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人には、赤ちゃんにパンチされるくらいの刺激が丁度いい。

僕たちの周りにはあまりに刺激が多すぎる。

 僕らは、押し寄せる情報の前に人間はただただ滝行のように情報を浴び続けて疲弊してしまっています。

 僕らは、幸せになるために生きているわけで、情報に支配されてしまってはアンラッキーです。僕たちにとって、多すぎる情報は果たして本当に大切なのでしょうか、そんな思いを、ちょっとだけ考えてみたいと思います。

一度、テレビを手放してみよう


 なんだ急にテレビを手放すって…乱暴だ!あ、はい、すみません…。でもこれは割としてほしいことなんです。

 引っ越しのタイミングでもいいです、壊れたときでもいいです、一度テレビを手放してみませんか。テレビって、常に家にあるもので、なんとなくつけがちですよね。

 ただ、テレビってどの局みても大体同じニュースやショッキングな事件が流れています。その度に心を乱されがち。

 特に、性質上、自分が主体となるわけじゃなく、受け身となる点がアンラッキーです。

 知りたくもない情報に頭の容量がいっぱいにされちゃいます。今の時代、僕らにはスマホがあります。スマホがあれば自分が知りたい一通りのことは調べられますし、自分にとって不要な情報を排除できます。

 なにより、能動的に、自分が主体となってすることになるので、人生自分で決めてる感あってハッピーです。さらに、時間的余裕ができます。空き時間ができ、自分のしたいことに使える時間がもれなく増えちゃうおまけつき。それはもうハッピーです。


刺激は2種類。バランスが肝


刺激には、動の刺激と静の刺激があるって思っています。

 動の刺激

 僕が定義する動の刺激は、買い物で新しいモノを手に入れることや習い事を始めるなど、新しいことをすることによって得られるハッピー。アドレナリンが出て幸せになれるってものです。

 動の刺激には、必要なものが出てきます。それは時間とお金と体力です。これらは際限なく湧き出てくるわけじゃなくって、ある程度人によって上限が決まっていて、僕らはそれをうまく割り振り生活を行っているわけです。

あまりに動の刺激が多すぎると、一瞬のハッピーと引き換えに時間とお金と体力を大きく削ってしまい、アンラッキーです。しかも、一度味わっちゃうと次の刺激は大きいものじゃないと満足できなくなっちゃいます。

動の刺激は、短期間の強烈な幸福感と引き換えに、時間とお金と体力を奪われちゃいます。


静の刺激
 僕が定義する静の刺激は、今まで買い続けてきたモノや習慣を見直し、手放すことによって得られるハッピーのことです。

 イメージ的には、「ずっと流れていた音楽が止まると、ん?なんか静かになったな?」と気づく、そんな刺激です。

 ずっと続いていたものを止めることにより得られる気づきがあります。

 静の刺激は生活を整え、時間とお金と体力を得られます。それと時間差で、自分の最も大切にしているモノやコトが見えてくるようになります。

 そのとっかかりとして、テレビを手放そうという話をしました。

こればっかりは、書いていてもやっぱり経験しないと味わえないハッピーです。静の刺激が心も整えてくれる。心に休息を与えてくれます。

赤ちゃんにパンチされるような小さな刺激を楽しめる自分に



 生きてきた中で、関わってきた人やふれた場所、経験が今の私たちを作ってきました。それは大切なものなのですが、それだけを大切に生きていると、いつしか容量オーバーになり自分のアップデートが止まってしまいます。

自分にとって不要だったんだなと思うモノや習慣は一つや二つあるものです。それらを手放すことで、埋もれていた大切なことや考えが前に現れてきます。不思議なもので、一つそういった体験があるともっと自分を研ぎ澄ましたくなってきます。正直そんな自分にわくわくしちゃうことが多々あります。

大切なもの、心の奥からすくって、ひっそり見つけて飾ってほしい。

そんな風に願っています。

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