見出し画像

ジュラ紀のスピカ

ハーネスを付けられた小さい草食恐竜が、公園で犬たちと戯れていた。あのハーネス丈夫そうで良いな、なんて思っていたら、膝裏に衝撃が走った。思わずリードを離してしまいそうになる。

「こら、スピカ。膝カックンはやめなさい」

グウゥゥという不満そうな鳴き声を発しながら、私の足にしがみついているスピカも恐竜だ。しかし、アルマジロのような見た目で臆病な性格なので、全然恐くない。

「他の犬とか恐竜とか苦手だもんね。もう家に戻ろうか?」

グゥ!と強く鳴いたスピカは、家に向かって勢いよく走り出す。半分引きずられていると、強い風が吹いた。一斉に舞い散る桜の花びらで視界が埋まる。スピカを見失わないように、リードを握り直した。



昼食を食べた後、楽しそうに言語の勉強をしていたスピカが異様に静かだ。リビングを覗くと、ソファで眠っていた。掃除の手を止めてスピカの横に座り、背中を撫でる。鱗は硬く、少し冷たい。

五十年前、遺伝子操作によって草食恐竜を蘇らせることが可能になった。広大なパーク内で放し飼い展示する恐竜園も世界中に造られて、恐竜が大人気になった。そして、超小型の草食恐竜がペットとして世に登場したのは、三十年前。

当時、恐竜の遺伝子研究をしていた私は、嫌な予感がして恐竜をペットにすることに反対していた。しかし、世間の波は止められず。その嫌な予感は当たり、様々な事情で飼えない恐竜は安楽死させるのが当たり前になってしまった。恐竜を捨てることは、重罪だからだ。

「はっ!僕、寝てましたか?」

「うん。ぐっすりとね」

「いけない、いけない。今日は四文字熟語も覚えようと思ってたのに」

外では普通の恐竜のように振る舞っているが、実はスピカは、たぶん世界でただ一匹の喋る恐竜だ。複雑な思考もできる。試しに勉強道具一式を与えてみたら、自主的に言語を勉強し始めた。世界初の多言語恐竜になる日も近いだろう。

「テストがあるわけでもないんだから、のんびり勉強すればいいよ」

「父さん。時間は何者にも有限です。僕はできるだけ父さんに、驚いて、笑ってほしい。たくさん誉めてもらいたい。だから、頑張りたいのです」

スピカはちょっと照れ臭そうにテキストを開き、黙々と勉強し始めた。時間は平等に有限。真理だ。スピカの成長速度には、本当に日々驚かされる。

スピカは、とある恐竜園で人工孵化した恐竜だ。虚弱体質で身体が小さすぎるため、巨大な草食恐竜たちが闊歩しているパーク内には放てないと判断され、安楽死させられるはずだった。

その時ちょうど恐竜の医療ケアも始めていた私に、その辛い役目が回ってきた。苦悩しながら、初めて安楽死の処置に臨んだ。最終チェックの時に、この子の丸い瞳に射抜かれた瞬間を、私は一生覚えているだろう。私はとっさに、安楽死の薬を睡眠薬にすり替えた。

処置を終えたふりをして、スピカの生体データを消去した。そして、昏々と眠る小さなスピカを厚いタオルにくるみ、家に連れ帰ったのだ。

このことは私とスピカと、心から信頼している一人の友人しか知らない。それから私は遺伝子研究と恐竜育てに全力を注いだ。

スピカが急に私の言葉を繰り返すようになった時は、本当に腰を抜かした。言葉を教えてみたら、数ヶ月後には会話ができるようになって、私は感動で打ち震えた。

世界初の、発話できる恐竜。この子の知能指数は、今どのくらい高いのか。もしも、この子の特異な遺伝子を他の恐竜にコピーさせたら、どうなるか。

研究者として湧き上がる好奇心を、私は徹底的に無視し続けている。私は、この子の親なのだ。今も未来のいつの時点でも、親なのだ。家に連れ帰った日、守ると決意した。私自身からも。

真剣にテキストを読むスピカを見つめる。視界がかすんで、目をつむった。

半年前、私は眼球の病で研究の仕事からも離れた。そう遠くない未来、私は失明するらしい。それまで、この子の姿を目に焼き付けておくのだ。私を導く春の星。私の愛し子。スピカの姿を、ずっと覚えていたい。

目を開けた。




「ねぇ、父さん。最近変な夢を見るんだ。僕は広い雪原に立ってて、酷い吹雪と睡魔に耐えているんだ。しばらくしたら吹雪が止んで、遠い空で太陽が三つ、横に並んでいるのが見えてね。綺麗すぎて全身の力が抜けて、そこで目が覚めるの」

「それは幻日げんじつという現象だね。太陽の高度が低いと、太陽が分裂したように見えることがある。ああ、スピカの祖先の記憶かもしれないなぁ」

「へぇ~!父さんはやっぱり何でも知ってるね。僕の祖先かぁ。……父さんと、幻日も見てみたかったな」

頭を胸に寄せてきたスピカを撫でる。ひやりとする硬い鱗の質感を、何度も確かめた。


この記事が参加している募集

眠れない夜に

お気に入りいただけましたら、よろしくお願いいたします。作品で還元できるように精進いたします。