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産後6ヶ月からはじまる、ママの多動力爆発ターンってあるよね!?を検証してみた話


こんにちは、ゆっか(@neotenylab)です。

最近、過去の制作物から、ある仮説を検証していました。

それは、子どもが生まれてから、母親のやる気のバイオリズムは子供の成長に支配されているのではないか、ということ。

特に、生後すぐからの怒涛の日々が落ち着いて、産後の体も回復してくる6ヶ月すぎから、急に外へと気持ちが向きだして、人と会ったり育児日記を発信し始めたり、フルスロットルで動きまくってた記憶があるんですが、

この謎の「多動力爆発ターン」は、記憶だけじゃなくて、第一子も第二子も実際同時期だったのではないか、という仮説です。

この時期って、家のなかにいると目が離せなくて大変なんだけど、外に出てしまえばまだ基本抱っこでトイトレも始まってないから、まだ大人のペースで動ける。

外食もおすわりができるようになれば子どもイスに座れるようになるし、まだあれ欲しいこれ欲しい言わないから比較的穏便に外出が可能。

子どもも目まぐるしく成長するから、見ごたえも抜群。

当時は必死でそんなことを考えてはいなかったけど、だからなんかことあればすぐ外に出て、疲れ果てているけれど、何か記録しなければ!この感動を残さなければ!と泥水をかき分けて進むような必死さがあり、そして同時にそのエネルギーもどこからともなく湧いてきていた…、

一言でいうと、ママ時代の黄金期だったなあと思い出します。

しかし、この黄金期はイヤイヤ期(ただNOと言いたい時期)の発動とともに終了するんですよね。

イヤイヤ期自体は、言葉を獲得することで治っていくんですが、結局そのまんま自己主張(自分の思いを通したがる)の時期につながるので、学年でいうと年中さんくらいまで、なんだかんだいっぱいいっぱいだったように思います。

育児日記で黄金期の詳細を振り返る

さて、そんなわたしの記憶ですが、ウェブ上で制作物を発信していると、ずぼらでも幸いにして日付がつく。

実際に正しいのか?が検証できる。おお、これはすごい!

ということで、その当時の制作物から時期を振り返ってみようと思います。

第一子:BCCKS「.Lab」イラスト育児日記を検証する

仕事は写真がずっと本業ですが、実は絵を描くことを仕事にしようと熱中していた時期がありました。

その流れで、第一子の時は、BCCKSというサービスのベータ版で、育児イラスト日記をつけていたんですが…

その開始日が、2010年の2月25日。マジでおよそ生後6ヶ月。

おんぶで昼寝させながら描いたりしてたと回想。

今当事者以外視点で見ると、下ネタにしか見えない日記ばかり。

ホラーネタ、ケガネタも多い。

徐々に始まる他の子どもとの交流も。みんなもう小学生なんだよなあ…。

夫婦ゲンカも文字にすると穏やかだけど、結構キレてた気がする  笑

そして、成長への淡い期待(↓は、結局夜明けじゃなかった)

なんだなかんだ、上からさらに落書きされたり…

悲劇が襲ったその日も毎日一枚なにげに描いている…

だんだん絵の密度も薄くなっていき、精神状態の変化も…

そしてこれが最後。

ここが、1歳9ヶ月。完。まさに、このあとイヤイヤで、「イヤイヤって2歳からじゃなかったのかよー!」と頭を抱えていたことをうっすら思い出します。

しかし、こうして見ると、育児ストレスのセラピー的側面、けっこうあるね。描き込みまくりの時期とか、手を動かすことで、めちゃ救われてたのかも。

第二子:note「tags」写真育児日記の検証

第二子は、文章ではなくて、写真の一行日記です。第一子よりかなり楽に継続できるけど、毎日更新ではありません。ま、その辺は昼寝時のフリータイムがない第二子なんで仕方ない。

こちらの投稿1枚目。写っているのは第一子ですが…これが、第二子のだいたい生後8ヶ月。

成長が遅めな子だったんで、そういう意味では第一子と成長のタイミング的には同じ時期。月齢より、子供が移動を開始始めると、母親もスイッチが入るのかも。

赤子の移動(進撃)が始まると、事件がいっぱい起こるんですよね。

誰に言うまでもなく、日が昇って沈まないうちから、どんどん上書きされる事件を忘れないように書き留めていた感。

今見るとほんと小さいことなんだけど、ちょっとの変化が母にとっては感動の嵐で。

でも、見ているのは自分しかいない、感動を分かち合う相手がいないという孤独もあったように思う。

母の目も虫の目で、1日がミクロにドラマチック。他人だと、そろそろ飽きてくる頃でしょう 笑 いつまでハイハイしてるんだよっていう。

ハイハイ時期は妹ばっかりしつこいほど投稿してるのに、
歩くようになると、お姉ちゃんだけや、姉妹の写真が増えてた。げんきん。

まあ、一人だけ撮ると喧嘩になるっていうのもある 笑。

でも、二人とも主役の絵って結構むずかしいのよね。最後がこれ。

1歳10ヶ月ごろ。これも、調子と比べた時の成長の遅さを加味すると、ほぼ同時期…。ここからイヤイヤムーブメントがはじまったんですね…。

うん、振り返って思うことはやっぱりひとつ。

子育てのハイライトここにあり。

大変だった、でも眩しかった。人生で一番細かいことに感動していた…。
青春第二弾。

調べていませんが、育児マンガとかも描かれているボリュームが一番あるのが、この時期だったりするかも?

イヤイヤ期はネタはいっぱい降ってくるんですが、なにぶん描く余裕がない。夜にはマジで性根尽き果ててる 笑
(あと、実名活動していると言えないことも多くなる 汗)

そう思うとイヤイヤ期をリアルタイムで描いているプロの漫画家さんは、ほんとすごいなあ、と尊敬しかありません。

自然のリズムに身を任せて生きる

「tags」も、いまは子どもは出てきません。(決めてるわけじゃないので出るときは出るかもだけど…)

ただ、子供を撮る日常を経て、自分が眼差しを向ける対象も変わったなあと思います。

子どもを撮っていないわけではなく、子供の写真はインスタではスマホで撮ったものをアップしているのですが、

「日常」ではないんですよね、もう。

撮るのも「わざわざ」の演出はしないんで、更新頻度も低いし、撮るのも土日とかがメイン。「非日常」。

これを、頑張って更新頻度をあげる、何かで埋める、というのも1つの方法だけど、この頻度も当時の熱量を表す、振り返るときに味わえる要素のひとつだとかんじるので、あまり細工しないでおきたいし、表現を欲しないという事実を、肯定したいとも。

だいたい、表現したいときって、「なにか補完したいか、排出したい」ときなんだよね。

だから、それがない、っていうのはただただ必死なだけだったとしても、
バランスは取れている、っていうことだから。むしろそれでいいんだと思う。

うつとかも、日照量が関係するんですってね。
株価も月の満ち欠けでアノマリーがあるという。

人間と自然とリズム。

多分、そういう波に逆らわずにいれば、変に中毒になることもなく、必要以上に沈むこともなく、持続可能に生きていけるのではないかな?

と思っております。

言い訳にも近いですけど、これから子供達がおそらく死ぬまでSNS履歴を引きずる時代に放り出すことを考えても、無理して自分を演出しない、変なルールで自分を縛らない=「持続可能である」ことって、一番大事じゃないかな、と思ったりする昨今、まさにこうしてnoteを書きたい!と思ってしまったのは、バランスを崩しているわけですね(自己分析)。

…うん、仕事しよ 笑

以上、ゆっか(@neotenylab)でした。

ではでわ。


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