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心のトミー・ジョン手術

トミー・ジョン手術という言葉はご存知だろうか。
正式名称は「内側側副靭帯再建術」と呼ばれ、野球選手を中心にスローイング動作で痛めた靭帯が保存療法(リハビリなど)だけでは回復が見込まれない時に選択される治療法のことだ。

手術は、まず肘より先の前腕にある 長掌筋を採取します。これを、上腕骨と尺骨に作った孔の中に通し、両端を引っ張った状態で固定し、靭帯の代わりになるようにします。

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20181029-OYTET50005/

トミー・ジョン手術を受けた有名な選手だと、オリックス・バファローズの近藤大亮選手や山﨑颯一郎吹田の主婦選手が挙げられる。あとMLBで言うと、ダルビッシュ有選手や大谷翔平選手もこの手術の経験者だ。

その他にもこの手術を受けた選手たちが術後に復帰すると、見違えるような剛腕に変貌しており、まるでこのトミー・ジョン手術をして新しい靭帯にすることで、球速アップ≒パワーアップしたかのように錯覚している人が多いようだ。(実際に、米国では2015年ごろに野球メディアを対象に「本当にトミー・ジョン手術で球が速くなると信じているか?」という理解度を調べる調査が行われ、約4割が「YES」と答えるほどだ。)

しかし、多くの医師・トレーナーたちはこの”都市伝説”にはNoと答えている。ではどうして上記の野球メディアで行われた理解度調査で4割近くが誤解してしまうくらい、この手術を受けた選手たちが剛腕ぶりを発揮するのだろうか。

めちゃくちゃ大雑把に言えば、リハビリ期間に必死に頑張るからだ。
体を柔らかくして可動域を広げたり、今までのフォームを見直してクセを治したり、筋力トレーニングを行い体を大きくしたりと、リハビリ期間だからこそ自分を見つめ直してトレーニングをする。リハビリは相当辛いらしいが、復帰のために必死かつ真面目により一生懸命に励むと、野球における肩肘の障害を専門とする古島弘三医師も語っていた

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ちょうど1年くらい前に、私は適応障害を患い休職したnoteを投稿した。

ありがたいことにこの投稿から2ヶ月ちょっとで無事(?)退職することなく職場復帰を果たしている。
なんなら休職前の部署より忙しいところに配属され、会社平均残業時間の4倍近く残業したりGWもお盆も祝日も関係なく出勤している。野球で言えば回またぎ・連投なんのそのと言わんばかりの状態だ。

だが、そんな激務な状況なのに不思議と前よりハツラツと働けている。
変なミスもせず仕事のパフォーマンスも、ポンコツ会社員の自分比では良い。おまけに休日でも、今までのように一日中睡眠で時間を溶かすようなことはせず、朝から出かけたりするようになりアクティブなタイプになった。

会社の同僚、大学時代の友人、地元の友人全員に「人が変わった」と全員口を揃えて言う。

自分で言うのも何だが、私も同じように休職期間の生活のおかげだと思う。

こうした休職期間中は「頑張らない・好きなことをする」をするイメージだろう。実際にnote上でも休職・復職関連の記事はまあまあ多く、検索するだけで多くの人の休職・復職経験談が出てくる。その中でもやはり、「頑張らない・好きなことをする」みたいな話は出てきがちだ。

私もそれらに倣って、「頑張らない・好きなことをする」を存分にやって回復しようと思った。(2022年9月1日に出した、上記のnoteにもそのような記載がある)
ただ、2~3日経ったある日、フツフツとある感情が湧いてきた。


社会復帰したい。働きたい。


「焦ってはいけない」と思いつつも、やっぱり自分は仕事が好きだったんだなと感じ、社会復帰のために動くことを決意した。

①今までの考え方/性格を修正する

「ありのままでいい」みたいな話もあるが、職場復帰した後に再発しないためにも、自分の考え方/性格の”クセ”を見直して修正していくことを選んだ。

大袈裟であっても仕事で失敗・ミスをしたら恐縮するような態度を今まで取っていたがそれを止めた。
そもそも何故そんな態度をとっていたのかと改めて考え直すと、「”信頼・信用”と言うものは最初100としてあった場合、日々まるで鰹節のように些細なことで薄く薄く削り取られていき、大きなミスをした場合はごっそり減る」みたいな偏見からくる「拗ね」た態度をどことなく持っており、少しでもその”減点ポイント”を減らすための無意識の行動だったかと思う。
でも不思議な話で、ちょっとしたミスでも大袈裟に謝ったりしたりすればするほど、”絶対に失敗しない人”みたいに仕事のハードルがどんどん指数関数的に跳ね上がっていくのだ。
追い込まれれば追い込まれるほど、それをバネ・原動力にするやり方もあるが、自分には合わなかったし加減してなかったので悲鳴を上げるのは必至なのかもしれない。

こんな感じでまだクリアになってはないが、言葉という名のメスを駆使して自分を内面を切開していった。「言葉って人を切りつける刃だが、その前に自分を切開してから人に切りつける刃だ」とは言いて妙だ。
私は自分のクセに当たる箇所まで切開していったので、多少の”出血”をして寝込みそうになったが、切開したことによって新しい一歩を踏み出せたと思う。

以前私は旅行記を書いた際、このようなことを書いた。

観光客や地元の人の笑顔、美味しいご飯、その土地独特の匂い、街に溢れる会話、自宅では使ったことのない綺麗な食器の手触り、てんこ盛りな刺激を手に入れることで新鮮な気持ちを取り戻す。

『旅の思い出を語ってみようって話』より

言葉という名のメスを駆使して自分を内面を切開し、”自分の心の中に住むカラス”≒拗ね・クセを炙り出して彼らに餌を与えないようにした。心が開かれた状態だからこそ、五感を使って素直に感動できるようになったのだろう。

※「言葉って人を切りつける刃だが、その前に自分を切開してから人に切りつける刃だ」この言葉、すごく気に入ってるので来月のnoteでも登場する予定だ。

②同じような境遇の人の話は聞かない

適応障害含め、こうした人生での”躓き”があるとどうしても同じような境遇の人の話を聞いて安心したい欲求が出てしまう。もちろん人によってはそれをしたほうがいい人もいる。例えば「自分だけかもしれない。もうお終いだ。」と過剰に思い詰めてしまう人とかは、同じような境遇の人の話を聞くor書籍やnoteを見るだけでも「自分だけじゃない。立ち直ることができるかもしれない」と安心感をもたらすことができる。

ただ同じような話を聞きすぎると、私のように早期に社会復帰を試みる人にとっては「もしかして自分も深刻なのかも」と自己洗脳に近い形になってしまう可能性があったので、敢えて見ないようにした。検索したら無限に出てくるので、そうした情報を摂取し続けてしまえば、本当に気が滅入ってしまう。

代わりに何をしたかと言うと、様々な世代の人たちに会いにいくことだ。
ある土地から別の土地へと移動する”横の旅行”ではなく、世代年齢の垣根を超えた”縦の旅行”をすることだ。

旅行先で様々な人(地元の人、観光客、たまたま銭湯のサウナで同じ野球中継を見てた人)と会話をすることで、頭の可動域を柔らかくしていった。
※なぜか私は旅行先で知らない人に話しかけられやすい。

③リスキリング

資格を取得したりリスキリングを休職期間中に行うのは、割と多いようだ。
実際に手を動かして集中するだけで、余分な情報・ノイズはシャットアウトができるし精神的に摩耗しないで済む。(おまけに復職可能かどうかの判断?のために仕事に関係する内容の作業ができるかも見られるらしい)

資格試験的なものが割と多いようだが、私はWeb系の会社に勤めてるので資格というよりは技術力みたいな、実際に手を動かすタイプのリスキリングをした。

技術書を読んでお手本を真似て制作する。それだけで壊死しかけた集中力を取り戻すのには十分だった。そして学生時代にウェブデザインの世界に魅了され、夢中だったあの時の感覚も思い出したのだ。

「ものを作るって楽しい」
ガチガチに固まった心を言葉という名のメスで切開したおかげで、楽しいという感覚も取り戻していった。
楽しいという感覚さえ掴めば、あとはどんどんと「あれもやってみよう、これもやってみよう」とジムの筋トレで達成していく度に重量を上げていくように、自分の仕事のスキル・感覚もストレッチしていった。

私はジムで筋トレをするのが趣味だが、あれと似たような感覚を取り戻せた。

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最初に書いたトミー・ジョン手術の件で書いた「体を柔らかくして可動域を広げたり、今までのフォームを見直してクセを治したり、筋力トレーニングを行い体を大きくしたりと、リハビリ期間だからこそ自分を見つめ直してトレーニングをする。」に無理やり(?)寄せて書いてみたが、一番大事なことがある。

SNSなどの「早い/速いメディア」から距離をとれたことだ。

慌ただしいというか慌ただしくさせてしまうSNSの付き合い方も考えどきなのかもしれない。日々「俺が考えた不届きものはこいつだ!」と怒りをぶちまけてる様は、ワイドショーで勝手に怒ってる高齢者と重なる。普段「マスゴミ」と揶揄してる人間でさえこんな風になるのだ。

そしてそんな人たちを見てると思うのだ。

「『言葉って人を切りつける刃だが、その前に自分を切開してから人に切りつける刃だ』ってあるけど、自分の内面を切開したのか」と。自分の内面に向き合い、弱い部分を見つめ直したのかと。それをするかしないかで人は随分変われるのだ。

私は休職というなの”大怪我”をして、そこで言葉という名のメスを駆使して自分を内面を切開し、自分の「拗ね」に向き合った。でも向き合って、クセを修正してトレーニングをしたから、いい意味で変わった姿で復職することができた。

人はいつだって変われる。
変われるチャンスを逸し続けてる人を見るたびに、非常に残念な思いに打ち拉がれる。

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