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テラの小町の日常

「この後、オオサンショウウオに集合な~!」

境内ではしゃぐ小学生たちの様子を耳だけで伺っていたら、聞き慣れないワードが出てきて、少し考える。オオサンショウウオって、一体なんだろう。変わった響き。呪文みたいだ。オ・オ・サン・ショウ・ウオ。

あくびをしながら、立ち上がって前足と後ろ脚を伸ばす。ベンチから地面に軽やかに着地すると、もうどうでもよくなった。とっとっとっと石段を駆け上がり、迷いなく本堂に忍び込む。

今朝も住職が綺麗に拭き清めた畳からは、い草の良い香りがする。前足と後ろ足の肉球を少し舐めてから、ゆっくり畳を歩く。肉球がほどよく冷えて、心地好い。

「にゃあ」

目の前の本尊に向かって挨拶してから、置いてあるふかふかの座布団の上に、全身を預ける。ああ、最高だ。猫に生まれて良かった。とろとろと、また眠たくなってくる。



「あっ、また乗っ取ったな。座布団は小町のベッドじゃないぞ。こりゃ。可愛い顔して。こりゃ」

顔を両手で包まれた後、全身を撫でまわされる。どうしても起きたくなくて、目を閉じ続けるという静かな抵抗をする。線香の香り。住職の匂いだ。そして、ほんのり甘い匂いがする。今日は、いつもと違う線香を焚いたのだろうか?

「なーん」

「おお、起きたか。ほれ、見てごらん。オオサンショウウオっていう、新しく出来た駄菓子屋さんで買ってきたんだよ。お参りに来る人に配ろうかと思ってね」

さっきの小学生のように、目を輝かせている住職の両手には、大きなビニール袋が下げられていた。中身を覗き込むと、ラムネ菓子や麩菓子、カラフルなよく分からないお菓子などが詰まっていた。ふんふんとしっかり嗅ぐ。甘い匂いの正体はこれだ。

「んーん」

「お、小町も懐かしいか?私も懐かしくてな。自分のおやつの分もたくさん買ってしまった。早速、少し食べようか。小町のおやつも持ってくるからな。少し待ってなさい」

住職は嬉しそうに本堂の奥に消えていった。

尊敬する住職にお誘いされては、しょうがない。また立ち上がり、少し毛繕いしてから本堂の外に出た。

人工的な空は、だんだんと赤くなっている。ここは地球ではないのに、ここには地球で見ていた景色しかない。人間が違う星に作った、地球の景色だ。テラフォーミング、と言うらしい。

住職が以前、説明してくれたけれど、よく分からない。私は猫だから、難しいことは全部住職に任せるているのだ。

「小町―。ほら、おやつ。獣医さんにメタボ気味って言われてるから、少しだけにしよう」

「にゃーん!」

「おお、ちょっと、落ち着きなさい。飛びつかないで。ああっ、作務衣に穴が開いちゃうじゃないか。落ち着いて。お座り。お座りしなさい小町」

久々のおやつが待ちきれない。胸の高鳴りを抑えながら、しゃんとお座りして待つ。3粒のおやつが差し出された。すぐに平らげてしまう。

「美味しかったか?」

「にゃー!」

「そうかそうか。では、私もおやつだ。いただきます」

片手に持っていたラムネを、住職は自分の口に頬張った。もごもごと口を動かしながら、境内を見回している。人間用のおやつも、美味しそうだ。

「……うん、甘酸っぱくて、美味しい。何年ぶりかなぁ。前に地球で食べたのと同じ味だ。凄いな、テラフォーミングの技術は。宇宙の果てにある星を、地球に作り変えるなんて、最初は夢物語かと思ったのに。今じゃ、こんなに小さいラムネも、実家の寺もそっくりそのまま、再現できてる」

ぼんやりとしている住職の足に、サビ色の身体を擦りつけた。もうちょっと、おやつを貰えないでしょうか、と伝えたつもりだったが、頭を少し撫でられただけだった。

「小町も私も、そっくりそのままだな。地球から転送されてきた時は、何かが変わってしまうかと思って、不安でたまらなかったが……。データになっても、何も変わらないんだな……何も……。生命というのは、やはり情報の塊なのか……」

住職は元気がないようだ。押し黙って、眉間にしわを寄せて、遠くを見ている。蝉の鳴き声だけが聞こえる時間が、しばらく流れた。

「にゃうっ!」

大きな声で鳴いてみる。住職は、やっとこちらを見てくれた。良かった、笑った。

「小町、今日も可愛いなぁ。お前の可愛さで、他のことがどうでもよくなるよ。寺には、やっぱり猫だな。猫がいてこそ、寺だ。テラフォーミング、寺を完璧に再現する、寺フォーミング……ふふっ、寺フォーミング……」

「にゃっ!にゃーん!」

住職の作務衣に再び飛びつき、住職の微妙なギャグの連呼を阻止した。



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