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憧れの裏側にあるもの

憧れの先輩がいる。
会社の女性の先輩で、年のころは、だいたい自分の親の世代といったところ。長年店頭に立たれ、現在は営業職。数年前に大きな病気をされて、生死をさまよったらしい。いまも少し不自由そうにされるところはあるが、新しいことに敏感で、仕事に熱心で、でも暑苦しさを感じさせない柔らかさをお持ちだ。そしてとてもチャーミングでかわいらしい。わたしもあんな風な女性になりたいとつねづね思う。
 
その先輩(先輩という言葉の連呼は失礼にあたるので、仮にSさんと呼ぼう)を和音に例えるならば、D dur、レファラの和音が思い浮かぶ(ニ長調の基本の三和音)。
わたしのレファラのイメージは、
・色は柔らかで高貴な藤色、または温もりのある優しいカスタード色。
・質感は芳醇なバターがたっぷり使われたシフォンケーキのような感触。軽すぎず重すぎず適度にみっしりしていて、じんわりとバターが染み出てくるような。
・あるいは、少し濃いめのカルピスのような。丸みを帯びたグラスに入った、とろんとした甘さの、いかにも田舎で出てきそうなキンキンに冷えていないしろいカルピス。
 
わたしはSさんからそんなイメージをふくらませてしまう(きっと当の本人はわたしがそこまで思い入れていることを知らない。もしこれを読まれたら気持ち悪がられるかもしれない。いや気持ち悪がられること必至)。
お声は低めで、口調はおだやか、話すスピードはゆっくりめ。その話しぶりは長年の接客の賜物かもしれない。声の質はまさにレファラの和音で、ふくよかな上品さがある。わたしはその声がとても好きだ。幼げで気分によって早口になってしまうわたしとは対照的な声、話しぶり。
 
わたしのSさんへの憧れは、声や口調だけではもちろんない。
Sさんは年下のわたしに対しても、わからないことがあればすぐさま聞いてくる。「ねえねえウオズミさーん、これどうやって組み立てるか教えてー」とか、「ねえねえ、これどうやって並べたらいいと思う?」とか。ねえねえ、は決して媚びているのではなく、子どもみたいな感じだ。ねえねえおかあさんこれなに? ねえねえおしえて。そんな素直さなのではないかと思う。
ねえねえから始まるところもなのだが、大先輩がわたしのような年下に「わからないことを聞く」ということが素直にできる、ということに尊敬をおぼえてしまう。わからないことを人に聞ける。困っているときに人に助けを求める。それってすごいことなのではないかと最近思うのだ。ましてやわたしのような年下に。
 
あとは、挙げればたくさんあるのだけれども、立ち居振る舞いの優雅さ。姿勢の良さ。歩きかた、手の振りかた。手の振りかたって、皇室? いやいや、少し距離の近いお客様との別れ際なんかに、お礼のお辞儀をした後、ちょこっと手を振ることがある。それがいやらしくなくなんともかわいらしいのだ。
 
おそらく、一般的な言葉で表すとそれは「品がある」というのだろう。あるいは「育ちが良い」とか。そしてそれらにわたしは憧れる。憧れている。
 

 
わたしは長くピアノを習っていたのだけれど、子どもながらに肌で感じていたことがある。それは、「ピアノや歌やヴァイオリンを長く習っている子の家庭は、裕福で平和で健康的であることが多い」ということだ。同じ大学生の中でも、音大生や美大生は何となく見分けがつく、という方はいないだろうか。きっとわたしが感じていたのもそのようなものだ。加えて音楽には品が求められるので(何しろ演奏は生き様を映す。わたしの師談)、家庭全体の雰囲気に上品さが漂う。ような気がする。
 
平和なおうちがあるんやなあ。小学校も高学年くらいになり、自分の家庭以外に世界があることを知り始め、わたしはしばしばそう思った。え、○○ちゃんのうち、平和やん。わたしがそう感じることは、最初世界と大きな溝を作った。わたしとあの子は違うんだ。違ったんだ。それは、無数の人の中に自分が存在していること、世界が広いことを知ったきっかけになったけれども、わたしの内側にじわじわと孤独が拡がるきっかけにもなった。
孤独というのはつらいものだ。幼いわたしにはそう思えた。孤独と共存するという選択肢はその頃のわたしにはなかったから、孤独を感じないようにするか、孤独でない「ふり」をするかのどちらか、の選択しか見えなかった。そして、選択肢がふたつあるなか、わたしは孤独でない「ふり」をすることを選んだのだった。良くも悪くも影響されやすいわたしは、何かになりきるとか、演じるということに抵抗がなかったから、それはたやすく、むしろなんだか楽しいことのようにさえ感じた。
 
平和なおうちに住んでいるふり。健康的であるふり。でも、それは生きていくうえで役立ったかもしれない。
 
わたしはそのふりをすることで、本物の平和なおうちに住む子たちの持つ「上品さ」を少しずつ身に着けていったように思う(自分で言うなという感じも多いにするが、いったん見逃してください)。それは言葉遣いだったり、食べ方だったり、ものの扱い方だったりした。一緒にレッスンを受ける子たちの一挙手一投足を観察して、幼いながらにそれはそれは努力して、わたしはそれらを取り入れた。
 
ある日、友達のお宅にお邪魔したとき、「ユウちゃんは育ちが良いって感じのする子ね」と言われたことがある。学校の帰りだったか、お迎えに来てくれた友達のお母さんと、わたしとその友達の三人でスーパーに寄って、彼女の家に行ったのだった。家について、買ったものを冷蔵庫に入れるものと分けたり、レジ袋を(彼女の家のやり方で)畳んでいたりしたときだったと思う。
育ちが良いって感じね。わたしにとってその言葉は、ついに努力が実ったというとても大きな喜びになった。これまでの「平和なおうちに住んでいるふり」がようやく実ったのだ。平和なおうちの上品な子ども。わたしは「品」を手に入れたのだ!
もちろん、当時のわたしがここまで半生をロジックに捉えていたわけではなかったが、あのときのことは印象に残っている。ただ何かを褒められた、というだけでないということが。音楽で言うならば、「このフレーズがじょうず」ではなくて、「全体の流れが美しい」であるような。
 
それにしても「育ちが良い」という言い回しがとても日本人らしく感じられるのはわたしだけだろうか。「育ちが良い」というのは「本人の素行が良い」に加えて、「親の育て方が良い」「家庭の環境が良い」ということも含んでいる。あなたの品の良さはあなたの努力だけで培ったものではなく、あなたの親のおかげなのですよ。わたしはあなたを褒めていますが、暗にあなたの親(家庭)のことを褒めているのですよ。そこには「親(家庭)あっての子ども」という図式がなんとなく透けて見えるというか、儒教の教えというか、昭和というか、家父長制というか、決めつけというか…この辺りは長くなるので省く。
ただ、ひょっとすると「親のことも褒められたみたいで嬉しい」という感覚はあったかもしれない。わたしの「育ちの良さ」というものは様々な「ふり」によって、いわば作為されたものだったのだが、わたしだけでなく親も褒められたことで、わたしの「ふり」による作為を免罪されたような。まあ、それはいまのわたしがつくり上げた感情かもしれないが。
 

 
わたしがSさんに憧れてやまないのは、Sさんからにじみ出る「品の良さ」のおおもと、つまり「平和なおうち」への憧れなのではないかと思う。わからないことがあるんだけど、と誰かに聞ける環境。ちょっと困っているんだけど、と素直に頼れる関係性。わたしは、きっとそういうものにずっと憧れていた。
ねえねえおかあさん、と、幼いわたしは母に聞けなかった。なぜなら母の返答が怖かったからだ。母はずっとずっと怖い存在だった。いわゆる躾にしても、音楽に関しても。ねえねえおしえて、と言っても教えてはくれなかった。これもわからないの? ばーか。それは母のやり方だったのだろう。いろいろと複雑な思いはよぎるが、とりあえず、いまのわたしはそうやっておさめている。
ちなみに、新入社員のころ、業務内容にわからないことがあっても、わたしは先輩や同僚に素直に聞けなかった。何なら、知ったかぶりという最もいけないことをしていた。悲しいかな、わたしの「育ちの良さ」のメッキははがれていったのだった。(その後、良くない恋愛やらをしてさらにメッキははがれることになる。地が出ていくうちにいよいよ困ったことになり、でもありがたいことに拾う神みたいなものと巡り合い、メッキでない大切なものを手に入れるべく、いまに至る)
 
憧れのD dur。いまのわたしは、そうだな、G dur、ト長調くらいかな。ソシレは、晴れた空みたいに単純でわかりやすく明るい。もうちょっと深みややわらかさが欲しいところ。(いや待てよ、GならDの下属調じゃないか!)

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