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わたしを拾ってくれたひとへ④

もう、泣いたりしないけどさ。
どうしてあなたは、「わたしは子どもだよ」なんて言いながら、それでもうまく生きていけてるんだろう、って思うよ。
子どもとか大人とか、いまそういうことは問題じゃなくて。子どもでも大人でもなんでもいいよ、いま、そういう正解のないことを議論したり定義づけたりしたいわけではなくて。
苦しいなあ。

一緒に悩んでくれて、正直言ってびっくりした。もちろん、うれしかった。わたしの話があっちに行ったりこっちに行ったり横道に逸れまくっても、ずっと同じところで悩み続けてくれて、うれしかった。「うーーん、どうするのがいいんだろうねえ」って。
一日や二日ですっきりした答えが出る悩みではないし、でも時間をかければ納得のいく答えが出るというわけでもなくて、それをお互いわかっていながらうんうん唸るような時間を一緒に持てたのがうれしかった。うれしいって言うとね、変だけど。救われた、というほうが合っているかな。

「愚痴ばっかり言って何もしないひとは嫌い。嫌ならやめたらいいじゃん」と言った。
そうなんだよ、わかるよ。と言いながら、わたしもそういうことをしているひとのひとりかもしれなくて、発された言葉に共感しながら同時に自分を顧みる。安易に「わかる」なんていう共感は、自分の首を締めに行くようなものかもしれない。でも咄嗟に言ってしまう。「わかる!」って、エクスクラメーションまでつける語気の荒さで。

悩んだら原点に立ち返れ、とも言った。すぐに答えは出ないかもしれないけど、と小さくつけ加えて。
原点かあ。わたしの原点はどこだろう。十代の終わりのあの頃は、原点のように見えて伏線回収の一点のような気もしてくる。いろいろ考えていたら、どんどん穴は深くなるぞ。気をつけろわたし。あまり深堀りするとしんどくなるぞ。わかってるだろ?

はあ、どうやったら、そうやってうまく生きていけるんだろう?
「わたしみたいにならないほうがいいよ」なんて言うけど、ぜったいのぜったいにひよ子さんのほうがいいじゃん。「やりたいと思うことをやって、嫌なことからは離れて」なんて、まるで自由人ふうに自分を語っていたけど、それってすごいことなんだよ、きっと。バランスの悪いボールを乗りこなすサーカスの熊みたいにさ。

あーあー、言われたとおり悩んでるよ。悩んでるよ、きっちり。でも答えは出ない。まだ。出した答えを振り返って、「あのときのわたしの答え、正解だったな」って思うことしかできないんだろうけど。いまは感情の筋トレみたいな時期なんだ。
でも、一緒に悩んで考えてくれてありがとう。できないことも多いけど、できないなりにがんばる。

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