、通りがかりに見かけてもスルーを決め込むオレが、谷川に声をかけたのもよく分からない。誰かに似ている気がして、コイツとは仲間になれそうだと、変な確信があった。「誰か」がいまだに分からないのだが。

 声をかけた矢先に、警察官が現場に駆けつけた。どうにか身を交わした。
傷害やら暴行やらで、持っていかれかねないところを助けたコトには感謝してほしいよ、谷川には。

 ーー何があったんだ?デコがこんなに来てんぞ、とオレはその場しのぎに逃げた、ゲーセン内で訊いた。ゲーセン内のコインゲームをしながら、タバコを吸って時間をつぶした。
 ーー多分、話すとお互いここに居づらくなる。やめよう、その話は

 その日を境に打ち解けた。お互い持ちつ持たれつーー。どちらかが困ったら応援という関係になった。オレは素性を教えていないし、谷川のそれを訊くのは、なんだかナンセンスに思える。

 なんやかんやで、2年間お互いが「何者」か知らないままってコト。「知らぬが仏」とは的を射ている。名言は時代がこんなにも変わっても、生き残るんだ。フシギなもんだよな。

 確かに、お互いが素性を明かしたら敵になりかねない。谷川がオレの関係者をシメていたかもしれない。そうすれば縁もヘチマもない。逆もしかり。谷川がオレを狙う可能性もある。

 アイツの貫徹した考えは、理にかなっているのかもな。

 谷川が口を開いた。「少しいいですか?」とたった8文字。それだけで、50代半ばのオッさんは怯んでいた。語の圧に押しつぶされたオッさんは、帰らず、ヒザを震わせながら、その場に居とどまっていたよ。

 前日には、カオリさんを見つけ出したら即座に、長現場に来るよう、長野に伝えておいた。「見つかるかもしれませんので」と意図を言うと、きまりが悪そうに「もちろん行きます。行けなければ秘書が・・・」と、気が進まないような回答。

 自分の娘じゃないのか?依頼時は、大量に汗をかくほど、焦っていた。話しぶりから、精神的に追い込まれているような雰囲気を、十二分にかもし出していた。

 ところが、だ。見つかる可能性があると、ほのめかすと、態度が一変しているーー「関わり」を避けているように、依頼を後悔しているように、思えもした。

 とにもかくにも長野にその場で渡すんだ。

 カオリさんを救い出せてもオレの事務所に居させるワケにはいかないだろう?現場で長野に引きとってもらわないと、かなり危険な目に遭いかねない。詰められたら、オレと谷川では生き残られない。

要するに渡したあとは、長野でどうにかしろってコトだ。手付金が高かろうが、そこまでのリスクを引き受ける必要はない。その点は事前に伝えてある。

 アパートの出口で谷川は、オッさんの持ち物検査を始めた。「何を!」と言い返す勢いは、もうなさそうな様子。カバンの中には特になにもなかった。

 「ハコの中で打っているんですか?」と谷川は訊いた。うなだれるように、降伏したかのように、オッさんは、うなずいた。

 オレはカオリさんに長野の依頼で、捜しに来たことと、これから長野か秘書が迎えにくることをカオリさん、いや、ひめのに伝えた。オレが出来るのはここまでなんだ。

 「お父様から捜索の依頼がありました。それでここにいるのです。じきにお父様か代理のどなたかが来られるでしょう」と言った途端に、「ゼッタイにイヤだ!戻りたくないもん!!!」と金切り声を上げた。
 「と言われても・・・」とできるだけ、無難に受け流すように努めた。ここで荒波を立てると、他の人間もやってきて泥沼になりかねない。谷川には、オッさんをいったん手放し、カオリさんを見張ってもらうよう頼んだ。

 長野に電話をすることにした。これではラチがあかない。携帯電話を取り出した瞬間、カオリさんがこちらにやってきて、取り上げようとした。

 「アイツに電話なんてやめてよね!!!」。「アイツ」ーー。反射的に父を「アイツ」呼ばわりだ。相当嫌われているんだろう、議員ではない、パパとしての長野は。

 やむを得ない。谷川に身体を抑えるように伝えた。うまくなだめようとしても、言葉で自分の動きを制御できそうにない。錯乱状態にあるとしか思えなかった。

【後ろの正面】

 長野に電話をかけた。6か7コール目で出た。それも、本人ではなく、秘書が。「今、長野は席を外しておりまして・・・」
 「娘さんを見つけました。娘さんの番号からかかってきているから、確実でしょう?住所を言うから来てくださいよ。本人がいなければ『秘書が代わりに身柄を引き受ける』と話してましたよね?」と相手を逆撫でするような、話し方でオレは秘書に住所を教えた。
 「伺います。5分以内」と、急ぎ気味に相手は電話を切った。「なんでこんなヨゴレ役引き受けなきゃいけないんだよ」と、理不尽に怒りを覚えているような話ぶりだった。

 こっちだって困るというのに、さ。すったもんだで目立ちかねない。カオリさんでもひめのさんでも何でもいいや、この際。かのじょは大声で「ヘンタイさんです!!!」と。確かにってなる絵面だから余計にこじれる。

 男二人でオッさんを詰めているのか、男三人が未成年の女の子を狙っているのかーー。いずれにせよヤバいか、ヘンタイさんのどちらかだ。

 早く切り抜けたい。オレらは谷川の用意した車が止まってある、コインパーキングに向かうことにした。強引に押すわけにもいかない。先に谷川とオッサンが車で待機。それからオレとカオリさん・ひめので乗り込む算段だ。

 ここで交代。秘書が来た時に谷川がカオリさんを抑えていると、話がややこしくなりかねない。オレがかのじょの身をどうにか。余裕をカマした谷川は、オッさんを先に、車に押し込もうとしていた。

 「お、誰かと思えば谷川クン。覚えてる?」とプッシャー。
 「殺すぞ、ガキ」と谷川。

 素性を訊いておくべきだったのかもな。

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