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短編小説 『彼と私のトリックオアトリート』


10月31日。

数年前から始まったハロウィンブームの影響か、街は10月下旬頃からオレンジに色めき立つ。

確か元々はアメリカの秋の収穫祭か何かで悪霊を驚かして追い出すための祭だったはずだ。だが今の日本はどうだろう。お互いに格好の奇抜さを讃え合い、酒を煽る。若い男女にとっては出会いのイベントになっている。

もっとも、私には縁遠い世界の話だが。

そう思いながらズレ落ちた眼鏡をいつもの手グセで、人差し指一本で鼻当てのあたりを持ち上げて元の位置に戻す。

私はある市立図書館で働いている。 大学時代読書サークルに所属し、自他共に認める本の虫で、とにかく本に囲まれた生活がしたいと考えていた私は本屋か図書館で働きたい、と短絡的に考えていた。いざ働いているみると、本を読むことと本の背表紙を眺めることの間には大きな違いがあったのだが、大好きな本に関われているだけでも良しとしている。

先程私とは関係ないとは言ったが、私の職場である図書館はハロウィンを楽しむ子ども達が多く訪れる場所でもある。何かハロウィンめいたことをしないといけないなあ、という上司の言葉のままに職員は色紙で装飾を作り、自分達も思い思いのワンポイントハロウィンアクセサリーを身につけることになった。私はかぼちゃの髪飾りを身につけている。

やってくる子ども達も、ハロウィンイベントの帰り道らしくアニメのキャラクターに扮していたり、顔だけ恐ろしいお化けメイク(としか形容しようがない)が施されていたりする。私が子どもの頃よりもリアルな怖さを追求している人が多いような気がするのは、私だけだろうか。

「お疲れ様です。休憩どうぞ。」

少し高めのトーンの、だが落ち着いた声が隣から聞こえる。
2つ歳上の男性の先輩だ。彼には自分が新人の頃から大変お世話になっている。大きな黒縁眼鏡に数ヶ月に一度しか切らないくしゃくしゃの髪の毛(以前上司からも「もう少し綺麗にしなさい」と指摘されていた)。いつも伏し目がちで、小さな声で話す。誰に対しても丁寧で、後輩の私にも敬語を崩したことがない。
もしかすると仕事柄大人しく振舞っているのかもしれないが、恐らく仕事外でも草食系男子だ。とは言っても、近所のスーパーで買い物中に一度すれ違ったくらいなので、確認はできていないのだけど。

きっと(私と同じで)外出もせずに本ばかり読んでいるのだろう。手指は白く、長く、ほっそりとしていて、返却された本に汚れがないか確認している彼の指の動きは優しい。本も心なしか嬉しそうに見えて、いつの間にかその所作に見入ってしまっていたことは、一度や二度ではない。

「ありがとうございます。」

私は短く礼を言うと、作業をしていた手元から目を離し、彼の方を向き直った。

そこには、短髪で、クリッとした目をした青年が座っていた。
誰だこの人は、と思ったが、よく見るとその先輩その人だった。眼鏡がない。髪も短い。
私が知っている彼とは全く違う。
彼の瞳がこげ茶かかっていることに初めて気づいた私はたじろいだ。



「…ど、どうしたんですか?」



あとで振り返ってみると、大変失礼なコメントだったと思う。しかし、その時の私はこんな言葉しか持ち合わせていなかった。


彼は少しはにかんだあとで、言葉を慎重に選ぶように息を吸うと、

「…仮装ですよ。貴女を驚かせようと思いまして。」

と、いつもより少しだけ大きめの声で答えた。
見ると、目の奥に茶目っ気が隠れていることに気づいた。




悔しいので、私も彼を、驚かしてやりたいと思った。


「じゃあお菓子あげるので、今晩食事でもどうでしょう。」


彼の満月みたいにまん丸になった目を見て、私はこみ上げる笑いを必死に堪えた。












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