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裏っ返して欲しがって

「もしもし?」
「もしもしひいさん、おひさしぶり!」
「ひさしぶりやねユウちゃん。ごめん急に電話したいって言って。仕事急がせたやろ?」
「そんなことないよ。話したいって言ってくれてうれしかった。仕事辞めれたの、すごいじゃん! すごい決意したね。えらいよひいさん」
「いや決意とかじゃないんよ。めっちゃ勢い。ずっと辞めたい辞めたいって言ってたけど、そうは言っても契約とか引継ぎとか冷静に考えてはいたんだよね。次どうするか、とかさ。切実じゃんお金って」
「うん」
「でも結局勢いだった。もう無理、もうだめ、限界、っていうやり取りがあって、その場の勢いで『それならもう辞めます』って言っちゃった」
「うん」
「でさ、わたしがそう言った後、その上司なんて言ったと思う?『本当にひいさんが辞めてもいいかちょっと聞いてきますね』って、会議室に行ったんだよ」
「何それ。ごめん笑っちゃう。引き止めんのかい!」
「やろ? で、しばらくして会議室から出てきて『あ、ひいさん辞め
るのOKって、課長が言ってました』って言われてさ、あーそう、あーもう本当にないわ、無理無理無理、ってなって『じゃとりあえず今日は早退します』って言って帰ってきた」
「なんかその上司すごいね。物腰柔らか、って言いよったあのひとだよね?」
「うん。物腰柔らかっていうか、ただ頼りないだけやった」
「そうかあ。でもがんばって言ったね。それいつのこと?」
「えーと、昨日の朝」
「昨日の朝! じゃあ『辞めたよ』ってわたしに連絡くれたの、すぐやったんや」
「そだよー。ユウちゃんには話聞いてもらいよったけんさ」

「はああ、でも辞めちゃったよ。いいんかな、最後あんなんで。ここまで続けたの、結構がんばったって自負してるけど、やっぱりもうちょっとがんばれたんじゃないか、って思っちゃう。がんばれたってのは精神的にじゃなくて仕事の内容をね。もうちょっとがんばったら内容覚えられて、スピードも上がって怒られることも減るかもしれんかったよな、って思う」
「そりゃあ辞めてすぐは迷うよ。悩むよ絶対。よかったのかな、って思うの当たり前やと思う。でも、傍観者のわたしからの意見は『辞めて正解』に尽きるよ。仕事内容もだけど、環境が良くなかったよね。まわりに配慮してるひいさんがどんどん追い込まれてさ」
「まあそうやけど。わたし、大人になって、なんで会社でこんな泣きよんかいなと思ったもんね。なんでこんな泣いてまでがんばらないかんの、って。
大切だと思ってることをちゃんと優先したら怒られて、その理由も『指示に従ってください』っていう中身のない理由で、理不尽で、腑に落ちんことばっかりでさ。何もかも割り切って、こころを無にしてただ数を稼げば褒められたけど、どんどん違和感が大きくなっていって、その違和感をわかり合えるひとが誰もおらんくて。いたと思っても昇進のために保身するしね。そういうところもさささーって流せたらいいんやけど、いやわたしそういうことしきらん!!」
「そんなひとになったら、もはやひいさんじゃないよ。いや、そうなってもわたしひいさんのこと嫌いになったりはせんよ。せんけど、辛かろうなあとか勝手に心配するかもしれん」
「まあねえ、そうだねえ」
「次、どうするの?」
「どうしようかなあ。せっかくこの業界かじったから、もう少し勉強したら一人前になれそうな気がするんだよ。内容は嫌いじゃないし、給料いいしね」
「うんうん。わたしひいさんに向いてると思うんだ、その仕事」
「そお? わたしそんなんかなあ。まあ、確かに、相手方からは満足してもらってた感じだった。なのに上から怒られてたから、なんで怒られないけんの?っていう思いが強くなってたとは思う」
「環境だね。ひいさんは最善を尽くしたよ。最善を尽くしてもうまくいかないことはあるさ」
「うん。でも、さすがにわたしもあんな啖呵を切るような言い方したけん、もうどうしようもないけどね、ははっ」
「どうしようもないかもしれんけど、いいよいいよ、わたしは応援してる。わたしに応援されたところでって感じやけど、それでもしてる」
「ありがと」
「ひいさんすごいなあ」
「なんもすごくないし」
「いや、すごいよ。自分で決めて方向転換してさ」
「それはユウちゃんもやん?」

「ユウちゃんもそうやん?」
「うーん、そうかもしれんけど、自分ではなんでそう思えんのやろね」
「自分のこととなるとね。
ね、ユウちゃん、わたしのこと羨ましいって思ったことある?」
「え」
「あ、ないならないでいいよ」
「羨ましいって、そりゃあると思うよ。えーと、結婚できて、それを維持できてるところ。子どもを育てられてるところ。とかかな」
「あーうんうん。無理して言わんでいいんよ」
「無理してない。結婚出産育児に関してそう思ってる自分もいくらかはいると思う、みたいな感じ。ていうか、いろいろ自分に近いと感じてるひいさんがそれらをやってのけてるから、羨ましいと思ってるんやと思う。羨ましいっていうか、わたしと同類、と感じてるひとがそれをやれてるのに、わたしはやれてないなあ、できないなあ、っていう自己卑下から相対的にひいさんを羨ましく思ってるんやと思う」
「相対的にね、なるほどね」
「わたしにはできてない、っていう自己卑下からの出発だとすると、結婚出産育児そのものに対してはそんなに羨ましさはないのかもしれない。あーでもこれ、強がりに聞こえる?」
「うーん、強がりと表現するひともいるのかもしれない」
「そうか、そうだよね。
ひいさんはわたしのこと羨ましいって思うことある?」
「ひとり身で自由なところ。理由はどうあれね。自分が生活できるだけ稼いでればどうにかなるところ。逃げたくなったら海外にでも飛んじゃえるところ。うちとは事情が違うだろうけど、親と関係持ててるところ」
「うん」
「いやユウちゃんだけに思ってることじゃないと思う。自分の持ってるものの裏返しだよね。わたしも『なんだかんだ言って旦那さんと子どもいるじゃん、ひとりぼっちじゃないじゃん』て言われたらそうだなと思うもん。いくら自分が『いや精神的にはひとりぼっちなんだよ、育児めちゃつらいし、他のママさんみたいにうまいことやれてないのを誰もわかってくれてないだけだ』って思ってても。まあ壊れてない程度に家族あるし、そう見えるよねって思う。
で、わたしがユウちゃんにさっきみたいなことを言っても、ユウちゃんも『まあそう見えるよね、誰にも縛られない生活スタイルで、そこそこ仕事もしてて、好きなもの買って自由時間あって、って見えるよね、本当はいろいろあるのにね、そんなの見えないよね』って感じてるだろうこともわかる」
「うん」
「みんなそうなんかな」


「ていうかなんでこの質問したの?」
「ん? ちょっと突っ込んで聞いてみたかっただけ」
「ふむふむ。確かに突っ込んだ質問やわ」
「でしょ」
「なんていうか、ないものねだりだね」
「そう、まさに。持ってるものをわざわざ裏返して欲しがっちゃうのさ」
「持ってるものだけで満たされる日は来るのだろうか」
「来ないんじゃない? それは人間を超える時とかそういうレベルでは」
「霞を食べて生きるようになってからの話か」
「先が長いね」
「ね」
「よし、人間やしそろそろ寝よか」
「うん。おやすみひいさん」

☆☆☆


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