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月の光、最近のこと

昨日は満月だった。
帰りに空を見あげると、やたら奇妙に月があかるくて、吸い込まれそうに眺めてしまった。どのくらいの時間だったのだろう。首、いたたっ。夜空に月が浮かんでいるというより、濃色の布に穴をあけているみたいに見えた。とても見ていられないようなまぶしい光を、一生懸命覆い隠している布。ぽつ、とちぎれたような穴から、滝のような光があふれているように見えた。
ほとばしる光の量は圧巻で、わたしは気圧され、うさぎが餅つきをしているような平和っぽいイメージがとても遠かった。いつも照らすことのできない何かを、今日ならばと、もっともっとと貪欲に照らし出そうとしている強ささえ感じた。あかるすぎる世界は怖い。あかるすぎると見えないものも増える。
首、いたたっ。下の世界は月あかりを弱々しく反射して、ちょうどよく暗い。いや、実際には、さまざまな人工光で視界良好、なのだけれど。看板のライトはつめたい。ときどき、でもそのつめたさに安堵する。


今月、満月の少し前から新しいことを始めた。ひさしぶりに仕事以外の分野の勉強をしている。
独学や単発の講座ではなくて、課題レポートの提出、添削指導、毎日の記録、課題のシェアやオンラインミーティングなど、わりと盛沢山の内容である。数か月前から気になっていた講座だったのだが、先月思い切って受講申し込みをし、始めた。
わたしにできるかな、やりきれるかな、の不安はひとまずおいて、だめでもいいや、すぐに次につながらなくてもいいや、素人なんだから受講生のうちで最下位でも恥ずかしくもなんともないよね、と腹を括って取り組むことにした。
いろいろと使い慣れないツールに手間取りながらも、わたしは新しいことを学ぶのは好きなんだな、と再確認した。気持ちのいい再確認だった。畑の違う会社にフルタイム勤めをしているひとは少なそうだったけれど(フリーランスや無職の方も多いように見えた)、時間をやりくりして「きょうはここまで頑張ろう」なんて机に向かうのは楽しい。計画通りやり終えて、こうやってnoteを書くのも。(でも、睡眠時間は確保しよう。のちの自分のため)

そういえば、きょうは巡りあわせみたいな文章と出会った。
フランスの詩人、ポール・ヴァレリーの言葉。

湖に浮かべたボートをこぐように、人は後ろ向きに未来へ進んでいく
目に映るのは過去の風景ばかり
明日の景色は誰も知らない

ポール・ヴァレリー

奇しくも、先日noteに感想文を書いた本にリンクする内容だった。人生とか生き方とかそんなものを、深海に潜るように考え見つめ続けたら、人間は共通してこういうところに辿り着くのだろうか。(それとも先日の本の著者、山内氏はこの言葉を知っていたのかしら?)

あとは、友人の懸案事項が少しでも悩み少なく進むことを願っている。
ふたりにしかわからないことがある、とわかっていれど、つい勝手に気を揉んでしまう。
どうなっても「これを選んでよかった」と思える日が来ますように。一緒にやりたいことをわたしはあきらめてないので。

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