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透明なハガキ

今朝、娘から絵ハガキが届いた。美しいレンガ造りの洋風建築物が写っている絵ハガキの隅には、娘の角ばった文字。どうやら人生初の修学旅行を楽しめているようだ。出発前は不安そうだったので、一安心だ。

安心したらお腹が減った。戸棚から青い液体の入ったパウチを取り出す。胸の辺りのボタンを押して、エネルギー補給の準備を開始した。

ウィ~ンという音が体内から聞こえる。人型ロボットの父親として、私はいつまで娘のそばにいられるだろうか。最近、そんなことばかり考える。音がしなくなったので、パウチのふたを開けて、青い液体を一気に飲み干す。

娘が帰ってくる日の夕飯の献立を考えておこう。目を閉じて、記憶の保管庫に足を踏み入れる。あれじゃない、これじゃないと記憶を探していると、懐かしい記憶を見つけた。ほぼ無意識に、その記憶を手に取った。



すっかり通い慣れた郵便局で、その日、私はいつも通りに受付カウンターに座った。大きな荷物を抱えてくる人、切手を買いにくる人、緊張した面持ちで、どこかへ封筒やハガキを送る人。その日も実に様々なお客さんがきた。

お昼頃だっただろうか。お客さんが途絶えたので、ちょっと身体の油圧を下げて休憩していた時だ。「すみません」と、か細い声が聞こえてきた。

誰もいないはずなのに、とびくびくしながらカウンターの外を確認したら、6、7歳くらいの小さな女の子が一人、泣きべそをかいていた。あまりに小さいので、完全にカウンターの下に隠れてしまっていたのだ。

驚き過ぎて固まっていると、女の子は私に何かを手渡してきた。握り締めすぎて、くちゃくちゃになった白いハガキ。宛名に「お父さんとお母さん」とだけ書かれているだけで、あとは白紙だ。

「お父さん、さそり座なの。さそり座は、アンタレスっていう赤い星が目印なの。お父さんが教えてくれた。だからきっと、二人はアンタレスにいるんです。死んじゃったなんて、嘘なんです。これをアンタレスに、送ってください。私のお父さんとお母さんに」

そこから先は、何を言っているのか聞き取れなかった。むせび泣く女の子に動揺しながら、なんとなく女の子の背を撫でた。何か、言わなくては。かけるべき言葉は、どれか。頭の中のプログラムを総動員するが、なかなか答えが出ない。

「……ごめんね。ハガキは、違う星へは送れないんだ。きっとお父さんとお母さんは、今でも君のそばに……」

「目に見えないんじゃ意味ないもん!」

女の子は叫んで、私の足に抱きついた。間違ってしまったのだろうか。しかし、女の子は私を放さない。透明度の高い悲しみに圧倒されかけていたが、勇気を振り絞ってもう一度、答えを探す。言葉、言葉、悲しむ人にかけるべき言葉……。

「……とっても大切なものはね、最後には透明になるんだ。見えなくなる。それは、誰にも奪われないためなんだ。ほら、美味しそうな飴玉があるとさ、欲しい人に取られちゃうかもしれないだろう?でも、透明な飴だったら?心配せずに、ずっと手に持っていられる。大切な飴玉があるって、自分が覚えている限り」

泣き声が収まっていく。足を離してくれたので、しゃがみこんで、女の子の頭を撫でた。

「……透明な飴だったら、食べられないじゃん。手に持ってたら、溶けちゃうし」

「あ」

女の子の鋭い指摘に、しまった、と焦る。しかし、そんな私の反応を見て、女の子はケラケラと笑ってくれた。伝わってほしいことは、なんとか伝わったようだ。

それから、その女の子は郵便局の常連さんになった。度々、児童養護施設を抜け出してくるという事件を起こした女の子は、今では正式に私の娘として暮らしている。



記憶から現実に戻れば、もう夕日が落ちてきていた。娘は明日帰ってくる。献立は決まらなかったが、とりあえず食材の買い出しをしておこう。

玄関を出て、街を歩く。私の職場の郵便局が見えてきた。今では、ほとんどの職員が人型ロボットだ。人型ロボットが家庭を築き、私のように親になることも珍しくはなくなった。

星間郵便なんてことも、近いうちに夢物語ではなくなるだろう。あの時、さそり座のアンタレスへ、あのハガキを送ることができていたら。娘は、どんな反応をしていただろう。夕空を見上げた。

もうすっかり寒くなり、夏の星座は見えない。でも、全ての星がきっと今日も煌めいている。

「透明な星、か」

修学旅行を満喫している娘の笑顔を想像しながら、スーパーへと歩きだす。あのハガキも、きっと透明になったのだろう。



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