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あまいろワイン

お正月に帰った実家で、時間を持て余していた時。古いアルバムを見つけた。棚の奥にあった分厚いアルバムの表紙には、過ぎた長い年月だけが刻まれていた。

表紙をめくって、まず目に飛び込んできたのは、瓶が5つ並んでいる写真。どれもウィスキーの空き瓶のようだった。2枚目、3枚目の写真には、楽しそうにお酒を飲んでいる人々が写っていた。

4枚目は、満面の笑みでビールジョッキを掲げる男女の写真。笑ってしまうほど、ビールを飲む時の母とそっくり。母方の祖父母だと、すぐに悟った。

祖父母は、私が生まれる前に亡くなってしまった。母によると、2人ともお酒愛好家だったようで、家中にウィスキー空き瓶を飾っていたらしい。

母も酒豪なのに、なぜ私は下戸なのだろう。不思議に思いながらページをめくると、1本のワインの瓶だけを撮った写真があった。瓶を覆うラベルには『天色あまいろワイン』と書かれていた。

次の写真に納まっていたのは、祖父母と蝶ネクタイをしたダンディーな男性。それから、渋くておしゃれなバーらしき店内の写真が、何枚も続いていた。

3人の後ろにワインがたくさん並んでいるから、ワインバーかもしれない。蝶ネクタイの男性は、マスター?友達だったのだろうか?親戚?

色々推測しながら、天色ワインの写真に戻った。なぜ、撮ったのだろう。どんなワインだったのだろう。気になって、アルバムから慎重に剥がした。

まじまじ見てから裏返すと、ハーデンベルギア、という単語と住所が書いてあった。ワインバーの情報だろう。そう思って、スマホにメモした。母に真相を尋ねるつもりだったが、なんだかわくわくして、自分で確かめようという気になった。




新年初の仕事は出張。後輩と2人で大雪の洗礼を受け、体力を大幅に削られながらも、やっと仕事を終わらせた。

駅に向かう途中、後輩の話を聞き流しながら、スマホの地図情報アプリを操作する。やっぱり駅の近くに、あのワインバーがあるようだ。行きの新幹線の中で気付き、帰りに立ち寄ろうと決意した。

「先輩?ぼーっとして、どうしたんですか?あっ!お土産リストでしょう!買い忘れたんですか?」

「う、うん。そんなとこ。悪いけど、先に帰ってて。今日はすぐ帰って休んでね。お疲れさま」

「分かりました。先輩も早く帰って休んでくださいね。お疲れさまでした。お土産、期待してますよ」

へらっと笑った後輩は、駅のほうへ歩いていった。そういえば、お土産。忘れていた。



スマホを頼りに、なんとか目的地に着いた。営業中という札が、古い木製のドアノブに引っかかっている。

しかし、どこにも看板が無い。レンガ調の外壁は、バーっぽい。しかし、アルバムにはお店の外観の写真が無かったので、本当にこのお店なのか、確信が持てない。

少し迷ったが、せっかく来たのだからと思い切ってドアを開けた。

「いらっしゃいませ」

目の前に、優し気な初老の男性がいた。黒いベストと蝶ネクタイを纏い、グラスを拭いている。その姿は、あの写真に写っていたマスターと瓜二つだった。

「あの、ここはワインバーですか?」

「ええ。『ハーデンベルギア』へようこそ。分かりにくかったでしょう。すみませんね。今看板を修理してまして」

店内は、あのアルバムの写真そのままで。まるで、写真の中に入ったようだった。

「あの、私の祖父母のアルバムに、このお店とマスターの写真があって。それと、天色あまいろワインというワインの写真も。かなり前の写真だったんですが、祖父母とワインのこと、何かご存知でしょうか?」

マスターは手を止めて、しばらく私を凝視した。気まずい。

「……あなたは、あのご夫婦のお孫さん……あぁ、お会いできて光栄です。天色ワインは、世界に2本しかない貴重なワインです。今は亡き先代のマスター、私の父なのですが、その父が友人夫婦に片方を託したと。ちょ、ちょっと待っててください」

マスターは慌ててバックヤードに消えていった。


しばらくして戻ってきたマスターの手には、天色ワインがあった。

「父曰く、このワインは眺めて楽しむワインだそうです。ほら、光に透かすと、特に綺麗でしょう?」

マスターが掲げたワインは、真っ青だった。

「うわぁ綺麗……青いワインなんて、初めて見ました……青空みたいだ」

「まさに、天空の色、天色あまいろ、ですよね。しかし、これだけじゃないのです。そろそろですよ……じっと見ていてください」

マスターは腕時計を確認した後、私に囁いた。ワインを見つめていると、濃い青が赤紫っぽくなっていく。目をこすってみるが、確かに変わっていた。

「天色ワインは、時間と共に色が変わるのです。空と同じように。これから赤くなって、深い青色に戻っていきます。そして、夜空のような濃い紺色になるのですよ」

黄昏たそがれていく天色ワインを、マスターと静かに眺める。祖父母と先代のマスターも、近くにいるような気がした。

午後5時のチャイムが聞こえて、はっとした。

「あっ!新幹線とお土産!私、そろそろ失礼しないと。すみません。また、必ず来ます。次に来る時はきっと、祖父母の天色ワインを持ってきますから」

「はい。楽しみにしてます。その時は私たちとワインの再会をお祝いしましょう」



新幹線の窓から空を見る。きっと今頃、対の天色ワインは夜空の色なのだ。


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