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教師辞めるくせに特別支援学校教諭免許取ったやつ【よくがんばりました!】


遂に届きました!
訪れたピーンポーンの音さえ心踊る。

私の名前が入った「特別支援学校教諭二種免許状」
手に取り思わず目を瞑る。
強く強く瞑らないと水が出てくる。


🎗️🎗️


ここ数年、夏休みになると認定講習に通った。

友人と遊ぶ約束を断ったこともある。
頭を下げて日直や研修の日を変えてもらったことも。
車で片道2時間かけて通い、朝から夕方まで缶詰。
もちろん一人で。眠気と疲労はいつも傍に。

講習が無い日には永遠レポートを書きまくった。
常に締切に追われ、それこそ理想の夏休みは無かった。

ごみ主任からは「免許なんて持っていても意味ない」と嫌味を言われたこともある。その時は耳がキッとなって痛かった。何も言い返せなかった。今でも思い出すと悔しくてボロボロ涙が出てくる。



でも、取りたかった。

理由はシンプルで「何か力になりたかった」から。
一教師としてもう少し何かできることがあるんじゃないかと思っていたから。


(綺麗事で理想論で寒気がするかもしれんが)
私は障害があるとかないとか、個性だとかそうじゃないとか、特性とかなんとか、疾患とか持病とか。そんなものに縛られたり、気にしたりすることなく、ただ人と人して、互いに思い合える関係に憧れる。

特に小学校は素敵だ。
もちろん、科目によって違う教室で学習をしていたり、そもそも学習内容を変えていたり、加配がついていたり、医療ケアが必要だったり、
大人からするととにかく様々な子どもがいて配慮が必要だったりするが、

子どもはなーーーーんにも気にせず近付き、触れ合い、喋り、遊び、共に時間を過ごす。
それこそ、『勝手に仲良くなる』のだ。

私はこれが、子どもの世界のみならず
普通になることを夢見ていた。

どうしても年をとると、そうはいかない。
自分と似ている者同士で近付き、違う人とは離れる。
実際、障害を持つ仲良しの友人いますか?って話。
いなくないですか?
分かる、色んな理由も障壁も分かるのだけどやっぱりさ、なんかなって。簡単じゃないんだけど、分かるんだけど、息のしにくい世界じゃないですか。



そんな理想論も心に抱えながら、
そして現場の実情を見ながら、
これからの教育を想像しながら、
何か勉強がしたくて免許を取った。

講習、とても良かったです。
どうせ辞めるんだったら、免許とか取らずにせめて夏休みぐらいばか休みをとって遊びまくって満喫したら良かったとかはもちろん思うけれど、それでも、私は通ってよかったな~と思っている。満足。


🎗️🎗️

また機会があればもっと特別支援教育や認定講習等について書いてみたい。もっと色々思うことが正直あるから。

とにかく今は、このタイミングで届いたこの免許が
せめてもの土産であり餞別であり、
花束に思えてしょうがないのだ。

ただ、嬉しい。

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