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ワタリドリ



[Alexandros]さんのワタリドリからイメージを膨らませて書かせていただきました。
この曲ならではの爽やかな疾走感と、青春時代にもがきながら生きているもどかしさを感じてもらえたらとても嬉しいです!


風を切る。

その言葉があいつ以上に似合う奴を俺はまだ知らない。
あの頃からずっと俺は、いつもあいつの背中を追いかけていた。

ぶれることなくただひたすら、真っ直ぐに俺の前から走り去っていくその背中を。

*

白線の引かれたタータントラック。
地面に手をつき、全神経を集中させてその一瞬を待つ。

発砲音が鳴る。
瞬間、張り詰めた空気が揺れる。

走り出す。
ただがむしゃらに、手足を振ってもがく。

コンマ数秒前の自分から逃げるために。


「篠崎、11秒06。」

遠くでタイムを告げる声が聞こえた。

周りの空気が急に減速していく。
線に見えていた景色が元の形を取り戻す。

「ちょっと上半身ぶれてるんじゃないか、お前」

ストップウォッチを持って近づいて来たマネージャーの駿河に向かって俺は言う。

「ごめん。昔のことちょっと思い出しちゃって集中力切れた」
「うわ、何ノスタルジー浸ってんだよ、さては昔の女か?」
「違うよ、高校んときの陸部のエースのこと。 伊吹 颯って聞いたことあるだろ?」
「ああ、栄高校の。全国常連だったよな。大学入ってから全然聞かないけど陸上辞めたのかな」
「わかんないんだよな。高2であいつが転校して以来全然連絡取れてないし」

俺は首を振る。

俺が大学に入ってまで厳しい練習に耐えて陸上を続けているのはそれが理由だった。

高2の春過ぎに突然転校してしまってから音信不通の颯だったが、情けないことに、陸上を続けていれば必ずどこかで会えると俺は信じていた。

俺が颯にここまでこだわるのには理由がある。

忘れたくても忘れられない高校2年の県大会予選。

4×100mリレーの3走だった俺は、2走の走者から1位でバトンを受け取った。
夢中で走り、なんとか順位を変えずに逃げ切り、あとはアンカーの颯に手渡すだけだった。

目の前で颯が俺に向かって手を差し出して走り出す。
俺の前から遠ざかるその手のひらに向かって手を伸ばしたその瞬間。

追いつけない。 

無意識にそう思ってしまった俺は、颯との距離をつめてアンダーハンドパスで渡すはずだったバトンをあろうことか上から渡してしまった。

当然バトンパスはもたつき、その一瞬の間に2位に抜かされた。

その後の颯の追い上げのおかげで1位を奪還し、県大会出場も無事取り付けることはできた。
しかし、それまでのペースを考えれば大会新記録を狙えただけに、チームの落胆は大きかった。

多くのチームメイトは俺に怒りを向けたり、慰めの言葉をかけてきたりした。
その度に俺はうつむき、絞り出すように謝るしかできなかった。

だけど、颯は違った。

解散後すぐ彼は、
「ねー湊人みなと、俺腹減ったよ、ごはん行こうよ」
と俺を競技場の近くのファミレスへと連行した。

席に向かい合って座っても、颯はなにも言ってこない。
いたたまれなくなって、呟くように俺は言った。

「颯、今日はほんとにごめん。俺のせいで」

オムライスをつついていた颯は、俺の方を一瞥し、すぐにオムライスへと視線を戻した。

「競技って窮屈だよね。余計なルールで縛られてばっかで。俺、なにも考えないで湊人たちと走ってる時が一番楽しいよ」

付け合わせのポテトを頬張りながらそう言った颯の言葉で俺はどれだけ救われたか知れない。

その日からずっと俺は颯の走りに取り憑かれている。

一瞬でもいい、颯と並んで走りたい。
その一心でここまで来た。 我ながらものすごい執念だと思う。

「もったいねーよな。あいつほど実力ありゃ大学も選び放題だったろーに」駿河がため息をつく。

「本当に、颯のやつ、今どこでなにしてるんだろう…」

あいつが走るのを辞めるなんてあり得ない。
走るために生まれてきた、と形容しても大袈裟でないほど、颯はいつも軽やかに、力強く、楽し気に走っていた。

「お前ら、雑談してる暇あったら次の準備しろよ」
後ろから呆れたような先輩の声が降ってきた。

「すいません」
駿河と俺は声を揃えて頭を下げた。

「ちなみに伊吹颯なら怪我してもう走ってないらしいぜ」

通り過ぎ際に先輩はこちらを振り返ってそう言った。

「え」

「俺のいとこが伊吹と同じ高校出てるんだけど、あいつアキレス腱かなんかやっちまったらしいぜ。それで、やけになって柄悪いやつらとつるんでるとか」

風が止んだ。
あたりがしんと鎮まりかえる。

正確には、スパイクの足音、息遣い、発砲音、タイムを刻む声、水を飲み喉を鳴らす音ーーが引き続き響いているはずだったが、俺の耳には何の音も入ってこなくなった。

颯が怪我をした? 走れなくなった?
そんなことがあってたまるか。

滑らかに、鋭く、凛と走っていく颯の背中が脳裏に浮かぶ。
どうして颯が走るのを辞めなきゃいけないんだ。

俺はこれから何を目指して走れば良いんだ。

追いかけていればいつか届くと信じていた背中を失った俺は、当然、この後の練習に全く身が入らなかった。

*

颯が走るのを辞めたと聞いてから1週間足らず。
俺は完全に陸上へのモチベーションを失っていた。

突然走ることができなくなった颯の苦しさや悲しみ、悔しさを足りない想像力で思ってやるせない気持ちになったり、怪我をしたからといって自暴自棄な人付き合いに走る颯のらしくなさに怒りを覚えたりした。

とはいえ、部活をさぼる度胸もなかった俺は、抜け殻のように惰性で練習を続けていた。

その日は久しぶりに部活がオフだったので、授業が終わってすぐに家へ向かっていた。

片道1時間半。
決して短くない時間を空っぽのまま電車に揺られて過ごして帰宅すると、母親が声をかけてきた。

「湊人、なんか来てたわよ」

見ると、手紙のようなものが机の上に置いてある。

手紙なんてだれからだろう。
訝しがりながら封を開けると、そこには大きな字でこう書かれていた。

「湊人、久しぶり!元気してますか? 久しぶりに栄に帰ってきたから会いたいなと思って。だいたい夕方は桔梗川の土手にいると思うからもし都合いい時あったら来てほしい。じゃあな!」

差出人の名前は無かった。

だけど、俺にこんな手紙を送って寄越すような律儀さと、名前をうっかり書き忘れるような大雑把さを合わせ持つ人間。そして、ここ、栄町に帰って来たという言葉。

思い当たる人物は1人しかいない。颯だ。

俺は手紙を掴み、そのまま家を飛び出し、桔梗川へ向かった。

道中走りながら、まず一言目にどうやって颯に声をかけるべきか考えていた。
高校2年で颯が突然転校して以来、全く連絡を取っていなかった。連絡先すら知らなかった。

走れなくなった颯。

怪我の程度はどのくらいなんだろうか。
俺がなに不自由なく走って向かってくる姿を見て、傷ついたりしないだろうか。

柄の悪いやつらとつるんでいると聞いたから、もしかしたら髪の色だって明るくなっているかもしれない。ピアスだっていくつもあいていてもおかしくない。煙草だって吸っているかもしれない。

そんな俺の知らない颯に、何と言えばいいのだろうか。

そんなことを考えながら桔梗川にたどり着くと、土手の草むらに腰掛けている背中が見えた。 夕陽を受けて髪の毛が赤く染まっている。

逆光で顔はよく見えないが、背丈からしてあれがきっと颯だ。

近づいて息を飲んだ。
夕陽で赤く染まっていたように見えた髪の毛は、比喩ではなく、どうやら本当に赤色のようだ。

何てことだ。
髪をこんなにしてしまうなんて。

俺の想像以上に颯は深く傷を負い、その傷をいまだに癒せていないのかもしれない。

その明るい髪の毛を目にしてかなり気持ちがひるんだが、もうここまで来たのだ。

覚悟を決めて、その背中に呼び掛けた。

「颯…」

名前を呼ばれ、彼が振り返る。

「湊人!」

真っ赤な髪の颯が満面の笑みを浮かべる。 つい先ほどまでどんな顔してあえば良いのか考えていただけに、俺は大分面食った。

「ひっさしぶり!元気?来てくれて嬉しい!高2ぶりだね!なんか大人っぽくなったんじゃない?」

次々と再開の喜びを惜しむことなく俺に振りかけてくる颯。

「え、ちょっと待て、颯、その髪どーしたんだよ」

颯が浴びせる言葉の嵐を全く拾えず、しどろもどろになっていた俺は、まずは目の前の違和感の根源である颯の髪色について聞いてみることにした。

「あ、これ?これね、昨日染めてもらったんだ、どう?アメリカだとやっぱなかなか日本人の髪の毛いい感じにしてくれるとこなくて」
「え、アメリカ?颯アメリカいたの?」
「あ、そっか言ってなかったもんね、大学からアメリカ行ってるんだ俺」

その後の颯が言うには、高2の夏に転校してすぐの体育の授業でバレーボールをしていた際にアキレス腱を切ってしまい、陸上部を辞めたという。

そして、リハビリのために通っていた病院で親身になってくれた整形外科医の影響を受け、スポーツ医療の道を志した。日本のスポーツ医療は欧米と比べるまだまだであるらしく、そのため、アメリカの大学を受けたそうだ。

俺の想定を超えた話ばかりで話を飲みこむのに時間を要したが、俺が颯の背中を追っていたつもりだった3年間で、颯はどんどん前へ進んでいたらしい。

「今、学期終わりで休みだから日本戻ってきたんだ」
そう言って微笑む赤髪の颯を見て、俺はまだ違和感を拭えずに問うた。

「颯は悔しくないのか?」
「ん?何が?」
「足怪我して、中途半端なところで陸上やめることになって…お前の走り、ほんとにかっこよかったのに。悔しくないのかよ、なにも知らないやつらに好き勝手言われて」

颯が黙って俺を真っ直ぐに見つめてきた。
夕焼けに染まった綺麗な目だ。

「…会ったことも話したこともない人になんと思われてても俺、別に気にならないよ」

颯が静かに言った。

「俺ね、競争したいから、とか一位になりたいから、とかで走ってるんじゃないんだ」

颯は左足を軽く押さえて続けた。

「走りたいから走るんだ」

その瞬間、強い風が吹いた。
辺りの草花がざわりと揺れた。
そしてたぶん、俺の心もごとりと動いた。

そうか。
どこまで行っても颯は颯なんだ。

颯の持つ翼は、大きくて力強くて、とても自由だ。
何者にも縛られない。

なんだか急に肩の力が抜けて、枯れた音を出して笑ってしまった。

「なんだよ、馬鹿みたいじゃん俺」

必死で追いかけてきたのに、このザマか。
こうも根本的で圧倒的な違いを見せつけられると、もはや清々しい。
もう空でも仰ぐしかない。

「なんで馬鹿なの?」
「心配して損したって話だよ、怪我してグレて柄悪い奴らとつるんでたって噂も聞いたから」
「えーなにそれ。適当なこという人もいるんだね」
「いやでもお前、今もそんな髪だし、俺だってさっき声かけるの躊躇したし」
「あー、髪の色のことだったら、たぶんその柄悪いって思われてるの、普通に俺の転校先の友だちだよ。俺らの高校校則ゆるかったから髪染めオッケーで、近所の美容学校の友だちのブリーチの練習台とかやってたんだ。この髪も昨日その友だちにやってもらったの」

颯が赤い毛先をつまんでみせた。

「まあ陸上やってたらブリーチなんて絶対できなかっただろうしそれはそれで良かったのかも」

颯がそう言って立ち上がった。

「ねえ湊人、競争しよっか。」
「え」
「ほらはやく準備して」

土手の道路に駆け上がった颯がクラウチングの姿勢をとる。
わけもわからないまま追いかけた俺もつられて横に並ぶ。

「On your marks, set」

颯が流暢な英語で開始を合図する。

「Bang!」

発砲音まで無駄に発音良く放った直後、颯は弾丸のように飛び出していった。

あいつが走ると、びゅう、と一陣の風が吹く。
隣を走っている俺のもとにもその残り風は届き、一瞬で過ぎ去っていった。

追いかける俺をぐんぐん引き離していく颯の走り。
あの頃と全く変わらない。

と、その時、前を走る颯の肩越し赤い自転車を目で捉えた。
先を歩いていた女性に向かって急接近していく。

次の瞬間、女性が悲鳴をあげて道端に倒れた。
その横で去っていく自転車。
手には女性もののピンクのバッグ。

「颯!あれって」

引ったくり、と俺が叫び終わるより先に、颯は女性の元へ駆けつけていた。

「大丈夫ですか!」

颯が地面に足をつき、女性を抱え起こす。
その場に追いついた俺が手を貸そうとすると、颯の鋭い声が飛んできた。

「湊人、行って」
「え、でも」
「いいから。走れ!!!!!」

颯斗の大声に背中を押されるように俺は走り出した。
赤い自転車は100メートルほど先の横断歩道を超えたあたりを走っている。

追いつけるか。

腕を大きく振る。
酸素を吸い込む。
吐き出す。
地面から伝わる力を前へと進む動力に変える。

無茶苦茶なペースで走っているため、息が切れてきた。
喉の奥から微かに血の味がする。

くそ。ゴールがのびていく短距離走なんて地獄以外の何物でもない。

それでも後ろで颯が見ていると思うと止まることはできなかった。
がむしゃらに、夢中で、前に進んだ。

「待てよ…っ」

やっとの思いで手を伸ばし、赤い自転車のリアキャリアをかろうじて掴んだ。そのまま無我夢中でカバンを持った男を捕まえる。

額をつたった汗が地面に滴り落ちた。
息が苦しい。必死に呼吸を整える。

「湊人、おつかれ!」

後ろから追いついた颯が、肩で息をしていた俺の背中を叩いてきた。
振り返ると颯の満面の笑みが俺を迎えていた。

その瞬間、俺は思った。

一生二番手でもいい。二番手には二番手の光り方がある。
誰にも見てもらえなくても、気にも留められなくても、それでもその大きな背中を追いかけ続けていればいつかきっと報われる日が来る。

女性にカバンを戻し、男を警察へ連れて行った帰り道、俺は久々に颯と肩を並べて歩いた。

太陽が沈みきった後の空は、夕陽が残した淡いピンク色を混ぜ合わせながら藍色を深めていた。

「颯はいつまでこっちにいるんだ?」
「んーと明明後日、かな?でもまた来年夏休みには戻ってくるよ」
「渡り鳥みたいだな」
「おー、なんかそれかっこいーね」

電灯が点き、背後から俺らを照らす。長く縦に伸びた颯の影がはしゃぐように跳ねていた。

「颯が次戻って来る時までには俺、もっとかっこいい人間になっとくから」
「おー、いいね、楽しみ!」

俺が小さく呟くと、颯は一層嬉しそうに笑った。
跳ねたまま近づいてくるので、どうどうとなだめる。

来年また会う日には、颯の前で胸をはれる俺でいたい。

「じゃあ、またね」
別れ際、颯が大きく手を振る。

「ああ、またな」
俺も手を上げて応える。

夜の始まりを告げている濃紺の空を見上げると、小さな星が二つ少し離れた位置に並んで光っていた。


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