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【大切な事は全部、『物語』に教わった。】


小さい頃、

寝る前には必ず、母に本を読んでもらっていました。

絵本もあれば、童話もあり、時には、

母の創作話もありました。

創作話は、たぶん母が小さい頃に聞いた、

土地の伝承や、

日本の神話などをアレンジしていたんだと思います。


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その当時は、何も思わずに、

ただ「子守唄」代りに聞いていた、沢山の「物語」。

私の頭の中に、

夜空の星のように煌く、

その一つ一つの「お話」は、

大人になった今、

具体的な「人生訓」となって、

本屋さんに、よく平積みされている、

「人生を成功させる100の方法」的な、

キャッチーなタイトルで、

中身は「スッカスカ」の本よりも、断然役に立っています。

もう一度言います。

あ、必要ない?

その方が、私も楽です〜。


このnoteでは、

童話で読み解く人生論 〜妄想祭り〜】として、

3つのお話を、ご紹介します。



【目次】①『アリとキリギリス』は、恐ろしいマインドコントロール?

    ②『三枚のお札』は、少年の通過儀礼の話。

    ③『うさぎと亀』、勝負のグレーゾーン。


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①『アリとキリギリス』は、恐ろしいマインドコントロール?


言わずと知れた「アリとキリギリス」のお話。

かいつまんで、内容を説明すると、

夏の間遊んで暮らしたキリギリスは、冬になると、

食べ物を求めて彷徨うハメに陥り、

かたや、夏の間せっせと働いたアリは、

冬でも楽しく暮らしました。

というお話です。(いよっ!かいつまみ名人!)


このお話は、子供心に強く「怠け者になるな!」

というメッセージとなって響き、

子供の柔らかい頭の中に、

一生続く「モラル」という概念の「核」を、刻みつけます。

もはや、トラウマレベルに。


この「モラル」観を支える社会構造は複雑で、

そこには、人類の有史以来の悲願の物語が、

勇者の「流した血」でしたためられているそうじゃあ。


人類は、常に「群」で生活してきました。

農耕で、暮らすようになると、

小さな集落に暮らす、全ての人間が朝から晩まで働かないと、

食べていけないわけです。

一人一人が、最高のパフォーマンスをして初めて、

パンが食べれる。コメが食べれる。


一人でも「怠け者」がいれば、周りにも悪影響が出ます。

「あいつ、サボってやがる!それなら俺だって!」と、

集団心理で、サボる奴や、明らかに手を抜いている奴が出てくる。


そのうち、

「こちとら、一生懸命働いてるのに、アイツらうまいことやって、

おこぼれだけは、ちゃっかり頂いてるって、そりゃねーだろ!

それなら、俺だって、実った作物持って、とんずらしてやる!」と、

過激な人なんかも出てくる。


一人の、パフォーマンスの損失は「ー1」ではなく、

「つられて、サボる」「サボらないけど、うまく手を抜く」

「いきなり、過激になる」の、「ー4」になるわけです。

いや、「作物持ち逃げ」は、もはや「怠け者」の比ではないので、

「ー100」と言ったところでしょうか?

「3年B組金八先生」の神回で、使われた「腐ったみかん」の法則。


「怠け者」は、伝染病のように、「群」に広がる。

そうなる前に、

「怠け者」が出ないように防ぐ手立てが必要です。


そこで、

村の長老たちは知恵を絞りました。


「困ったものだ。隣村で「怠け者」が出たらしい。

じきに、この村にも『怠ける』者が出てくるじゃろう。

どうしたものか・・・」


「私にお任せください」


「誰じゃ?盗み聞きとは、穏やかではないな。

なんじゃ、『ナシウカ』ではないか。

そなた、何か良い案を持っておるのか?」


「はい、いにしえの言葉で書かれた文献の中に、

今は失われし文明の知恵がありました。

『怠け者が惨めな生活になり、働き者は豊かに暮らす』物語を、

子供のうちに読み聞かせるが良い・・と。

登場人物を親しみやすいキャラで設定して、

話の中に伝えたい「メッセージ」を、入れる事で

マインドコントロールが可能になる事。

「群」から「怠け者」を駆遂し、

平和で豊かな「明るい農村」をスローガンに掲げ、

『やり遂げるまではやるべし!』とありました。」


「『ナシウカ』よ、早速、取り掛かるのじゃ・・

その者、青き衣を纏いて・・・モゴモゴモゴ・・・」


以上が「アリとキリギリス」という恐ろしい物語が、

誕生した背景ですが、

いまだに、人間界では「怠け者」が服を着て歩いています。

私もその一人ですが。


なぜでしょう?


答えは簡単です。

『怠け者は、必要だから』


生物学の事を、面白く書いた本を読んだ時、

アリは、全員が働き者なのではなくて、

2割の「怠け者」が、どのグループにも存在するとありました。

実験で、「怠け者」ばかりをつまみ出し、

働き者ばかりのグループを作ると、しばらくして、

その働き者達のうち、2割が怠け始める。

そこから怠け者を取り除くと、

また、そのうちの2割が怠け始める。

もう一回、行く? え? もういい?


「怠け者」というレッテルは、人間社会だけのもので、

動物の世界では、「補欠要員」または「群の保険」の役割を果たすみたいです。

全員が一丸となって最大のパフォーマンスをすれば、

一時的に作業効率が上がり、

生産性も上がるけれど、

「疲労」という、肉体的ブレーキがかかるからには、

長期的は、効率が落ちる。

「働き者」と「怠け者」が、入れ替わりながら、作業することが、

動物にとって、1番合理的だったんですね。


「怠け者」を、排除するムーブメントよりも、

電気を発明したり、

電話、車、飛行機、サイゼリアを作り、

いかに「怠けるか」で、繁栄してきた事実を鑑みれば、

「怠けること」は、

悪いことではありませんね。


今では、一見怠けているように見えても、

SNSで、サクサク稼ぐ、アリとキリギリスのハイブリッドが、

服を着て、映画を見たり、

ウエットスーツでサーフィンしたり、

宇宙服で宇宙まで行ってる。


「怠け者」という言い方を、変えた方がいいかもしれませんね。

「ポスト働き者」「ポストワーカー」「ポストマン」

いや、郵便局じゃ、ね〜よ。


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②三枚のお札〜少年の通過儀礼〜


「三枚のお札」は、大好きなお話です。

寺の小僧が栗拾いに行きますが、

予め、和尚さんから、何かあった時の為に、

霊験あらたかな「三枚のお札」を、

持たされます。

案の定、栗拾いに夢中になった小僧さんは、

山で迷い、親切な老婆に助けてもらいます。

しかし、老婆は山姥だったので、

三枚のお札を使いながらお寺に逃げ帰ります。

追ってきた山姥を、和尚さんは「とんち」でやっつけてしまう。

というお話。


もう、おわかりですね?


この話は、

小僧という少年が、山姥という未知のものに出会い、

恐怖に打ち勝ち、大人になって行くという「通過儀礼」

の話です。

「銀河鉄道999」では、鉄朗が小僧で、メーテルが山姥。

「機動戦士ガンダム」では、アムロが小僧で、ララァが山姥。

「エースを狙え」は、少し「ひねって」

岡ひろみが小僧で、宗方コーチが山姥。

あとは、えーっと・・

え?もういい?

そうですか、こちらも助かります。


この「三枚のお札」を、母は、淡々と読むのではなくて、

臨場感たっぷりに、声音を使い分けて話してくれました。

「小僧、見たな!」ではなく、

「こぞぉ〜うぅぅみいィタァなゔぅぁぁぁぁぁぁぁ」

って感じ。

背景には「ジョジョの奇妙な冒険」の有名な擬音「ゴゴゴゴゴ」

が流れる。

「ジョジョの奇妙な冒険」・・息子が荒木飛呂彦先生をリスペクトしているので、

嫌でも知ってる「ジョジョ」ネタ。


この三枚のお札は、まさに「ジョジョ」ワールドでイメージした方が

わかりやすいと思うので、

勝手に「ジョジョ」方式で説明していきたいと思います。


小僧が山姥の家で寝ていると、

隣の部屋から、「シャーッシャーッ」と、音が聞こえてくる。

そっと障子の隙間から覗くと、

助けてくれた老婆は、いつのまにか山姥に変わっていて、

手に持った包丁を研いでいる。

これは、

女性には「昼の顔」と「夜の顔」の二面性があると言う事を、

小僧に教えています。

メイクが綺麗に決まった時、女性は自己肯定感が上がるそうです。

昼間の優しいお婆さんは、

メイクと照明(お日様)が作り出した蜃気楼のような物。

ま〜ぼ〜ろ〜し〜って奴です。

メイクを落として、照明も当たらない部屋では、

当然自己肯定感も「だだ下がる」のは当たり前。

まぁ、もともと山姥だし〜と、「肉食系女子」の本性丸出しで、

包丁を研ぐと、

口は、「小鹿のように、柔らかい小僧の肉」の口になってくるわけです


美味しいものを想像して、緩んだ口元や頬は、

だらしがなくて、誰にも見られたくないですよね。


それを、見られたんだから、

「こぞぉぉうぅぅぅみぃたぁぁぁなぅぅぅあぁぁぁ!」ゴゴゴゴゴ

となりますよ。


で、びっくりした小僧さん。

命の危険を感じます。

「『廁』(トイレ)に行きたい」と、山姥を騙して、

廁の柱に、三枚のうちの一枚を貼って、

「私の身代わりになっておくれ!」とお願いします。

小僧がいなくなっても、

山姥が「まだか?」と言う度に、お札は、「まだだ、まだだよ」と、

律儀に身代わりを務めます。

痺れを切らした山姥が、厠を覗くと、中はもぬけのカラ!

『ドーーン!』(ジョジョ擬音!)


「こぞぉお、まテェ〜」追いかける山姥。ドドドドドドドドドドドド


後ろに迫る山姥に、


小僧は「大きな大きな山できろ!」と、2枚目のお札にお願いします。


「ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド」(ジョジョ擬音)


と、大きな山ができますが、

山姥は、一足で山を超えます。

ここで、「山」が意味するのは、

子供にとって「山のように大きな存在」。

特に、男の子にとっては、必ず乗り越えないといけない試練の

メタファーになっています。

それは『父親』。

山のように不動で、山のように巨大な存在。

父親なら、自分を守ってくれる!と言う『父親万能説』

幼い自分から見たら、スーパーマンのような父。

それを乗り越えてやってくる山姥は、

「父を超えろ!」と言う事と、「父でもかなわない物がある」という二つの事を少年に教えています。


山を超えて迫る山姥に、三枚目のお札をつかいます。


「大きな大きな川できろ!」


「ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ」(ジョジョ擬音)


と、川が出ました。


ここで川が意味するのは、人間が最初に触れる「水」、

つまり「母親の体内」に満ちていた羊水のメタファー。

最後は、母親に守ってほしいと言う願望と、

どうせ死ぬなら、母親の胸に抱かれて死にたい。

と言うマザーコンプックスの現れです。


しかし、その大きな川も、山姥は一息で飲み込みます。

「オラオラオラオラオラオラ〜」(ジョジョ擬音)


「乳離れしろ!」と言うメッセージです。


命からがら、お寺に戻った小僧さんは、

事情を知った和尚さん(ツェペリさんね)に、匿ってもらいます。


「こぞぉぉ〜、ここかぁ〜!『ドーーーン』(ジョジョ擬音)

ん?おい!和尚、こぞぉぉを出せ!」


「ワシに『とんち』で勝ったら、小僧を渡してやる。」


「本当か?だが、断る!」(ずきゅ〜ん!)


「・・・」


「と言うのは冗談で、よし!やろう。」


「では・・お前は姿形を自在に変えれるそうじゃが、

この部屋いっぱいまで大きくなれるか?」


「そんなの朝飯前!要するに『晩飯』じゃ〜」と、

山姥は、

「ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド」と、

ジョジョ擬音と共に、あっという間に大きくなりました。


ツェペリさん・・もとい和尚さんは、

「では、ノミのように小さく、なれるか?」と尋ねます。


「そんなの晩飯!」と、あっという間に「ノミ」ほどの大きさになりました。


和尚さんは、

あっという間に山姥を摘み、焼いていた目の前のお餅に包んで、

ノミと、同類よォ〜!」

と言いながら、パクッと食べてしまいました。


お話のクライマックスは、少年の「通過儀礼」の仕上げです。


昼と夜で、表情が違う「山姥」は、

少年の揺れ動く内面を表すメタファーであって、

「昼の顔」は、いつまでも親の前では「いい子」でいたい自我と、

「夜の顔」は、「もう子供扱いは嫌だぃ!」と言う、自己破壊の衝動、

青年の暴力性の萌芽として描かれています。


父と母の存在を乗り越えてやってきた「山姥」を、

他人であり、知恵の泉である「和尚」さんに食べてもらう事で、

少年の煩悶は、見事に昇華されて、

これから進む大人への道の、地図となったのでした!

「アイテム ゲット!」テッテレ〜パチパチパチ!


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③『うさぎとかめ』勝負のグレーゾーン。


「うさぎと亀」のお話は、もはや、

物語というより、「標語」に近い気がします。

その証拠に、

そのまんま、道路標識に「スピード出し過ぎ」のうさぎと、

安全運転の亀が、描かれていたりします。

(うさぎは、少し頭悪そうに描かれている)


しかし、

本当に亀は、正攻法で勝ったんでしょうか?

はっきり言わせて貰えば、

「インチキ」していないんでしょうか?


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(*写真は、記事とは関係ありません。)


うさぎが、自分の圧勝を目前に、「昼寝」をしたのは何故か?

あまりの実力の差に、慢心したから?魔がさしたから?

動機としては、少し弱い気がします。

「昼寝」なんて、ゴールしてから、いくらでも出来たんだから。


もし、二人のレースを記録したビデオが、

レース前の様子を撮っていたら、

亀が、うさぎに、

「互いの健闘を祈って!」と、「オロナミン◯」を、

渡しているところを証拠として残していたでしょう。


飲み物の中に何か入っていたのかもしれません。


もしくは、

うさぎが、昼寝をしていた部分が記録にありませんが、

もしかしたら、亀が仕掛けた、ハニートラップに、

引っかかっていたのかもしれません。

それでは、メンツが立たないので「つい、昼寝した」と、

子供がつくような嘘をついたのかもしれません。


しかし、

うさぎと亀の、歩くスピードを考えると、

そんなことくらいで、どうにかなるものではありません。


そこで、

私は一つの仮説を立てました。

それは・・・

猿と結託して、ボールのように蹴ってもらった・・・

という仮説。

猿に、柿を山ほど送って、

そのかわり、レースが始まって、

うさぎが、(睡眠薬が効き始め)眠ったら、

頭と手足を引っ込めた状態で

猿に蹴ってもらい、ゴールした。


この仮説は、かなり真実に近いのではないかと考えています。


ゴールした亀は、さりげなく甲羅についた猿の足跡を拭い、

すべての証拠を消し去り(その後、猿を見た人はいないそうです。)、

勝負の記録も、自分に都合のいいように書き換えた。

歴史は常に、時の権力者によって作られてきた事を思えば、

うなずける。

「うさぎと亀」の話も、

最初に「うさぎ」と、持ってきて「うさぎの顔をたてる」あたり、

なかなかの腹黒さだと、思っています。


この物語で、私が学んだ事は、

「『グレーゾーン』って、結構世の中にあるよね〜」という事。

そして、「グレーゾーン」を制するものが受験を制する!という事。


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大切な事は、全部『物語』に教わった! 間違いない!!


最後まで、妄想にお付き合い頂き、ありがとうございました。


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次回予告!

【『大切な事は全部○○に教わった』シリーズ第二弾】執筆中!(嘘)
















 







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